高橋優 弾き語りツアー 2023-2024 「ONE STROKE SHOW ~一顰一笑~」千葉公演レポ



”一年前にマスク着用の声出し解禁されたのが市川市民文化会館での公演でその日から一気に全部がぐるぐると動き出したような感覚を今も持ってる。勝手に特別な会場にしちゃっている市川市民文化会館に一年後の今日も来た。”


と、ライブ前にメモ帳に書いて置いたらライブ中の高橋優も同じようなことを言っていた。あの日のライブに居た人なら誰もがそう思うだろうけれど、そちら側もそう思ってくれてたとは。思い出と記憶と気持ちが共有出来ていることに勝手に嬉しくなった。

↓ちょっとだけ曲別レポ



誰かの望みが叶うころ
早弾きが衝撃的過ぎて栃木公演でも見ていたはずなのにどの曲だったのか忘れていて、心臓が3メートルくらい上に跳ねた。少し前傾姿勢になって、ゾーンに入ったような目で掻き鳴らす姿がとても良かった。 「歌って叫んで、 」で胸の辺りをぎゅっと握っているのを見て咄嗟に自分もそうしてしまった。

友へ
少し上を見上げるのを見てしまって、ああ、たまたまかな。

靴紐
靴紐の時だけ色気がやばかったんですけれども、急に一曲だけ前髪が伸びたんだろうかなんだろうかどうしたんだろうか

サンドイッチ
カズー咥えながらの「いっちにっさんっしっ」がなんかすごく良かった(なんですか?)

はなうた
「「今、僕にできることってなんだろう」って考えながら作った曲です。」聞いてください、はなうた…と言ってからなかなか歌い出せなくて、葛藤とか想いとか願いとかぐるぐる巡って…どうか届きますようにとグッと気持ちを入れたような目と歌い出しだった。その間の高橋優を含めた会場の空気感はなんとも言葉に言い表せられない。現実はあまりにも無惨で冷たくて悲しくて辛くて”僕に出来ること”は”歌を歌うこと”どんな葛藤の中で今それを体現しているんだろうかと、それを思い体現し続ける強さも辛さも、想像してもしきれない。外側からなんか見える訳もなくて。目に見えなくて正解とか不正解が無いことばかりが押し寄せる。直接言葉にしなくとも直接言わずとも伝わるものは必ずあるんだとこの曲を聴く度に思わされる。

HIGH FIVE
真裏からライトに照らされて真っ黒の影だけになった高橋優が歌い始めるHIGH FIVEが本当に最高に良すぎて椅子に座ったまま内側から爆散しそうになった。一年前にこの場所で見た景色と聴いた音が鮮明に蘇ってきて気持ちがいっぱいになってしまった。



ものすごい圧を感じる拍手の中でつむじが見えるくらい深いお辞儀を長く長く、長くしている高橋優を見てたらなんか、ぽろぽろと涙が出た。コロナ禍で新たに感じられるようになった拍手に篭もる人の気持ちが声出し解禁されても同じくらい感じられて。この拍手は、高橋優にはどんな風に聞こえてどんな風に感じているのだろうか?下手したら数人が発する言葉の「ありがとう」より何倍も何百倍も色んな気持ちを感じられてるんじゃないか、とさえ思う。届け!この気持ち!と思いながら全力で拍手をその綺麗なつむじ目掛けて送った。

「みなさんもう、俺の家族みたいなもんだからさ」とか言ってくれていて単純に嬉しくなった。私は高橋優のことをイマジナリーマブダチだと思っているけど高橋優は家族みたいなもんだと思ってくれてたみたい、これはびっくりした。いやでもやっぱり同じコタツに入って向かい合ってミカン食べるのはおこがましいからこれからもイマジナリーマブダチで居させてほしい。

「本当はいつも隣にいてあげられたらいいんだけどさ、そういう訳にもいかないから、こうやって音楽を届けに来ているんだけれども。」 私の高橋優の楽曲に対する気持ちみたいなことを言うんですね、と思った。私は高橋優の曲を隣に居てくれているような気持ちで聴いてるよ。いつもいつも、本当にありがとうね。

ライブで高橋優が直接伝えようとしてくれるもの全部を持って帰りたい。毎回帰り道にこぼしそうになるくらいいっぱいくれるから、何とか心にあるポッケ全部にギュウギュウに詰めて家に帰る。それをちょっとづつ取り出してちょっとづつ自分の中に入れていく。何個か落としてたりぐしゃぐしゃになって読めなくなってたり薄れてたりしてる所もあるのがとても悔しい。全部、鮮明に取っておきたい。何度も、何度でも受け取りに行きたい。行かなくちゃ。




全曲載ってるレポはこちらです



https://note.com/__m_o_t/n/n05fcbb9c2bf6?sub_rt=share_b

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