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2023/11/23

お久しぶりです。

noteをずっと書いてなくて 書くほどのようなことは起きてなくて 毎日は単調で。

起きたことと言えば すきなひととやっと気持ちが通じ合えた というか すきなひとの気持ちが見えるようになって 透明だった気持ちに色が見えるようになりました。今まで何色にも染って無かったすきなひとの中にある気持ちには色が着いて その色の要素には私が居たことが分かって 私はただ単純に嬉しかった。とても嬉しかった。1年前の彼が私にしたように、他の人と幸せになることを願うことこそが相手に対しての最大の愛を表現することができる一つだと思っていたけれど、これは一方的に相手のことを突き放すことにも似ていて 相手の気持ちなんてひとつも考えてない結果なのかもしれないなと思った。だから結局愛なんかじゃなくて自分を守るための台詞にすぎないんだと気づいた。それでも1年前の彼が言っていたこの台詞は今の私へのプレゼントなんだと思いたい。私が突き放そうとしてもそばに居るって言ってくれてありがとう。

気持ちを確認できたきっかけは手紙だった。私は言葉で直接想いを伝えるのが苦手で 誰に対しても強がってしまったり 我慢して何も伝えずに終えてしまったり しまうけど こうやって文字にして気持ちを伝えるのは得意というか できる方だったので手紙で気持ちを伝えた。それと最近手紙をいただく機会があって LINEじゃなくて手書きの手紙でってことが嬉しかったから手紙を書いた。
ちょっと恥ずかしかったので「これ果たし状、読んでね」って渡した。次の日の朝「果たし状読んだよー」ってLINEをくれたすきなひとは同じテンションでいてくれるのでとても助かる。急に真面目な手紙を渡しても「手紙ありがとー」だけとかじゃなくて自分の気持ちを伝えてくれて ちゃんと向き合ってくれて すきなひとのそういう所が好きだなってますます思った。すきなひとは1度も目を逸らしたことは無いんじゃないかとも思った。目を逸らしてばかりなのは私の方なのかもしれないと思った。
これからもよろしく と言い合って またいつもの私たちに戻った。昨日は久しぶりに同じ夜に眠ることが出来た。好きより安心が大きかった夜だった。


久しぶりに昔の友達が書いたnoteを読んだ。あの時はそのnoteに出てくる女の子に共感しては悶えて涙を流したり自分が嫌になったりしていたのに 全く共感もなければ涙もなかった。むしろ変に冷静になってて 客観的になってて。これを美談にして言い訳がないだろうとまで思った。本人も美談だと思って書いたわけじゃないとは思うけれど これが良いと思って読んでいた過去の自分にちょっと嫌気が差した。元気にしているかな。元気でも元気じゃなくても何処かで息をし続けていてくれたらいいな。頑なに煙草は吸うなと私に言っていましたが 喫煙者になりました。あの日みたいに怒らないでね。

大学3年生になってから友達と呼べる人が周りにいなくなって ずっとひとりで勉強していたので基本的にずっと一人で大学生活を送っていたけれど 最近になってゼミの友達に対して心を開けるようになって 一緒に勉強するようになって いつの間にかひとりじゃなくなっていた。そのおかげで毎日が楽しくなったし 今日も頑張ろう 明日も頑張ろう って日々思って生活できるようになった。最近は本当に人に恵まれるようになりました。いつも周りにいてくれる人たちへ、ありがとう。今度のお昼は美味しいラーメンでも食べに行こうね。

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