8月25日
昨日次の学期の留学生を歓迎する会があったので出席したら、これまでにないくらいお酒が進んでしまったので、昨日はそのまま死んだように眠り、まいにち投稿失敗。
そんな日もあるよね。
今日はベッタベタの状態で寝てしまった代償として洗濯を。
ところでうちの乾燥機、元からついていたものなんだけど、さっき見たら残り2:30と書いてあった。え、2時間半........?洗濯待ち長すぎでは......?ここから乾燥しに뻘래방も行かないとなのに。
今日が夏休みでよかった。
さて、洗濯待ちで時間があったので、最近Netlfixで配信されたオードリー若林さんと源さんの「LIGHT HOUSE」を見た。
ついに...この2人の番組が...。
私はもともと星野源、源さんが大好きで彼の創るもの、創り続ける姿勢と、仄暗さの大ファン。
若林さんは、キューバに行った際の様子を綴ったエッセイを読んでから大好きに。文章と考え方、生きづらさに力をもらって生きてきた。
この世を恨んで、嫌うしかなかった2人、という組み合わせがなんとも良い。
でもこうして私が勝手に形容することすら、きっと失礼だと思う。ごめんなさい。でもあなたたちに救われて生きた瞬間が何回もありました。
2人が書いてきた「1行日記」が初っ端から暗くて自分にもある感覚で、安心した。
「大人になったのに、ストレスが一向に減らない」
そりゃあストレスも想像の何倍もあるよなあ。
私は留学に来る前の方が普段の生活でストレスを感じまくっていた。
家族のため息とか、大学の教室の雰囲気とか視線とか、ニュースの文言とか、ネットの喧しさとか......とにかくストレスを各所で受けてただただ怒りを自分の中でぶつぶつつぶやくことしかできない。情けないしダサいなあと思いながらまた忘れて楽しいことをする。
「灯台」の2人はそういう渇きを動力にして創作をしている、創作ができなくなってしまって世界と繋がらなくなったら自分の価値を感じられないと言ってた。
私にはそういう、自分が必要とされていると思える部分が何になるんだろうか。
2人のように歌、文章、ネタというふうに固定の創作活動をしていない私は、何で世界と繋がっていると実感するんだろうか。
ネットだろうか。それとも現実世界での嬉しい出会いだろうか。
ストレスが溜まって虚無になると、ネットにも疲れてくる。
考えてみると、私は音楽や本、ドラマを見たりして自分と同じ、あるいはまったく違うけどどこか自分と共通点がある人の話に触れることで自分の価値も認めていた気がする。
自分ひとりで、自分がやっていることで誰にも必要にされなくても自分に価値を見い出せたり楽しかったらいいのに。
というのはずっと思っていたので、2人も同じように思っていたことを知って安心した。
(2人の文章を好きだと言ってるのに、なぜ私の文章はこんなにバラバラでわかりづらいんだろうか.................)
ちょっと、もう一回くらい見てきちんと考えないと上手くまとめられなそうです。
とりあえず今日は日記として、良いものを見たぞ、ということだけ。
今日の夕飯!
いつもお世話になっている料理のお兄さんリュウジのレシピから、激痩せ鶏キャベツ鍋。
あとピーマンの焼き浸し。プラス余っていた唐辛子。これがめ〜ちゃくちゃうまい。つまみ食いしました。
鍋はまだ作っている途中だけど、絶対うまい。
今日のお会計
鶏は安くなっていたので1kgで5900ウォン。
あとはキャベツが1/4玉で1200ウォン。
あとはふりかけのり(김자반)がなくなってので買い足し。
いつも買っているのは70gの大きいパックで2600ウォン。
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