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「スタバでコーヒー」に惹かれなくなりつつある

スタバの居心地を覚えたのは浪人生のときでした。

夏、予備校の自習室でみっちり勉強した帰り、ふらっとフラペチーノを飲みたくなって、道すがらスタバに入ったのがたぶん初のスタバ。

「結構いいじゃん、音楽も好みだ」と気を良くして、フラペチーノからマキアートに変わり、ラテになり、ブラックを飲み始めて、今に至ります。

それから15年以上たち、ぼくは今もまだ、こうしてスタバの居心地を楽しんでいます。

しかし、最近心境に変化があらわれはじめました。

「あえてスタバでやる必要ある?」という思いが強くなり始めたのです。

そう思ったきっかけ

きっかけは、言わずもがな。コロナです。

それまで当然のように、「なんかあったらスタバ」でした。

家族ででかけた先にスタバがあれば期間限定フラペチーノを飲み、仕事の出先で時間ができたときはスタバでPCを開いて仕事を片付け、週末に少しだけ1人時間を取りたいときも足は自然とスタバに向いていました。

しかしコロナが、その習慣を変えました。緊急事態宣言を受け、スタバどころかほとんどのカフェが店舗を閉めたのです。

気軽にカフェに立ち寄る、という15年来の習慣が強制ストップを受けたのです。

すると、スタバに落としていたお金やかけていた時間は、自然と家の中へと向かいます。過ごしやすい環境、おいしいもの、そしてコーヒーもまた、家の中で楽しむものへと変わっていきました。

しかし15年以上も続けた習慣は、そう簡単に抜けるものではありません。

緊急事態宣言が開けて、スタバの店舗が営業再開し始めると、やはり心はうずくもの。店内飲食がNGでも「見舞い」と称して豆を買いに行きました。長時間の外遊びに疲れた息子にフラペチーノをごちそうしました。今もこうして、店内飲食が解禁された店舗でnoteを書いています。スタバにスマホとキーボードを持ち込んで執筆するのは、1人時間を過ごすときの鉄板なのです。

ただ今日、スタバに入ってふと思ったんです。

「別に、ここじゃなくてもいいよね」
「むしろ家のほうが快適なのでは」

と。

自宅書斎+ドリップコーヒー=快適

そう、自宅環境が快適にチューニングされているがゆえ、「自宅のほうがいいんじゃないか」という境地に達していたのです。

思えば、3月頭から完全テレワークに移行したぼくが真っ先に手をつけたのが、自宅書斎の改造でした。

これまでは

「書斎はほしいし実際使うけど、そこで過ごす時間は限られるよね」
「ならとりあえず安いセットで揃えて、こだわりたくなったら追加投資すればいいよね」

ということで、値段重視でデスク・椅子・マット・タップを揃えました。全部あわせて2万円いかないと思います。(当時の記録はこちら

それがテレワークが始まってからは、スタンディングデスクを買い、ディスプレイを増設し、ケーブル類をオーガナイズし……と、快適な空間になるように改造を重ねてきました。1日10時間以上過ごす場所なので、そこにお金をかけることはQOLの向上に直結しやすいからです。特にスタンディングデスクは、値段は高いものの、運動不足になりがちなテレワーク環境において必須と考えてエイヤで買いました。(当時の記録はこちら

くわえて、自宅でハンドドリップでコーヒーを淹れる習慣も再始動しました。書斎が快適でも、コーヒーがなければ片手落ちだったためです。

コーヒーセット自体は家にありましたので、豆を買い足すだけ。

日々コーヒーを淹れていくなかで、コーヒーを淹れること自体が楽しくなっていき、このnoteのようなコーヒー日記を書く習慣もでき、コーヒーを楽しむのが日々の暮らしに溶け込んでいきました。

しかし、そこに「スタバで」という言葉はありません。家の書斎、リビング、なんならトイレの中で音声入力しながら日記を書くこともあったりとか。

こうした時間を過ごしているなか、行き着いたのが「あえてスタバでやることはないよね」だったんです。

まとめ

15年以上もの間、なにかにつけてスタバに行くというのは、正直いって中毒レベルだと思います。

コロナによって強制的に「スタバ離れ」した結果、今のぼくはスタバ中毒から少しずつ抜け出していっているのかもしれません。

ただ、スタバは好きです。なので店内飲食ではなく、フードや豆のテイクアウトなどで引き続き付き合っていければと思います。

今日も良いコーヒーを。