君、泣きたもうことなかれ。
私がエッセイを書いてみたいと思ったのは、敬愛なるエッセイストのジェーン・スーさまが「mixiを昔ずっと書いていてだな…」というお言葉を発せられていたからなのですが、日記を書くということは本当に未来の自分を助けてくれるなあと心から思うことがあり、若者もすなるnoteというものを始めてみむなり。なりけり。なのです。
かくいう私も、大学生時代はmixiにどっぷりハマり、今じゃ本当に目もむけられない恥ずかしい心情や内情を、プライバシーという言葉もなきことかのように、毎日毎日書いていたのです。「誰それに床上手とか言われて、尻軽女のように言われたのがマジで腹たつ!」みたいな本当にくだらない内容なんですが…。
実は、私が本当に助けられていたのは、mixiではなくブログという存在でした。
結婚していた方と離婚することになり、同時に会社を辞め、家も4万円のアパートから30代で再スタートするとなった時、本当に誰も相談できる相手がいないし、誰も信じることができないと思っていたからです。
でも、ブログだけは違いました。匿名で書かれた紳士淑女たちの人生の帰路を読みまくり、私もどうにかしてなんとか生き残らなければと勇気をもらっていたからです。
当時、本当に何も持っていない私は、お金もなく友人もなく(みんな結婚やら子育てで相手にされなくなってしまった)、ただひたすらに図書館に行ったりやすい業務用スーパーに30分かけて行ったりするのが日々の糧でした。
自分のモヤモヤを聞いてくれる人もいないし、モヤモヤを聞かれたところで何にもならないのだよな、と思っていた私が始めた娯楽は「ブログを書く」でした。
いっとき、役に立つブログを書いたらアドセンスの広告収入だけで生活が成り立つようになるのでは!?などという邪心もありましたが、月10円くらいにしかならい現実を見た時にさっぱりその目的は捨て去りました。笑
けれど、ブログに残っていた私の醜態とも言える過去の言葉たちは、その「なんとか生き延びようとするかっこ悪さ」こそが、数年後目的を見失い色を失いかけた自分を助けてくれるものとなったのです。
文章の力ってすごいな、と思い書き続けたいとは思っていたものの、なかなか自分の描く場所を確保できずにいました。けれどnoteというものを始めることで、広げられるかなと思い始めてみることにします。
最近、私より若い子や同世代の子が同じように仕事や対人関係で悩み、相談してくれることがあります。私もまだまだ未熟者なので、すべてにベストアンサーを与えられるとは思っていませんが、そう言った人や自分に向けて、何か救いになる言葉を残せたらとの思いで「君、泣きたもうことなかれ」というタイトルをつけました。
泣いてもいいんですけどね。歳をとってくると、泣くことにさえカロリーを使って疲れてしまうものですからね。笑
泣き顔を忘れ、クスッとさせるのが魂胆です。お時間がありましたら、どうぞお付き合いください。
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