【短編】電車に揺られる話

自宅から数分のところに電車の駅がある。電車が移動手段という大義名分を失った今、駅が近いというのは家賃を下げる要因にしかなっていない。そもそも電車の本数も減り、一日に数回しか騒音もないため、下げられる家賃もほんの少しなのだが。
 そんな駅に私は向かっている。こんな前置きをしておきながら私は電車に乗るのが好きだった。
 もう発展という発展をし終え、世界の共通目標は「落ち着いて日々を過ごすこと」になった。人々は活動範囲を狭め、自宅とその周辺を自分好みにカスタマイズし、落ち着いて日々を過ごすための巣作りに励む。オフィスの大半が仮想現実に移転し、人口も減り、そして人々に息苦しさを与えるとかなんとかで高い建物もめっきり減った。あるのはほとんど高さの変わらない戸建てばかりで、基本皆それに引きこもっている。仮想現実が発展してから外に出る必要もほとんどなくなったためだ。空から見る街はずいぶんつまらないものになったに違いない。
 しかしそんな日々の裏で人間は変わることに固執し続けている。世の中には日々をより良くするための情報が大量に発信され続け、そのための商品が出回る。そして人々は必死にそれらにしがみつく。
 私はそんな生活がたまに息苦しくなる。人間として、世界としての死から逃げ続けなくてはならない日々から逃げ出したくなる。そんな時に電車に乗るのだ。
 駅は、美しい景観を追求された街に似合わずさびれている。身をどんどん削られ、ほとんど改札だけで駅というものを形作っていた。そのため、私のような物好き以外ははほとんどここに寄り付かないのだが、最近はロボットと、ヘルメットを被った数人が入り浸っている。日本中をつなげている線路を取り除くのは大変だからというだけで撤去が後回しにされていたが、とうとう順番が回ってきたらしい。この駅の路線も来月には廃線になり、今年中にこの駅も取り壊されるそうだ。巨大な機械で一瞬のうちに消え去るであろうことを想像すると、骨と皮だけになった老人をマシンガンで撃ち殺すようで居た堪れない気持ちになった。

 生体認証で改札をくぐると同時に決済が済まされる。いつからか運賃は一定料金に変わった。それをいいことに私は1度乗ったら気が済むまで降りることは無い。終点の駅で長く停車している間も、人が乗っていれば空調をそのままにしておいてくれるので、それに甘えていた。
 改札をくぐるとすぐに車両がやってきて扉を開けてくれる。1本逃せば数時間待つ羽目になるためしっかりと時間を調べて来たのだから当然ではあるが、さっそうと現れ、大きな車体の扉が全て一斉に開く光景は、なかなか気分のいいものだった。
 中に乗り込むと案の定誰もいなかったので、いつも通り入ってすぐ右手の長い座席の真ん中に腰を下ろした。きっと誰もすわっていなかったはずなのに人肌にぬくいのがなんとも不思議だ。ふうと一息つくとちょうど電車が走り出した。
目の前にある大きな車窓から外を眺めれば、外の風景は全て横に間延びして、色合いだけしか捉えられない。こうしてみると素直に綺麗だなと思える。
ガタンゴトンという車体の揺れが座席から身体へと伝わっていく。少し目線を上に上げると、頭上に釣り下がるつり革も仲良く同じように揺れ動いている。その規則的な振動という一体感は自分に心地よい眠気をもたらす。私は抗わずに目を閉じる。
この時間がとても好きだ。日常から切り取られたこの空間が、好きだ。

「次は──駅。次は──駅です。」
どのくらい経ったのか、そのアナウンスにうっすらと目を開ける。意識が明確になり始めたのと同時にドアが開いた。
私以外の乗客が乗ってきたのは初めてだった。花を持った高齢の女性がゆっくりと車内に足を踏み入れる。不意にもたらされた変化に、私は目が離せなかった。不快だった訳では無い、ただ、私が感じていた一体感に異物が入りこみ、日常に引き戻されたのがくやしかったのか、変化という刺激に喜んでしまう自分を抑えているのか、わからなかった。ただ、彼女を目で追った。
完全に中に入り、どこに座ろうかと視線をさまよわせるうちに私の視線に気がついたのか、彼女はこちらを向いた。そして、ふんわりと微笑み、「ごめんなさい、気が付かなかったわ。お邪魔だったかしら」と問いかけた。私は少し強ばっていたであろう顔を反射的に緩ませ、
「あぁ、いえ、そんなことは」
と返す。それを聞き彼女は
「そう、良かった。こんなに若い方が乗っていらっしゃるなんて珍しいわね」
と嬉しそうに言った。
私はなんと返せばいいのだろうかと迷ってしまったが、あってしまった視線をそらすことも出来なかった。
お互いに言葉を交わしたことで、沈黙に多少の気まずさが生じてしまう。彼女の方もどこに座ればいいのかと戸惑っているようだった。
すると
「発車します、ご注意ください」
というアナウンスがかかり、車体がガタリと揺れた。その揺れに引っ張られるように彼女がふらついたのを見て、私は咄嗟に声を出していた。
「あの!隣、どうぞ」
彼女は少し目を見開いたが、すぐに柔らかい表情に戻り、
「じゃあ、失礼するわね。」
と私の隣に腰を下ろした。

そこからはしばらく2人で外を眺めていた。綺麗だが代わり映えのしない景色に少し退屈し始めていたとき、彼女がふと話し始めた。
 「わざわざ電車に乗って、どこに行くの?」
 「あ、どこに、とかはなくて。ただ何となく乗っているだけというか」
ああ、これでは会話が広がらない。まずい返しをしたと思っていると、
「そうなの。私はね、夫のお墓参りに行くのよ」
と自分から語り始めてくれた。話好きな人でよかった。数年間一人暮らしで、勤め先の人との事務的な会話くらいしかしなくなっていたので、会話のコツを急には取り戻せそうにない。
「わざわざ電車で?」
「この電車、もう配線になっちゃうって聞いてね。久しぶりに乗ってみようかと思ったのよ」
 彼女はふふ、と笑って懐かしそうに続けた。
「でもやっぱりいいわね。変わらない、というか」
 「変わらない?」
「ええ。たしかに乗る人が少なくなって、少し寂しい感じはあるけれど、変わらないわ」
そうか、この人も変わらないことに喜びを感じるのかと少し嬉しくなる。失ったと思っていた一体感にまた浸っていく。
「でも、朝とか。人が大勢すし詰めになっていたって聞きますけど」
「たしかに、それもそうよね。でも、どうしてかしらね、」
彼女はそこで一旦止めて、ややあってまた言葉を続けた。
「たしかに、満員電車のほうがインパクトがあったわ。みんながせかせかしていて、色んな人の匂いが混ざってて、外も見えないから息がしずらくて」
「ええ」
「でも、それよりもね。そうね、例えば授業が早く終わったりして、ラッシュの時間以外の電車に乗った時。車両が私だけに用意された空間なんじゃないかって思うくらいがらんとしていて、眩しくて。好きな席に座って、電車の揺れに身を任せながらぼんやりとした意識で外を見たり、眠ったり。そっちの方がよくおぼているのよ」
不思議よね、と彼女は笑った。
同じだ、と私は思った。せかせかした息苦しい日常も。そこから切り取られた世界に身を委ねる幸せも。
「分かります」
心がとても暖かかった。

「まもなく、終点。終点。お忘れ物に────」
「あら、もう終点だわ。私は降りるけれど、あなたは?」
「私はこのまま折り返します」
彼女はよいしょと言いながら立ち上がった。そして真正面から私と目を合わせながら言った。
「やっぱり電車に乗って良かったわ。街の風景も、生活も、ましてや年号まで変わってしまったけれど、変わらないものを見つけられて。それこそ幸せよね」
 はじめて目を合わせた時と変わらない微笑みでそう言い、乗ってきた時と変わらないゆっくりとした動作で電車から降りていく。私はその背中をしばらく目で追っていた。

変化に固執した世の中で、そこから切り取られたところに変わらない幸せがあるなんて、酷い皮肉だと思う。
でも、そこに変わらず幸せがあると知れてよかった。そのおかげで、息苦しい日常を少しは愛せるようになるかもしれない。そもそもこれも広い目で見てしまえば変化を求め続ける日常の一部なのかもしれない。
変化を求める日常から逃げることも変化のひとつで……考え続けていると頭が痛くなりそうなのでここら辺でやめておくことにする。

しばらく適当に暇を潰しているとアナウンスとともにドアが閉まり、ガタンゴトンと規則的に揺れながら走り出す。

私は与えられた眠気に抗わずにに目を閉じた。

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