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お馴染みのお店の変化、それでも私はその店に行く

今日は短めです。
   *     *     *     *


今週は、
連日、業務研修があります。

研修は、
以前の職場の近くの会場
だったり、

以前の職場と同じビルの会議室
だったりします。

 

で、
研修がある時は

私は、昼食を
勤務時代によく利用
していたお店に
食べに行きます。


そのお店は、
老夫婦が経営されていて、

レトロでとても落ち着いた
感じのお店です。

寡黙なご主人と
愛想が良くてふわっとした
奥さんが

車で一緒に買い出しに行ったり
阿吽の呼吸でやりとりしたり

決して相席や
詰め詰めにせず
ゆったり座らせてくれて

昼休みを
ふわっと過ごせました。


私が行くと、
一品多くつけてくれたり
イチゴジュースや
マスカットなどの
果物を一皿
余分につけてくれたりしました。


私の退職日には、
「これくらいでウチは
潰れへんから、大丈夫」
と言って、
無料にしてくれました。



それで、

その記憶があるから
以前の職場の近くで
業務研修がある時は

私はそのお店に行っています。
 

 

今は、
もう、

 行っても
私のことを覚えてない
時も多いけれど、

 

私は、

あの頃のことを

覚えているから

  

だから、
今日も
そのお店に行くのです。


「人は皆、
程度の異なる認知症」
と言った人がいます。


認知症になりたくて
なる人は一人もいません。
 

 

おそらく、
だんだん自分を無くしていく
辛さや不安は
本人が一番感じていたはず。


それでも二人でお店を
切り盛りしている。
 


たとえ、

認知症になってとしても、


お元気な頃にされたことが

消えてなくなる

わけではありません。
 

お元気な頃は

どんな人だったか、

周りの人が

覚えていれば良いのです。

 
悲しいことだけれど
誰も責められない。

 
だから、
初めての客のような顔をして

私は

そのお店のドアを開けるのです。

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