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拝啓 あの日の君へ

きっかけは偶然であり必然

「推しは探すものじゃなくて向こうからやってくるもの」といったような言葉を耳にしたことをふと思い出し、このnoteを書き連ねている。

上記の言葉を彼に当てはめて良いのか定かではないが、言われてみれば、まさにその通り、彗星の如く颯爽と現れたことを今でも鮮明に覚えている。

その人物が、他の誰でもない古賀太陽選手だ。(ここからはいつものように古賀くんと呼ばせてもらうことをお許しいただきたい)

全ての始まりは一昨年に行われたAFC-U23選手権(E-1選手権)に遡る。自分と同年代の選手たちが世界を相手に懸命に戦っている。それだけでも胸を打つものがあるなか、気づけば自然と応援に力が入っていた。開催国の特権としてオリンピックへの切符は既に手にしているものの、蓋を開けてみれば結果は予選敗退。試合内容もそれぞれお世辞にも良いとは言い難く今一つで終わってしまい、本選へ向けて不安の残る内容となった。

そんな中、とある選手が目に入った。大事な初戦であるサウジアラビア戦にて、バックパスをしたところ味方との連携が上手く取れずそのまま相手の決定機に。PKを与えてしまう要因となった。試合後に項垂れる姿はとてもじゃないが見ていられなかった。それまでどれだけ良いプレーをしていようとも、たった1つのミスが命取りとなってしまうDFの歯痒さというかもどかしさ、言うなれば宿命のようなものを垣間見た気がしてならなった。本人にとっては思い出したくもない苦い記憶として刻まれているかもしれない。でもそれが、応援しようと思い立ったきっかけだった。直感で、ビビッときた。


直感が確信に変わった

もともと熱しやすく冷めやすい上に飽き性な私だが、そのまた一方で昔から好きなものに対してはまっしぐらだった。一度その対象に興味を持つと気になって仕方なく、例えばそれがアーティストだったらMVや過去のライブ映像を隅から隅まで見漁る。そう、根っからのオタク気質なのである。そのためか古賀くんを知るのにそれほど時間はかからなかった。今思えば、もうその時点で彼の虜になっていたのかもしれない。それからというもの、光の速さで柏レイソルのファンクラブ(=アソシエイツ)に入会した。そしてチケットを取り、聖地である日立台に足を踏み入れることとなる。

サッカー好きでグラサポの兄と母の影響もあってか、幼少期から何かとサッカーに触れる機会が多かった。ちなみに選手名鑑を用いては"ヨンセン!"、"ダヴィ!"、"ケネディ!"などと連呼し、外国籍選手を覚えるのが異様に得意だったそうである。どんな子だよ…。(今となっては兄・母の英才教育に圧倒的感謝…!という気持ち)代表戦からJリーグまで、画面越しではもちろんのこと、それこそスタジアムで観戦することもしばしば。しかし、そこに自分の意思はなかった。飽くまでもただの"観客"に過ぎなかったのである。

それを変えたのは、私にとって原点的な存在である選手との出逢いだった。その選手を見たいがために安くない交通費と限りある時間をかけて練習場にまで足繫く通ったりもした。海外に羽ばたいていった今もなお陰ながら応援させてもらっている。

当時の熱量を呼び起こさせてくれたと言ったら烏滸がましいかもしれないが、ありふれた言葉で言えば、誰かを応援することの素晴らしさ、嬉しいも悔しいも、その様々な感情たち全てを共有出来ることの尊さを再び私に教え与えてくれたのは、紛れもなく、他の誰でもない古賀くんだった。

もともと私はDFの選手を好む傾向にあった。何もMFやFWの選手に魅力を感じないというわけではない。よく「良い攻撃は良い守備から」と往々にして言われるように、DFの選手だからこそ魅せられる、DFの選手にしか成し得ることの出来ない、ここぞという時のプレーが好きだ。ハイライトに映りきらないプレーの数々からは、彼らが縁の下の力持ちであると同時に影の立役者であること、そして、チームの根幹を担う存在であることが見て取れる。まさに所謂"いぶし銀"といったところだろうか。

本人も口にしている通り、古賀くんの持ち味は何と言っても精度の高い両足のキックと禊のパスである。

その両足から繰り出される繊細で調和のとれた、それでいて緩急のついた鋭いパスは、これまで幾度となくチャンスを演出してきた。彼に利き足という概念など存在しないのではないか?そう思わせられるほどである。事実としてチーム内におけるパス数は圧倒的で、スタッツにも顕著に表れている。それだけではない。相手をいなしながらのプレーにも目を見張るものがある。如何にボールを奪われず、チャンスの種を蒔くことが出来るか。広い視野、高い視座を持ち、冷静且つ周りを俯瞰で見られる能力に長けている彼だからこそ成し遂げられる技である。それらのプレー1つ1つはまさに彼そのものを物語っているようで見入ってしまう。 

次に、古賀くんを語る上で切っても切り離せないのが彼の人となりについてである。クレバーなプレーと同様、私はその人柄に惹かれたのだ。惹かれてしまった。むしろそれが応援したいという気持ちをより加速させたといっても過言ではないだろう。1つ例を挙げるとするならば、あれは忘れもしない、2020シーズンのホーム横浜F・マリノス戦でのことである。競り合いの場面における接触により流血してしまった際、自身が大変な状況にあるにも関わらず、交錯した相手選手を真っ先に気にかけた上、自ら握手を求めていたのだ。何て素晴らしい人なんだろうと思った。簡単に出来ることではないだろうから。痛々しいテーピング姿で試合終了の笛が鳴るまでピッチに立ち懸命に走り続ける様子を、涙で視界がぼやける中必死に目に焼き付けた。

他にも例を挙げればキリがない。チームメイトのみならず相手選手や審判団の方々に快く給水ボトルを差し出すところや、現状に飽き足りることなく常に向上心と探求心に溢れているところ、ピッチ外では柔和で温厚な、まさに周りを暖かく、明るく照らしてくれるような”太陽”という名がぴったりなところ…。(おっと、そろそろ辞めますね)それらの振る舞い、古賀くんの一挙手一投足を見れば、自然と彼のファンにならざるを得ない。選手としての前に人として尊敬出来るところばかりなのだ。


生まれたキャプテンとしての自覚と責任

さて、このことにも触れるべきだろう。古賀くんは2020シーズンのアウェイ横浜FC戦にて初めてキャプテンを任された。当時の日立台広報日記によれば彼自身も相当驚いていたことがうかがえる。それからというもの、大谷選手の怪我による離脱に伴い、キャプテンマークを巻く機会が必然的に多くなっていった。キャプテンとしての初陣こそ勝利で飾ったが、とりわけ昨シーズンに関しては、苦しみ、藻掻いている様子が手に取るように伝わってきた。無常にも試合終了の合図を告げるホイッスルがなった瞬間ピッチに膝をつく姿、全責任は自分にあるとでも言わんばかりに申し訳なさそうに俯く姿、そこにはいつもの眩しい笑顔はなかった。それに反して勝利後に感情を露わにする姿は、常に落ち着いていて冷静沈着な彼に限って言えば、意外な一面にも見えた。それだけキャプテンという重圧が大きいことは想像に難くない。

私は以前、こんなニュアンスのツイートしたことがある。"古賀くんには既存のキャプテン像に縛られることなく気負わずに自分自身のやり方で周りを率いてほしい"と。キャプテンと言えば、やはり、チームの底上げを図り、士気を高め、全体を良い方向に導き、まとめ上げることが求められる。チームの顔として、先頭を直走る必要がある。それも、声で。背中で。古賀くんは、そういったよくある一般的なキャプテン像とはまた一味違うかもしれない。それでも、彼は彼なりにキャプテンを全うしようと逃げずに向き合い続けたのだ。キャプテンという新たな役職を背負ったと同時に、一回りも二回りも進化を遂げて。今では左腕に巻かれた腕章はすっかり馴染み、顔つきはより精悍になった。それらはまさに彼の成長を体現していると言えよう。彼がキャプテンを務めることに対しての疑念の声も、"あの日"の彼も、もうどこにもあるまい。彼の成長曲線は、まるで美しい弧を描く放物線のように、とどまる所を知らないのである。


最初で最後の

冒頭からこれまで古賀くんに心惹かれたきっかけをつらつらと述べてきたが、その理由を端的に、簡潔に述べようとするとこれまた難しい。それほど形容し難いのだ。言い換えれば、それだけ魅力に富んでいるということである。

私の好きなアーティストのとある曲の一節にこんな歌詞がある。

何億年分の何十年
天文学的確率で君と重なる数年
そんな物を貸し付けてくれたあたり
痛い辛い思いですら利子としては安上がり

こんなにも心から好きで応援したいと思える選手、存在はきっと古賀くんが最初で最後なんだろうな、と最近ふと考えることがある。数あるクラブ、多くの選手の中で"古賀太陽"という1人のサッカー選手に出逢えたことは、私にとって唯一にして最大の誇りである。

待ちに待った2022シーズンが漸く開幕し、柏レイソルは現に破竹の勢いで2勝と連勝街道を歩んでいる。下馬評を覆す強さを、チーム一体となって身をもって証明したのだ。

選手たちの熱い滾る思いとサポーターの期待が入り混じる日立台。昨季が肥料で土を肥やして種を蒔いた過程ならば、今季こそはその大輪の花を咲かせるだけである。たくさんの笑顔という名の黄色い花が満開になるシーズンになりますように。

















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