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【備忘録3】昨年1000時間音楽を聴いてた理由 ゼロ距離編

音楽がすきだ。

始まりはThe BeatlesのMDを父からもらい聴いてきた小学校高学年。通学の時間が長く、今思えばイヤホンつけた小学生なんてちょっと生意気に見えるがまさにそんな感じだ。あとはaikoのまとめのMDもあったかな。

そのうち忘れもしない、烏龍茶の懸賞でiPodが当たりそれを使うようになった。ちょっとやさぐれたカンフーパンダとPKをする不思議なゲーム。今のiPhoneなんかよりもっと重たい綺麗なブルーのそれに初めて入れたのは当時流行ってた『のだめカンタービレ』のサウンドトラック。後はここでもaiko。SMAPも入れた。

そして中学生になり、嵐にハマる。全アルバムをTSUTAYAで借りて入れた。嵐ばかり聴いていた2年間。

そして中学3年の時。それまで母親はライブに行くことを私が大きくなるまで我慢していたそうだがついに我慢の限界だったそうだ。私を連れてDREAMS COME TRUEのライブに行った。

そしてDREAMS COME TRUEにハマり再び全アルバムを聴きまくる日々。
それと並行してラジオに出会った。

関西在住、もしくは音楽好きの方ならわかるだろう、FM802をずっと聴いていた。1日5時間くらい聴いていた。つまり授業中もイヤホンを隠しながら聴いていた。困ったもんだ。成績よりリクエストが採用されて、メッセージが読まれる方がずっと大事だった。困ったもんだ。

それが故、何度か電話出演もしたし、毎月何か家に届くし、終いにはDREAMS COME TRUEとラジオ上で電話で話をしたりした。

そうして音楽好きの私は出来上がった。No Music No Life。昨年1000時間以上サブスクリプションで音楽を聴いてたとApple MusicないしSpotifyからレポートが上がってきた。サブスクダブル契約。
(と言いながら2つとも家族契約しているので3で割ると一つの価格にもならない。強い)

そんな私は音楽の聴き方、楽しみ方が3種類ある。なんとなくこう名付け、一つずつ書いていく。

・ゼロ距離 編
・別世界  編
・中 毒  編

なんともネーミングセンスのなさにがっかりくるが今日はゼロ距離編を。

ゼロ距離 に当てはまるアーティストに求めているものは歌詞にどれだけ私自身が救われて鼓舞されてきたか、というものだ。いわば私にとってお守りのような存在。なので必然的に詩に重きを置いているアーティストであり、あまり音自体に統一性はない。ただ、こういう感情の時にこれを聴けばわたしは本当に泣いてしまうし、本当に奮い立たせられるし、本当に頑張れる。という感覚。もちろん聴く側にそれを求めて歌っていない人も多いだろうし。いわゆるシンガーソングライター、のみしかここには当てはまらない。

端的に言えば、自分の思っていることを歌詞に乗せてその感情や歌詞が1番生きる音楽性で歌っている人だ。そこに共感、感化されているために私はその音楽を聴くのである。

だからアーティストの人間性もすごく見てしまう。インタビューの内容、MCの内容、最近であればSNSの内容。そこまで含めて生き方や考え方をも尊敬できる人たち。

ここのど真ん中に突き刺さるアーティストは

長澤知之
Nakamura Emi

の2人。

歌詞を読んでみてほしい。

この星から見れば点でしかない
生活範囲をうろうろし 宇宙の先を望んでる
母なる海なら父なる空か
僕らを守り閉じ込めてもいる
目で追いきれない膨大な今
あるかも知らない 果てなき無
そのすべてに出会いたいバクテリア
長澤知之/蜘蛛の糸
八方色した醜い私を
笑われながら拾ってくれた
周りは言っただろう「万人受けじゃない」
それに「扱いにくいぜ?」
知恵,見栄ありアラサー
この案件危険だらけ首かしげる人だらけ
これは痛恨のミスになるのか
こいつの人生を変える事になる
でも見てきた世界も変わるかもしれない
(中略)
「YAMABIKO」を越えなくちゃ
一瞬でも考えた自分
青ざめて嫌気がさした
越えるも何もないだろう
結果を気にして書いたら
私の曲はすっからかんだ
人を気にして書いたら
このデビューはおじゃんだろう
Nakamura Emi/メジャーデビュー
こういうお国柄ですんで不自由は致しませんが
そういう言葉を簡単に使うことが出来ませんで
それは『会いたい』ですとか
『抱きたい』ですとか
『信じてる』ですとか
『愛してる』ですとか
貴方の事を延々と書いても
貴方に届きはしない
ダイアリー ダイアリー 僕の妄想的ポスト
こちら桃源郷より桃源郷へ P.S.SOS
この考えが終わらない限り
この家は核シェルター
ダイアリー ダイアリー
僕は泣けばいいんですか
こちら桃源郷より桃源郷へ
桃源郷より桃源郷へ
長澤知之/P.S.S.O.S
私達の高校生時代ルーズソックスは絶対の毎日
腰履きは制服のルール
黒く焼けた肌にケータイツール
この子達が日本背負うなんて
日本はもう終わりだなんて
大人に白い目で見られてた私達がもう30代
30代でもまだ大人を見ます
見られてないと思ってますか?
そういつまでも見られている大人
そういつまでも見つめている子ども
あの若者が親になってあの若者が子どもを育て
その子どもが親になって
その連鎖は素晴らしいはずなのに
戦争を生きた大人もバブル時代を知った大人も崩壊した日本で育った私
ゆとり世代といわれる子達
それぞれの時代で育ち
ありえない時代の進歩に
昔の子どもの影はなく
昔を伝える人もいなく
子どものせいに世界のせいに
日本のてっぺんのせいに
そんなのかっこ悪い大人が言ってしまった理由だろうが
どんなに時代が進歩しようが
オオカミが育てればオオカミになる
子どもの心は真っ白なはずだろう
命の連鎖は素晴らしいだろう
プレゼント〜繋ぐ〜/NakamuraEmi

読んでみた感想いかがだろうか。

SNSで何を言われるかわからず
ちゃんと炎上しないよう気を遣いながら書く。
そんな世の中に発信する、ということは今や決して自由でないはずなのにここまで自分の心や気持ちをおおっ広げに包み隠さず書くこの様にまずわたしはびっくりした。

2人の書く曲は間違いなく彼、彼女でしかなく
まず音楽に対する気持ちをそこから汲み取った。そういうスタンスで音楽を曲を作り、歌詞を書いているのだと。初めて聴いた時は胸をえぐられた気がした。決して心地よくはない。ただ、ただこの2人の音楽を聴くと強くいれるのだ。

なので私はこの2人の音楽を『聴く』、というよりは『聞く』感覚である。
どんなに心が沈んでいても折れそうな時でも2人の曲は特効薬だ。ボロ泣きすることもあるし、押さえてた感情が怒りになることもある。ただ倒れてる私を確実に起きあがらせてくれるのだ。起き上がらせ方は手荒なこともある。ただ手を引っ張られ引きずられるような、後ろから蹴り上げられるような。一方でそっと新しい靴を差し出してくれるような、そっと目の前を灯してくれるような優しい曲もある。
ただ全ては私が彼、彼女の歌や彼ら自身を尊敬し、慕い、人として信じているからこそなし得る関係性なのだと思っている。

あなたにとってそんな存在はありますか?

まだまだ2人について話すことはできるのだが今日はこの辺りで。いつかこの5倍くらいの文字数で2人について語りたい。

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