見出し画像

予定調和の外に音を探す

私にとって『音』は特別な意味合いを持つ。

音といえば言葉、音楽。
まず身近なものとして想起されるものたち。

https://open.spotify.com/album/6IScXwjWgXRIwD5S2MsJNk?si=N841en_oRJ-wjcXtSu6uzQ

このプレイリストは最近私が今このnoteを書きながら聴いているもので、本当に素晴らしい。
私の思う「美」にアクセスする際のアクセスキーになりうる音色を奏でてくれる。

音はこれ以外にもたくさんある。全てのものは音を持つ。

そして、音は魔力を持つ。

画像1

優れた音は真髄に響き渡る。その場所が奥であればあるほど、繊細な部分をそっと撫でるような、優しく照らすような。時には厳しく撥ね付けるような。そんな感触を覚える。

私は常々「美しさ」と「本物」を追い求めている。

自己表現するんだったら美しいものを。本物を。

極限まで研ぎ澄まされた音色を私は奏でたいと思うし、響かせたいと思う。
より綺麗な音を、と。ここに理由はない。

洗練された先に何が待っているのかもよく分からない。怖さと憧れのようなものは今ここにある。

今の生活で音を扱っているのかと考えたらパッとセッションの時間が浮かぶ。
音は高低差、濃さ、鮮明度、奥行、色んなものから感じていると思う。とはいえ最後は

「美しいか美しくないか」

ここに帰着する。直感極まりないけれど。

私にとって人は音楽そのもので。人という楽器、音楽を扱うのが一番エキサイティングでダイナミックで、最高の娯楽だ。

クリアでないとき、エネルギーが適切に使われていないとき、濁っているとき、澱んでいるとき、本当を話していないとき。

わたしはそこに不協和音をみる。
割とわかりやすく怪訝な顔をしていると思う。(笑)

何も譜面のないまっさらな楽譜に音を乗せていく。共に即興で奏でる音楽。

音色をみながら表現を楽しんでいく。一緒にボルテージが上がっていく感じがする。

微細なまでに調律がなされ、整い、創作をはじめる。その場における完全に、美しいものに限りなく近づいてゆく。

世界に手を広げるような感覚になると思っている。
たくさんの存在がその場には存在する。私は私だけではなく、同じようにあなたもあなただけでは本当の意味で創作は成されない。

天才と呼ばれる人たちは紛れもなく神と、大いなるものと共に創作をしている。

創作に終わりはない。その"ない"ということに対して、同時に"ある"ということに対してどれだけ最高最善を尽くせるかどうか。

以前noteに記載した表現を引用する。

■いかに自分に正直であるか
■現状を素直に受け入れられるか

https://note.com/__kocchann__/n/n3d5aac3bcb69

私にとって生きるということは、

「より美しい音を。」

この気持ちを忘れずに、ここにまっすぐに生きるということに言い換えられるのかもしれない。

調律がとれた状態になるとき、白い光に包まれるとき、人は固有の輝きを放つ。それは予想の着くものでは無く、予定調和の外であるかもしれない。

ここから先は

0字

¥ 1,500

励みになります☺️