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ありがたし

ありがたいは、文語「ありがたし」の口語。
ありがたしは、動詞「ある(有る)」の連用形に形容詞「かたし(難し)」が付いた複合語で、原義は「存在することが難しい」「滅多にない」である。そこから、ありがたいは「(滅多にないくらい)優れている、立派である」、さらに「(行為などが滅多にないことで)この上なく尊い、喜ばしい」という感謝の気持ちを表すようになった。
古くは、「この世にあるのが難しい」というところから、ありがたいは「過ごしにくい」「住みづらい」なども意味した。
語源由来辞典. 2022年9月26日閲覧。

​ここにサイコロがある。
「1が出る確率は?」
おそらく多くの人が「六分の一」と答える。

しかし一定数の人は「1が出る」「1が出ない」、
一回のサイコロを振るかどうかの確率と同じ、
「二分の一」だと答えるだろう。自分もそうだ。

サイコロを何度も振れば振るほど
最終的には六分の一になるだけで。

「1を出したい」と思っているのなら、
「出る」「出ない」だけの考えにしかならない。

これは人生におけるあらゆる選択でも
通用する考え方だろう。
一度しかない我々の人生の過程で、
選択は繰り返しやってくる。

「産まれる」のか「産まれない」のか
「やる」のか「やらない」のか
「行く」のか「行かない」のか
「付き合う」のか「付き合わない」のか

決まった数の目を出すべくサイコロを構えると
どうしても「六分の一」という低い確率が
脳内をよぎり、緊張してしまうがゆえに
行動ができなくなってしまう。
「結果を出す」ということは、
とんでもない確率になるだろう。

この考え方を2022年9月29日の今日、
King & Prince 岸優太 の人生 
に当てはめていきたい。


岸さんが産まれる確率も
岸さんが野球部に入る確率も
岸さんがジャニーズ事務所に入る確率も
岸さんがMr. King vs Mr. Princeの
メンバーに選ばれる確率も

私の目に岸さんが止まる確率も
私が岸さんに惹かれる確率も

すべて「二分の一」なのである。


こう書き記してしまうと
なんとも簡単に見えてしまうが、
それが違うのだということを示したい。

言わずもがな、我々の人生も岸さんの人生も
無数の「二分の一」が重なることで
産まれてから今日までを経ている。

二分の一で起こりうる事象に
二分の一で起こりうる事象が起こる確率は、
二分の一 × 二分の一 = 四分の一
ないし、二分の一の二乗

二分の一で起こりうる事象に
二分の一で起こりうる事象が発生し、
……
……
二分の一で起こりうる事象が起こる確率は

というように、
今の岸さんが岸さんである確率というのは
「二分の一のn乗」
という考えられない確率であって、

上記の確率に「自分が岸さんと出会う確率」と
「自分が”紫のファン”になる確率」、
「今の自分が 岸さん という存在に励まされ
幸せにしてもらっている確率」を足すと、

「二分の一の(n+3)乗」になる
とでもいうのだろうか。

もうよく分からなくなってきた。

自分にも人生というものがあるし、
「岸担」になるまでにも過程があるから
厳密にはこうならないかもしれないし、
そもそも ヒトの人生 という尊いものを
確率論で著すことへの賛否も生じそうだが、

いま「今の自分が 岸優太 という存在に
励まされ幸せにしてもらっている」
という事象が発生していることが
どれだけ「有難い」ことであるのかを
改めて感じる9月29日にしたい。

それと同時に、岸さんのこれまで27年の人生、
その隅々に「有難う」と感謝する一日にしよう。


いつもありがとう、大好きです。

27歳の誕生日、おめでとうございます。


2022年9月29日


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