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新型コロナ【中等症でも死を覚悟した話】実例

 私のリアル知人にはcovid-19にかかり中等症まで至った人が今のところ3人居る。このうち2人はそれぞれ自分の世界を守るため、身内にしか話していないそうで。
 私は他所様の実名を挙げてその人の不利益になるような事を話すことは一切しないタイプなので信頼されているのか、事後とはいえ内緒でこっそり打ち明けてくれたことはとても嬉しく感じる。(それが誰かと問われても、家族にすら絶対に言いません)
 しかし知人だけですでに3人目ともなると、やはり症状が重くなるケースもけっこう他人事ではないなと実感する。(軽症の人や無症状陽性の人も入れると、知人だけでもけっこうな数になる)

 3人とも会えば会話を交わす知人ではあるけれど、SNSもやっていないし常に連絡を取り合うような間柄では無いので、感染初期に妄想特効薬の話を出来なかったことが少々悔やまれる。
 SNSでアクセスした後遺症患者さんとはまた別で、実際の知人から聞く闘病の話は本当に鬼気迫る感触があって、決意やらその時のリアルな感情やら伝わってきて、聞いていると泣けてくる。よくぞご無事で!!
 その反面では、「コロナは茶番」「コロナは無い」と言ってる別の知人も居て、まぁカオスな世の中になったなと。(身の回りに辛い症状者が出ないとわからんかもなぁ)

◆ 中等症とは?

 covid-19で中等症というと、「入院はもちろんのこと、人工呼吸器を着ける必要がある状態」のことらしい。軽症でも悪化するとインフルの比でないほど辛いということはよく聞いてきたけれど、中等症ともなると「治る気がしなかった」というのが共通するシビアな意見。
 そりゃ数日前まで超健康だった壮年期の方が突然人工呼吸器を着ける事態に陥るわけだから、「とんでもないことになってしまった」と不安な気持ちになるのは当然のことだろう。

 ちなみに昨夏には軽症扱いの人でも1名、人工呼吸器(※)を着けていた人が居た。陽性で自宅療養していたところ、容態急変して肺炎症状が出た方。救急で運ばれた直後に私も知ったので、即座に医師の許可を得て妄想特効薬を摂ってもらったのが記憶に新しい。呼吸がほぼ出来ず超高熱でものすごく辛かったようだが、これでもあくまで「軽症」なのだそうで。(妄想特効薬が効いたのかはわからないけれど、その方は2日で人工呼吸器(※)が外れた)

(※ 訂正:ごめんなさい、確認したら上の軽症の人、人工呼吸器ではなく酸素吸入器の間違いでした!)

◆ 「このまま死ぬかも」

 処方された薬は全員「アビガン」だったようだ。解熱剤が処方された人も居て、免疫が戦っているのに邪魔して大丈夫なのか?と素人ながらに思ったが、それだけ危険なほどの高熱だったのだろう。
 アビガンは一時期国産の特効薬として期待されていたけれど、臨床現場では「効いているのかわからない」という声も多い。中等症に対する認可薬がまだ無いので、医師も悩ましいだろうなぁ。もういっそのこと、実験上でのACE2結合阻害効果がレムデシビルに次ぐと言われている某妄想特効薬(結合・増殖阻害成分)が薬剤認定されればいいのに。ま、薬については不勉強なのでこの辺で。

 さきほど「治る気がしない」と書いたけれど、実際のところ皆さん「このまま死ぬかも」と一度は覚悟をしたそうだ。たしかに熱が全く下がらず、超絶苦しい状態で人工呼吸器を着けたまま何日も過ぎていく絶望というのは実際に体験しないとわからないだろう。
 「死ぬ覚悟」と書くのは簡単だが、それはもう本人にとっては壮大なストーリが裏にあるはずだ。子供の将来の心配を筆頭に、残り数日で生涯を終える覚悟なんて、誰だって想像すらもしたくないだろう。でもそれだけの覚悟が必要なほど、症状も精神も辛く苦しい状態だったということだ。

 世間(特にSNS)では楽観論も大量に出回っているが、「単純な楽観」はただの現実逃避に過ぎない。いざ自らが当事者になったら、この上なく焦り、苦しみ、また誰かのせい何かのせいにするのだろう。
 かく言う私もかなり楽観視して遊び回ってはいるが、「単純な楽観」とはレベルが違うと自負している。おそらくは一部の差別主義者から「コロナ脳」と揶揄されるであろうレベルの対策を(他所様に対して)徹底しているので。
 「このまま死ぬかも」なんて思いを目の前の相手にさせたくなければ、舐め腐っている人も何らか対策をお願いしたいものだ。

◆ 漏れなく後遺症に

 3人とも後遺症があったそうな。(過去形)
 中等症に至るほどのウイルス量ともなると、やはり漏れなく何らかの後遺症が起こるのだろう。詳しくは聞いていないが、話の中で確認できた3人の後遺症は以下。

・倦怠感
・味覚障害
・嗅覚障害
・猛烈な脱毛
・息切れ
・胸(肺?)の違和感
・記憶障害気味?(集中力が浅い・忘れっぽい等)

 ※ 全員混ぜて書いているが、各個に出ていた症状とタイミングを分析すると、なんとなく見えてくるものがある(書かないけど)。

 皆さん、退院から時間経過とともに症状は薄らいでいったそうで。(3ヶ月~半年)
 味覚嗅覚は数ヶ月で戻る感じだろうか。脱毛は血流が改善され次第落ち着く感じだろうか。倦怠感は免疫が正常化すれば戻る感じだろうか。息切れは慣れるのに時間かかる感じだろうか。(妄想しかできない)
 こういった後遺症に関しての研究が完結するのはいつになるのだろう。

 中でも3人中1人に出ていた「記憶障害気味」というのがものすごく気になるけど、話している感じは普通に軽快なトークだったので、生活に支障をきたすレベルでは無いということかな。脳関連だと世間ではME/CFSとか恐ろしい後遺症が出ている方も居るようなので、後遺症で言えば軽症の部類だったのかも。

 なんにせよ、喰らわないに越したことはない。

◆ 感染現場がわからない

 身近に感染した人が出ると、いつ?どこで?と気になってしまうのは誰もがそうだと思うけれど、私の知る陽性だった人のうち、(無症状の人も含め)ざっと15人ほどが「どこで感染したかわからない」と言う。
 そう、初期はインフルのような強い症状は無いし潜伏期間もマチマチ、そしてウイルスは目に見えないからわからないのは当然だ。ただひとつ確実に言えることは、「そこに感染者が居た(たぶん)」ということだけ。(確実とたぶんの共演)
 たとえば、、、

「カフェで隣のお客さんがノーマスクで勢いよく喋っていた」とか、
「同僚と2時間ほど対面で話しながら飲食した」とか、
「エレベーターに直前に乗っていた人がノーマスクで猛烈にくしゃみした」とか、
「入ったトイレの個室で直前に下痢便した人が蓋を開けたまま流した」などなど、、、

 こんなのわかるわけがない。

 だからこそ
「換気悪い閉鎖空間に長居しない」こと
「換気悪い閉鎖空間で深呼吸しない」こと
「目の前の相手に飛沫を浴びせない」こと
そして「閉鎖空間に飛沫を残さない」ことはとても重要なのだけど、なかなか浸透しない。逆に言えばこれらさえ気をつけていれば(曝露量下がるから)そこまで恐れる必要もないはずなのに、なぜもっと浸透しないのか。こんな簡単な対策をせずに運に任せるなんて本当にもったいないとも思う。
 ※特に飲食店経営の方は「換気」に気をつけましょう。いつ感染者が訪れるかは運次第なので。

◆ 自粛や規制って効果ある?

 それは実際のところわからない。(話が飛んだ)
 が、自粛や人流規制をすることで一定の効果はあるとは思う。感染の機会が減るわけだから、ある程度減るのは当然のことだ。ただ、それが的確な対策かどうかという判断はなかなか難しい。
 感染の機会を下げると言っても表面上の確率が下がるだけで、もともと多くの人がマスク着用できていてマナーもしっかりしている日本では、劇的な効果は得られないのではないかと思っている。だって、日本では元々対策を全くできないごく一部の人が広げていて、そういった人は簡単には変わらないので。そして、そもそも自粛やロックダウンというのは劇薬の類なので極力使わずに、日本では飛沫マナー促進のほうがうまくいくのではないかと思っている。(国内メディアがダメダメなので難しいけど)

 昨年初期から今現在も、国内のマスク率は非常に高く、もともと飛沫の少ない言語特性の日本では空間飛沫量がかなり少ない状態を保てているためか、インフルはほぼ壊滅したし、covid-19も感染爆発とまでは言えない状態が続いている。
 しかし世間では感染対策の是非について激しい議論が交わされていて、中には過去のインフルエンザとの比較を持ち出して対応を批判する方が居たりするけれど、「今と同じマスク率や対策だったら一昨年までのインフルはどうだったか」を検証することは出来ないし、「一昨年までの対策だけでコロナ禍を迎えていたらどうだったか」を検証することも出来ない。
 緊縮派も反コロナ派も、皆さん検証の術がない数字を必死に比較して持論を述べられているけど、これほど無駄なことはないので止めたほうがいいと思う。というか、一体何と戦っているんだろう。

 自粛の話も同じで、「あのとき緊縮していれば」とか、「今このタイミングで自粛していなかったらどうなっていたか」という仮定の未来を見ることは出来ないうえ、季節や気温や湿度や人流や運や黄砂や行事やイベントやら、感染症の伝播には様々な要因が絡むので、検証したとしてもそれを証明する術はないし、結局のところ政治や行政の批判材料にしかならない。「〇〇しなかった未来」を証明するエビデンスなんて無いのだから。

 将来的に「〇〇しとけばよかったかも」「○○はアカンかったよね」と、反省はできるかも知れないけれど、実証実験ができない以上はエビデンスなんてあって無いようなもの。
 不毛な議論を重ねて誰かのせい何かのせいにする意味の無さ、というか愚かさに辟易とする今日このごろ。

◆ 規制すべきは店側か客側か

 規制されると反発する人が必ず出てくる。そりゃそうだ。皆さんプライドを持って仕事や生活をこなしているわけだから。
 ただ、今回のコロナ禍において、どうしても規制するのであれば、本来は客側であるべきではないかと思っている。ウイルス出す可能性は客のほうが圧倒的に高いので。というか、店に限らず飛沫と換気についてもっと各個人が考えるべきではないか。
 飲食店で言えば、

 ・店は換気を頑張る

 ・客は飛沫を飛ばさない努力をする

 この2つだけで状況はかなり改善されるはずなのだけど、どうしてもうまく行かないのは、まぁやはり「色んな人が居るから」これに尽きる。

 世間ではマスク会食について議論が盛んに行われているが、実際のところ「屋外では頑張ってマスクしてるのに、席についたらマスク外して話し出す」というよくわからない客だらけ。そりゃ抑えなきゃならない行政サイドからしたら規制したくもなるだろう。(ちなみに私は屋外ではほとんどマスクしていません)
 
 ド平日の閑散時刻にひとりでバーに立ち寄り、バーテンダーさん達の分も合わせて4~6杯(自分は2杯ほど)飲んで30分程度で次の店へ向かう。1日3~5軒顔出してその日のうちに帰る。
 これは何年も前からずっと続けている私の呑み方。covid-19が流行しだしてからは、「話すときにネックゲーター(2層)を上げる」を追加しただけで何ら変わりない。他の客には不思議がられるが、会話時の布カバーは「お店の人を濃厚接触者にしない」ためには絶対に必要なことだと思っている。(ネックゲーターはもともと襟汚れ防止のため、ネクタイの代わりというかスカーフ的に大昔から愛用している)

 某御方のブログで、「しみったれ」た人が感染を広げているといった記載を見かけた。本当にそうなのだと思う。対策できない人にどう変わってもらうかというのがコロナ禍最大の難関かもなぁ。
 規制までは行かない「マスク会食」という無理くり出してきた妥協案ですら完全拒否する人が多い現状。コロナ禍は本当にその地域の民度を問うている気がする。
 せめて流行中くらいは静かに食おうよと。

◆ 曝露量を下げよう

 中等症の話に戻ります。
 これまでの記事でも書いてきた通り、covid-19は「多少喰らう程度なら大丈夫だが、健康体でも曝露量が多いとけっこうひどい目に遭う」ということはほぼ確定事実だ。中等症に至った知人3人も「どこで感染したかわからない」とのことだが、おそらくは「免疫力が下がっている状況で喰らった」か、「知らぬ間に曝露量が増え」ていたり、「思いがけず大量曝露」してしまったかのいずれかだと思っている。(「所有してくすぶっていたところ免疫力が下がって増殖した」というのもあるのかも?)

 曝露量を下げるには少しの知識と意識改善が必要だけど、慣れると全く気にならない。難しく考えずに「曝露量を下げる」のにもってこいの「1/100作戦」という考え方があるので紹介しておこう(ここんとこ毎回紹介しとるなこれ)。

【1/100作戦とは】
京都大学の宮沢准教授が提唱している「曝露量下げる作戦」のこと。
主な内容(意訳)は以下。
・付着ウイルスを1/100にしよう(手洗いうがい)
・目鼻口を触らない(侵入の機会を1/100以下に)
・空間ウイルス量を1/100にしよう(換気せぇ)
・人に浴びせる飛沫を1/100にしよう(マスクせぇ)
・風邪症状~数日は人と接触を避ける(感染力が1/100になるまで)

※ 1/100はあくまで曝露量イメージで、環境差や個人差があります
※ 慣れたら1/1,000~1/10,000を目指そう

 ウイルスにしても菌にしても、発症の有無や重症度を左右するのは「免疫力vs曝露量」次第だ。covid-19に関しては、曝露量を下げておけば、日本人にとってそこまで恐れる感染症ではないと考えられるため、1/100作戦と言わずとも曝露量を下げる考え方を多くの人に周知できれば、ムリな強制などせずともそのうち収束に向かうのではないだろうか。

 思いがけず食らって悪化してしまい辛い思いをする人や、寿命よりも早く亡くなってしまう高齢者をを少しでも減らすためには、やはり多くの人の意識改善が必要かなと思う。

 コロナは無いと信じている方も、「このまま死ぬかも」なんて思いをする被害者が少しでも減るよう、少しだけでもいいので協力をお願いします。


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