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何があってもなくても、その人のことが好きだ

『何があってもなくても、その人のことが好きだ。』

それが愛するということだと知った。されて、知った。

確かに、その人のことを知ると「好きだ。」となる。無条件に。
これまでのことを思い返してみるとそうだなと思う。(具体的な顔がちらほら)(ちらほらいてくれてありがとう。)

アーーーーーーーー。

怖さ以外で繋がることを知らなかったな。てかそれ以外で見られてたのなら、知らなかったな。なんだかんだ疑ってた。人のことを。利用する人だけ、その部分だけを見てた。自分の寂しさなんだろうな。こんなに可視化されることなくてびっくりしてる。そうでなくても人って繋がるんだ、ってこと。

存在の肯定って、他の手段でもされるんだ。
そして無条件を知ってるんだよな、感覚として。

前のnoteに書いたけど。これは確実そうなんだよな。今自分が知ってる最大限の無条件承認、命の証人者。

このnote抜粋の感覚も近いのでシェアしておく。

「今ここ」にいる 「あなた」を感じ、受け取ることを繰り返して、そこから感じたこと、浮かび上がってくることを言葉にして伝える。

「わたしは確かにあなたという存在とともに時間を過ごし、そこから生まれたものがあった」と伝える。

命がそこにあったことの証人になる。(以下noteより抜粋)

(やべぇnoteなので、よかったら見てみてね。言語化・質感がえぐい。)


体は見方を知ってたんだなと思う。見えてたし視点も持ってたんだろうけど、
見えてなかったんだろうな、心の窓で。

人を愛するってこういうことなんか。

知ると感動するんだな。びっくり。

人として見られてたんだろうなと思うとびっくりする。しかも個人名として。

そんなことする人もいるもんだ。
私のこと、素直に。

喜ばしい。
私はそう見られたと思ったんだ。それで十分だよね。

相手のこと知っていこうと思う。
相手のこと知っていけたら幸せだよね。

十分、存在を見せてくれた。だから、私も。

『愛する』の、相乗効果ではないかな。不思議な感じだなぁ。

[学び]
'1人'を見る、'個'を見る、怖がらない。
見てみたら、いいモノ💎あるかもよ。

存在を愛するって、すごいことだ。

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