刀剣乱舞に狂ったオタクが推し刀剣見る為に遠征して現地のおじ様に個人情報丸々とお金渡して感謝された話

数年前、当時一般展示されてなかった推し刀剣が広島のふくやま美術館に展示されると知って直ぐ遠征を決めた。オタクのフットワークは軽い。
推しは国宝で当時は、人目に出る事はなかったと思う。通常展示などはされていなかったはずだ。その時は推しともう一振が展示され、その二振り共に、担当絵師からお祝いの書き下ろしが発表された。

何度も通い慣れた東京とは違う。それに東北から広島は遠い。初めて行くから、どうやって行くかという所からのスタートだ。交通手段にホテルに予算にと色々考える所からだった。
初めて行く広島に、何かあった時の為に母に広島に行く事伝えたら、一人で行くのかと聞かれ頷いた。
すると直ぐに心配だから一緒に行きたいと言い出す母。
二十歳も超えて過保護かよと当時は思ったけど、今思えば母もただ旅行したかったんだと思う。うちの家族は私以外、遠征や旅行なんて言葉とは程遠い人達だった。母にとっては多分、私が小学生か中学生頃の家族揃っての年一のディズニーランド以来の旅行だったのではないかと思う。

今回の話は美術館での限定グッズ物販での事だ。
美術館の展示メインの為、物販は書き下ろしイラストのクリアファイルだけだったと思う。他にも既存のグッズが当初並んでいた気はするけど、大体のグッズは既に集め終わっている私の心は書き下ろしファイルにずっとわし掴まれてた。
当時とうらぶは相変わらず立ち絵4枚だけの推し供給で、極も実装前で有り体に言えば新規絵に飢えてた。
だからこそ展示を記念した担当絵師の書き下ろしファイルは、喉から手が出る程欲しかった。なのに、いざ美術館に行ってみると既に完売してしまったと売店のスタッフさんは言っていた。再入荷予定はあるが、来週の平日だとか。
なんで来週来なかったのかと思うと悔しかった。遠征出来るのが土日だけだったというのも痛い。
来週また来るのは当時の予定的にも金銭的にも難しかった。それに来たとしても確実に残っているかはわからないのだから、買えるか分からないので現実的じゃない。
美術館のホールで、また来るかメルカリやオタマートで買うか代行を探すかとぐるぐるどう入手するか泣きそうになりながら考えてた。というか多分もう泣いてた。そんな時、母は近くに居た見ず知らずのおじ様に話しかけに行ってたらしい。
母はいつも知らない人に話しかけて、余計な事を話しつつもお喋りを楽しんで何かと無意識に得をして帰ってくるタイプだ。その場限りのお友達を作るタイプ。その母の特性は、初めての広島でも遺憾無く発揮されていた。
広島にもザオウがあるとかで知らない内に話は盛り上がっていて、気付けば現地のおじ様が代行してくれる事に話がまとまってた。
母からの急な依頼に、現地のおじ様はよく美術館に来るらしくて軽く快諾。母は私を呼んで、グッズの詳細を伝えるようにと言った。
当たり前にキャラクターが分からないというおじ様に持っていってた推し刀剣柄のカードスリーブを目印に1枚渡して、私の名前と実家の住所と電話番号とファイルや買えた時の送料分の代金を渡した。
買えなかったら手間賃として受け取って欲しい旨を伝えたら、絶対に買うから!と強く言い切られてまた嬉しくて泣いた。
元々美術館の物販スタッフとは顔見知りらしい。スタッフと作戦会議をしてくれたり、前日に下調べで見に行って明日は頑張ると連絡をくれる丁寧な人だった。私が泣いてたのも気にしていたらしい。あんなに泣いてる女の子を見たら、力にならないと男じゃないでしょう!と言ってみせる姿が男前過ぎて何度お礼を言っても言い足りなかった。

再販日当日、三部買えたとメールが来て飛び上がって喜んだ。
実家から離れていた私はメールでのやり取りを主にしていて、母が電話で入手した旨と発送したと電話での連絡を受けていた。
メールでお礼を言っていたら寧ろ感謝されて、不思議に思っていたら、意味ありげにおじ様は「お母さんに詳しく話したから聞いてご覧」と言っていて、母から詳細を聞いた。
何でも当日、朝一番に並びに行った時既に並んでいた刀剣乱舞クラスタといい出会いがあったらしい。
そのとうらぶクラスタは刀剣乱舞にハマってから刀剣やら歴史やらを全部調べ尽くした研究家タイプらしくて、ファイルを購入した後で一緒に展示を見に行ったとか。
その人は刀剣についてやら刀匠やら歴史やら色々興味深い話をそのおじ様に教えてくれたらしくて、展示品を見るのがいつも以上に大変楽しかったらしい。
充実した時間を過ごせて楽しかった、この代行がなかったら出会えなかった、との事。
代行や発送なんて手間がかかる。見ず知らずの親子の、美術館での急で不躾な依頼に応えてくれるだけで凄いのに、寧ろお礼を言われたことが驚きだった。
なんというか、その時出会ってくれた刀剣乱舞クラスタの人ありがとうって感じだった。私は特に何にもしていない。私はただ広島に行った時にその人に泣き付くように依頼をしただけ。寧ろして貰ってしかいなかった。
その刀剣乱舞クラスタが色々教えてくれてたりしてなければ、そんな充実した時間を過ごせたりはしなかった。ありがとうどこの誰かも分からない研究家タイプのとうらぶのオタク。

初めて行った広島で、見ず知らずのおじ様に代行を依頼する。今まで近場の東京遠征は数え切れない程しているけれど、未だに同じ事に出くわした事はない。完売しないと体験出来ない事だから、寧ろ出くわさない方がいいかもしれないけれど。
今考えてみると個人情報やら金銭管理やらネコババやら何やらを思うと中々に無謀だったと思うけど、なぜか母も私も疑ってなかった。
それに、今思えばあの人に依頼して良かったと思う。と言うよりもあの時あの人があの美術館のホールにいてくれて良かったと思う。
私の中で広島の思い出と言えば一番はこれなんだけど、今回の件の功労者である母にとっては違うらしい。
未だにテレビで厳島神社が出る度、「前に行ったわね。あの時、【YOUは何しに日本へ】で外国人が厳島神社に行っていて、行ってみたかったから広島行くってアンタが言い出してよかったわ」と懐かしそうに話している。
更に言えば、泊まったホテルの牛乳が濃厚ですごく美味しかっただとか、ホテルの朝食で出た焼きたてのパンが美味しかったわね、とか薔薇園が近くにあったとか、そういう話ばかりを母は楽しそうに話すのだ。

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