タルコフスキー『ノスタルジア』と宮崎駿

タルコフスキー『ノスタルジア』を観て、宮崎駿のある映画に似ている場面があったので、忘れる前に書いておく。前に『ソラリス』を観た時もこのシーンは…というものがあったのを思い出し、宮崎駿・タルコフスキーの比較は結構有効なのではないかと確信を持った。備忘録的なものなので、シーンについての正確な描写ではないが、分かれば良いとする。

まず最初に挙げられるのは教会のようなシーン。女性の信者たちが蝋燭を持って画面の奥から現れる、その絵の薄暗がり、効果音が『カリオストロの城』の結婚式にルパンたちが潜入するシーンとそっくりである。
あの時は神輿のようなハリボテのルパンが現れたが、それが『ノスタルジア』
では女性信者がすがる観音様のようなものに替わる。ちなみに『ノスタルジア』の
そこからの展開は、あっと驚くものだった。

次に似ていたのは映画のラスト、主人公が手に持った蝋燭に対して風除けをしながら水辺を歩いて行って、最後に蝋燭を立てるところ。蝋燭を手に握って手を伸ばすシーンの手の形が、クラリスに花を差し出すときのルパンの手の出し方に似ていた(それだけだが、十分に似ていると思う)。

もう一つあげるなら、主人公が川の中を歩いて、水浸しの廃墟の中に入っていくシーンがある。その廃墟はタルコフスキー『ストーカー』のような退廃した異世界的な感じではなく、崩れつつある白い煉瓦の壁にところどころ蔦が這っているような感じで、クラシックな雰囲気がある。廃墟に行く前の川の中に、真っ白の彫像が横たわっている。このシーン全体に、『カリオストロの城』の最後の、湖の水が抜けた後に現れるローマの遺跡のイメージが重なった。あのシーンは宮崎駿の映画の中でも私が特に好きな場面なので、何か元になっている素材があるなら知りたいなと思っている。

タルコフスキーの映画は一見でよくわかるものでもないので、もっと何回も観てから語れたらいいと思うが、わかりやすく思想を語ってくれる人物たちがいる『ソラリス』よりも『鏡』に近く、出てくる人物の雰囲気は『サクリファイス』に似ていた(と思ったら役者が同じだった)。

舞台がイタリアなのでロシア語・イタリア語混じりなのだが、イタリア語って歌のようで綺麗だな…!と思った。ロシア語はむしろノスタルジックなものとしての効果があったと思う。『サクリファイス』を観た時、やはり映画監督は映像が重要でセリフは何語でもいいのか?自分の母語じゃない言葉で喋らせるのか..と少し驚いたが、実際その部分はあるとしても、一旦はロシア語・イタリア語の対比もしていたのだなと今回わかった。

ちなみに忘れていたが『ノスタルジア』は1983年、『カリオストロの城』が1979年である。まさかの『カリオストロの城』が先だった。日本映画が好きなタルコフスキーだからきっと観ていたのだと思う(個人的には確信を持っているが、研究ではないので真偽のほどは問わないのだ)。いやはや、そうだったとは。

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