舞台「After Life」感想

AfterLife、良かった!
1回のみ観劇、原作未履修の感想文です。


●あらすじ


死んだ人間は、たったひとつだけの思い出だけを抱えて永遠を過ごすことになる。
思い出を選ぶまでに与えられた時間は1週間。
「センター」でガイドとともに人々はその思い出を探していく。
ガイドの2番はある人物の思い出を探していくうちに、ある事実に向き合うことになる。

●感想

・演出

光や演出がとてもきれいだった。
映し出される映像が非現実であり、誰かの頭の中であり、誰かの見ている景色であった。
そういった演出の一つ一つがとても好みだった。見に行くことができてよかった。
平面ではないものを画面作りと言っていいのか、正しい言い方があるのかは分からないが、円に並ぶ人間たち、落下する大量の靴、会話する人間たちの中に現れるその場にはいない人間、二階三階と組まれたセットなど、画面として美しいものが多かった。
未来が右(上手)で過去が左(下手)と聞いたことがあるのだが、この物語は逆の場面が印象的であった気がする。(秋の景色は光のあたる下手と影になる上手、現在の会話をする下手と過去の会話が行われる上手)死後の世界だから、未来と過去は確かに逆かもしれないと思った。

・2番/やさしいひと

優しい役だと聞いていたのに蓋を開けたら想定していた優しさと違った。
事前の話から、優しい人らしい優しい人の役ならばもっと適した人間もいそうなのに、なぜこのひとが2番を演じるのかと思っていた。
しかし、見終わるころには胸の中に飼う熱を押し殺して仕事で頭をいっぱいにして精一杯に優しい人間を演じ続けた2番には、このひとがぴったりだったのだと思った。
配慮ができるとか、そっと寄り添ってくれるとか、そういうことじゃなくてほんとうに「(百貨店的な)接客業のように優しく」という話の優しさであった。
もともと純朴そうな人であったら、ガイドの2番と生前のチャーリーという対比がうまくいかなかったように思う。
「ぼく」の発音がたびたび「おれ」と同じになっていたこと、言いなれない「ぼく」を装っているようで良かった。

これだけ人を愛することができる2番が、それでもなお持っていきたい思い出がないことに驚いた。
当時からすれば行き違いや仲たがいをした記憶がまだ鮮明で、亡くなった際は「その思い出さえあれば良い」は言えるほどにはまっすぐな愛になれなかったのか。
彼女の人生はこれからも続くのに、この先の未来がない自分は彼女の最愛の最後のひとになれないことが辛抱ならなかったのか。
身なりのずいぶんきちんとした人で、旅行にも行けるくらいには金銭的に余裕もあったように見える。
家庭環境もよかったのではないかと思うが、父母との思い出も選べなかったのか。
彼の人生にはさまざまな大事な思い出があったものの、ただただ、彼女のことが心残りだったという一心だったというのが答えではないかと思う。
キリックが「わたしには猫がいるの、猫を残して死んでしまった」という話をした際に、必死に話を逸らそうとしていた。
猫の暖かな体温や、柔らかな毛並み、甘やかな鳴き声を再現しようとはしなかった。それだってきっと大事な思い出なのに。
それは、心残りの誰かがいるせいで思い出を選べなかった自分自身の姿を重ねたからではないかと思う。
キリックが猫ではなく赤いドレスの思い出を選べたように、きっと2番にだって彼女ではない他に人生のハイライトがあったはずなのだ。
だからこそキリックに猫以外の思い出があるはずだと迫れたのだと思う。
自分のことを空っぽだと思っていたら、他人に「何かあるはずだ」なんて偽善は言えないと思うので…。

2番は愛したはずの彼女に負の感情をぶつけていたが、
仕事で頭をいっぱいにするうちに負の感情を忘れていって彼女との幸せな思い出だけが残っていった。
幸せな部分ばかり切り取って反芻して彼女の面影を追い続けていたというのなら、それはどんなに善良な精神なのだろうと思った。
わたしは嫌だったことばかり反芻してしまうから彼のようにはなれない。

最初、2番がヒロカズの思い出の映像を見ていたときのシーンのことを理解できなかった。
センターに来たそれぞれのひとのキーとなるシーンごとに幻想的なシーンが挟まれるのかと思っていた。
しかしそうではなく、これは2番の物語であり、2番の物語が動き出すきっかけになったということであった。
ガイドたちは自分たちが罰されてそこにいるかのようであり、センターから出ていくひとたちのことがうらやましくてしかたがない様子だ。
2番の物語が動きだしたことや、その前例もあることから、センターにいるということはきっと罰ではないと思う。この件は後述する。

2番が過去の思い出に触れた際、「青いシャツを着てね」というフレーズが出てきた。
ガイドが死んだときの恰好のままだとして、
あのワンシーンは2番とのやりとりであったとして、
毎日青いシャツに袖を通すのは一体どんな気持ちだった?

・1番/「わたしはあなたを救いたい」

ガイドの1番が、思い出を選ばないオバフェミに向けた言葉である。
最初は、なんて傲慢な言葉だろうかと思った。
相手のバックボーンがある程度わかっていたとしても、そこに対して相手がどう思ってすごしていたかまでは分からない。
そしてその言葉を口にした1番自身は、思い出を選ぶことができなかった人間である。
自分にできなかったことを他人に迫りながら「救いたい」と言う姿は
ある種の強迫観念のようであった。
そして実際、1番は自分が思い出を選ぶことができなかったばかりに永遠にセンターに残り続けた存在であり、その仕事ゆえに他人にはできることが自分にはできないのだと烙印を押され続ける思いがあったのだろうと思う。
だからこそ、心底本心で「あなたを救いたい」と言っていたのだろうということも理解できる。

対してオバフェミはガイドを翻弄し続ける。
彼の日常にあったものは病院と教会であった。
教会に関する言及がすなおな印象であったことや、病床に家族がともにいる描写があったことから、もともとは斜に構えて他人に遠巻きにされるような性格ではなかったのだと思う。
ずっと病床にいて、選びたい思い出なんてひとつも持たずに生きざるを得なかった男。
13歳で成長が止まってしまった人生。
14歳から先はずっと病が隣にいた人生。
それなのにいかにも仕事ができそうな(未来がある人生を送ってきたと思われるような)1番に「あなたを救いたいの」と言われたら、おまえに一体何が分かるんだ、と詰め寄りたくすらなるのではないかと思った。
しかし彼は、きっともともとの精神がまっとうであったのでそんな暴力に訴えるような真似はせず、やっと病から解放された肉体で、ようやく自分自身の決断で未来を選ぶことができた。
センターの仕組みや1番の仕事を執拗に聞いていたのは、最初から「ようやく何かを成しえる」という願いからだったのか、それとも最初のうちの言動は「自分に選びたい思い出があるはずもないのに」という自虐からだったのかは分からない。

両者ともに袋小路の中にいたのだろうと思う。

・5番/「ここは僕のセンターだ」

センター長たる5番は2番を指して「自分よりも長くおり、センター長になるのは彼のほうが正しい」というようなことを口にしていた。
そんな人が最後に「ここは僕のセンターだ」と言い切ったことは、彼の決意だったし成長であったのだと思う。
生前は先生だったのではないかと言われ、慕われる人柄の5番は、しかし彼もまた思い出を選ぶことができなかった人である。
その彼が、ただ自分の職務の範囲内の管理をするだけではなく、自分の権限として2番の選択を尊重することを選んだ。
それが一時の感情に流されただけではないというのなら、人は死してなお成長することができるということだ。
思い出を選べなかった人がガイドになること。
それは罰のように見えていたけれどそうではなく、「(1週間では選べなかった人まで含めて)すべての人間が絶対になにか思い出を選べるように」という猶予期間がガイドという仕事なのではないか。

・導く者と導かれる者

2番とキリック…心残りの誰かがいるふたり
2番とヒロカズ…同じ女性を愛したふたり
1番とオバフェミ…袋小路に捕らわれて意固地になったふたり
4番とジル…人生経験が浅く対比のように真逆のふたり
それぞれに、対となる存在がいるように見えます。
そうならば、3番と飛行機の彼や、5番と鈴の音の殺人犯にも何かあったのではないか。
5番が「生前先生だったのではないか」と言われたときの曖昧な反応から、きっと彼は人に慕われるような生き方をしなかったのだろうと思っている。
鈴の音とハーモニカの音(違う楽器でしたか?)というように、音が主題となる二人でもあった。
飛行機のことはさっぱり分からない。
優しい嘘ならついてもいいと思っている3番を優しいととるか無責任ととるかは人によると思った。
2番が思い出を選ぶといったときに最も怒っていたのが3番であった。
彼もまた、2番と同様に一生懸命に優しい人間を演じようとしていたのだと思う。

・鈴の音

甘ったるいしゃべり方の男が、鈴の音に引き寄せられる話が好きだった。
暗闇の中の迷子が小さな光を求めて歩き回っているみたいで…。

●疑問

・名前

2番が4番の名前を呼んだのはなぜだったのか
2番が4番のガイドを務めていたのかと思ったが、それならばその時に知っていたのはおかしくないので「わたしの名前知ってるの?」といったやり取りすら発生しないはずである。
オバフェミの様子を見ると、ガイドになるにあたってセンターでの思い出が消えるということもなさそうであった。

・番号

偽名でも良いはずだが番号で呼ばれるのはなぜか。
センターに来る人々にも番号はついているが、3桁の番号があっても名前で呼ばれる彼らと、1桁の番号だけで呼ばれるガイドでは差があるように見える。
番号で呼ぶ制度は、「あなたたちはもう死んだんだから、生きた人間みたいにふるまってくれるなよ」と言っているように見える。
そのように理解していたため、「ヒロ」「チャーリー」と呼ぶさまをみて何か悪いことが起きないかとひどく心配した。

・靴

思い出を選び、永遠を過ごすことになった人々は靴だけを残していなくなる。
ガイドたちは、彼らの番号に対応した靴箱にその靴を入れていく。
2番の靴は番号のない靴箱に入れられた。
なぜ靴だけが残るのか。もう歩き回る必要はないからか?
もう1度見に行けたら、登場人物たちの靴をもう少し見たかったと思う。
ガイドの皆はたった1週間ともにしただけの人々の靴を迷いなく靴箱にしまっていく。
靴を見ただけで分かるほど、彼らに真剣に向き合っていたのだと思う。

●おわりに


隙あらば自語りします。人間なので。

わたしは観劇中、オバフェミに最も感情移入していた。
全部めちゃくちゃにしてやれと思っていた。
自分の中に存在しない大事なものを選べと迫る人たちがなんて困り果てればいいと思った。
最終的にセンターが機能しなくなって終わりを迎えるのではないかとすら思っていた。
けれどそうはならなかった。


観劇中に一度も「自分なら何を持っていこう」と思わなかった人間はいないだろう。
わたしは持っていきたい思い出なんて一つも思い浮かばなかった。
自分自身の人生と向き合わされる物語は総じて苦手だ。
暴れだしたいくらいに苦しくて仕方がなくなる。
しかし、そういった題材である割には、類似の物語に比べて苦しくならなかった。
それは先述したように、あんなに愛する人がいた2番が思い出を選べなかったことや、オバフェミが思い出を選ばないことを選んだように、一筋縄ではいかない人間たちの物語だったからだと思う。
「誰の人生にもドラマがあって最高の瞬間が絶対にある」といったことを謳わない物語だった。ガイドたちはそれを信じていたようにも見えるが。
特別なたったひとりがいる2番ですら思い出を選べなかった。
わたしの人生の中に死後選びたいたったひとつの思い出がなくなって、あの2番ですらできなかったことがわたしにできなかったとして、それを苦しまなくても良いと思った。

パンフレットで、「持っていける思い出があることが幸せ」だと語られていた。
ほんとうにそうだと思う。
だが、意味のある思い出を一つ選ぶことができなかったとしても、
それは罰されるようなことじゃないのだ、おそらくは…。

「たったひとつの、あなたの人生で意味のある思い出」
「あなたの人生を象徴する思い出」
「最も幸せだった瞬間」
そんなものをつきつけられるこの物語を演じきってなお、
わたしのだいすきなアイドルは、最後に持っていく思い出はメンバーとお客さまをまるごと一緒にライブのその瞬間と言ってくれたことが嬉しい。
ごく親しい身内とともに不老不死になりたいって言っていたひとが、
いざ最後の最後になったらファンまで含めて思い出にしてくれるんだ。

AfterLife、観に行けてよかった!

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