23.自動車学校に通い切った話


 三十歳の秋、だったと思う。僕は自動車学校に通うはめになっていた。

 というのも、ここは北海道の片田舎で、自動車を運転できないのは死活問題だったからである。

 父が免許を持っており、兄も免許を持っており、更には祖母も免許を持っているので、僕と母が免許を持たないことは些細なことだった。だが、祖母は僕の五十歳上だ。つまり今年八十三歳になる。とっくに後期高齢者だ。

 頭も体もしゃんとしているが、動体視力などは衰えている。本人も最近は夜の運転や悪天候での運転を嫌がり、そろそろ免許の返納を考えていた。

 つまり、免許所持者は二人になる。

 父母はそれに危機感を覚えたようだった。

 かねてから、金は出してやるから免許を取りなさいといわれていて、とうとう、それが現実のこととなったのだ。僕は車で七、八分の距離にある自動車学校に通うこととなった。

 学校と名の付くところに通うのは実に八年ぶりである。

 僕は人見知りだし、初めて行くところに恐怖を覚える性質なのだが、当然手続きには母が付き合ってくれても、授業を受けに通うのは僕一人だ。知らない人がたくさんいるところに? 無理だ鬱だ氏のう('A`)

 十月の下旬、嫌だ嫌だという僕を無視して手続きが進められた。泣きたい。最初の授業は十月末から十一月頭にかけてだったと思う。

 僕は基本的に毎日昼寝をして過ごしていたので、連日授業が入るとしんど過ぎるため基本的には一日おきに授業を入れることにした。朝早起きはできないので十時以降の授業にしていたと思う。帰りが遅くなるのは嫌なので、基本的に午前に一コマと午後に一コマとか、午前に二コマと午後に一コマ、みたいな感じだったと思う。母に弁当を用意してもらって持参した。近くにコンビニもない不便な場所だった。

 帰りが遅くなるのも嫌だったが、夜になると高校生がわらわらと来るのも嫌だった。何度か遭遇したが、帰ろうと送迎のバスを待っていると、場内や路上での運転練習を終えて戻ってきた高校生たちが十人くらいぞろぞろきゃっきゃと入って来るのだ。恐怖でしかない。

 その点昼間は、二十歳くらいのちょっとDQN入った男の子と、その子より少し上くらいに見える若干陰キャな男の子くらいしかおらず、顔見知りになり、ちょっと世間話をするくらいにはなった。安心である。

 授業はつつがなく進んだ。先生の名前は覚えられないが顔は何となく判別つく程度にはなった。優しい先生、ちょっとひょうきんな先生といて、僕は少し安心していた。場内の運転で「カラスに馬鹿にされてるぞ」といわれるくらいにはスピードを出せない僕だが、それでも頑張っていた。

 あるとき、担当になった先生が、ちょっと厳しい人だった。路上教習になってからだった。六十キロ出せる道路で、僕は四十キロくらいで走っていた。普通に、「ここは六十キロ道路だよ」といえばいいものを、その先生は、「ここ何キロだかわかってる?」とイライラした口調でいうのだ。詰るようにいうのだ。不必要に生徒を委縮させる必要ある??

 DQN君に愚痴ったら、「俺も似たようなことあったんで、受け付けに行って二度とあの先生付けないでくれっていいましたよww」といっていた。ぅゎ流石DQNっょぃ。

 結局その先生の運転授業は二回しか当たらなかったので、僕は概ねよき先生方に運転を教わることができた。

 場内から路上教習に切り替わる試験の際、本来なら一緒に受ける他の生徒が後部座席に乗るのだが、僕の時は一緒に受ける生徒がおらず、確か他の先生が乗ってくれた。

 また路上の試験でも同様にするのだが、やはり生徒がおらず、今度は女性職員さんを乗せた。全く知らない他の生徒を乗せるより、多少気楽だったと思う。

 ただ、場内か路上か、どちらの試験か忘れたが、本当は乗る生徒がいたらしい。ただ、迎えの場所に時間通りに来ず、結局ドタキャンだったようだ。大丈夫かその人。免許は取れたんだろうか。三年経つ今でもたまに思い出しては心配している。

 ちなみに僕は嫌だ嫌だといいつつ一度も欠席せず、試験は九時とちょっと早いが何とか起きて駅まで行き、送迎車に乗った。無遅刻無欠席。素晴らしい。

 S字とクランクが苦手で練習では一度も上手くいかなかったりもしたが、なんと仮免なども一度も落とさず取った。S字もクランクも一度も乗り上げずすっきりクリアだ。

 最後の日、一番優しくまた回数も多かった先生が帰りのバスの運転手だった。本来なら自宅から徒歩二十分以上かかる駅までの送迎なのだが、「最後だから特別に」と家の側まで送ってくれた。家の場所の説明に苦心した。目印が無いので……。

 そして忘れもしない十二月二十六日(多分)、札幌の会場に免許を取るための筆記試験を受けに行った。普段送迎の車が来る場所の近くのバス停からバスに乗って、他の受検者たちと一緒に向かった。

 朝がとてつもない早さで、確か五時半頃のバスだった。自動車学校に通う間はほぼ必ず歩いてそこまで行っていたが、流石に父に車を出してもらった。冬なので真っ暗だった。

 気合いと根性で起き、冷食のグラタンを無理矢理押し込んだ。吐き気を堪えてバスに乗り、寝ようとしたら他の子たちは筆記の勉強をしている。僕も一応教材を持って来ていたので、おざなりに見て、結局ちょっと寝た。万全の体調で臨むべきだからね。

 知り合いは誰もおらず、僕が使う鞄と同じブランドの鞄を見付けて勝手にちょっと親近感を抱きつつ、緊張の中で筆記試験が行われた。僕はなんとか合格したが、中にはお友達と来たものの自分だけが落ちてしまった……なんて子もいた。南無。

 そういう訳で僕は晴れて自動車の運転免許を手に入れた。

 ……どれくらい乗ったかって?

 そうさなあ、五分にも満たない距離を、二回かな。

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