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自分が怖い(完全メモ帳)

せめてマシュマロに溺れたいアヒルの気持ちでまろやかにしたいnote(以下)

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時間が怖い。重たい。そう感じることが増えた。
これから待っているものに対して、自分の心は、追いついていない。

何かが変わった。最近。

20年間、頑張ってきたはずだ。あんまり甘いものは味わっていないが、それでも十分な人生だった。生きていてよかった。そう思う。

遺書でもなんでもなく、これは本音だ。

これから頑張る力なんて、もうない。本当は。
それでも生きていこうって、与え続けていこうって、生きてきたはずなのだ。
自分でいることに、疲れがさした。

何をしても、時間は続く。もう十分生きたんじゃないか?まだあるなら、あと寿命で言っても40年はある。無理みが深い。とはいえ、じゃあ授かった命があるのなら、命を燃やせ、と選択したが。最大限選択したが。

生きるか立ち止まっている。

自分のしたいこと、やり残したこと、これからしたいこと。

選んだつもりだ。
生きているということが、重たくなってきた。
輝かしい人生があろうが、世紀末みたいな人生が待っていようが、関係ない。
何を見たらやる気になるのだろうか。今が重たい。

今が重たいのだ、どうしても。
何を持っているのだろうか、命、私の世界が違うのだろうか。(だといいななんて、)
ふと考えた、これが病だったらいい。薬で治るなら万々歳だ。病でもなんでも引き受ける。「生(セイ)」以外なら受け付ける。

こんな辛いひと時があるだろうか。何も役に立たないのだ。
自分できっかけを掴まないといけないのだ。

後ろ向きだろうがなんだろうが、私は生きる気はある。とっても生きる気があるから考えたのだ。

丸いけど足りない。何かが、私を脅かしている。

『生きるのか。』すごく問いかけてくる。
これから先の人生は、生きたいという気持ちが大事なんだと思う。でないと、乗り切れない船に乗っかっているのだと思う。そういう決断を(無意識にも意識にも)したことを分かっている。

見なくていいものを見た。後悔はしている。でも戻れない、これから先、前を向いて生きていくためには、ここにいるためには必要。どうしたらいい。

こういうのって、どうしたらいいんだろう?途方に暮れている。

なんで、生きるためには決断が必要なんだろう。なんで、こんなに気合いみたいな人生送っているんだろう。疑問でもないですが、一応置いておきます。これも一つなので。


変わらないと死ぬ。本能的にイエローサインを出している。
『どん底、10の数字』と言われて気付いたけど、本当にそうだとは思ってなかった。事の重大さに気付いた今日、そしてきっかけのあったこの数週間。
再来週の11/16に講座が始まる。リミット過ぎる。

『生きるのか。』すごい問いかけてくる。
これから先の人生は、生きたいという気持ちが大事なんだと思う。でないと、乗り切れない船に乗っかっているのだと思う。そういう決断をしたことを分かっている。

自分で死に追いやるようなこと、よくできるよな。自分の意志以上過ぎる。

クソ。
もっと命燃やしたいだなんて聞いてねぇし。

毎日死と闘って生きてんだよこっちは。余命宣告毎日受けてるのヤバい。という気分。
「道選んでね(※しかもしっかり自分の真ん中)♪ 道を選ばないんだったら死んでね♪ 自分の手で♪」って、怖ろしい脳天気な声。

何が何だかわからないまま、お先真っ暗なのだ。とても先が無い。命が続いていこうが、私が無いのだ、そこには。
頭に言ったように超幸せそうな人生だろうが超不幸そうな人生だろうが私には今関係なくて、何が問題かって全て自分なのだ。

今の私には超自由な時間がある、美味しいごはん、楽しい仕事、景色、美味しい空気がある。大好きな人たちと好きなだけとは言わないけれど好きに会話できる環境がある。こんだけ幸せ叶ったりみたいな環境にいても、でも私はこの将来の時間にも、今にも耐えられてない。ギリギリキワキワだ。

安心して出てきたものと言えば、“もっと生きる気持ちを。”

これからを問われている。時間を行っても帰っても、何もない。今が重たい。それに尽きる。

このままだと死ぬ。それだけ、必死に思う。

励みになります☺️