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ひとり

この文章は、文藝春秋とnoteで開催する「#未来のためにできること」の参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

やっぱり生きるの向いてない。娘が熱を出したとかで先輩が早退して、代わりの仕事を断れずこんなに遅くなった。メールの文面が誤解を招くと注意も受けたし、同期の男はさりげなく二の腕を触ってきた。帰りの中央線でもぎゅうぎゅう押されて。午前1時、最終電車が走る音に涙が出る。社会はいつも私を傷つけるし、私はいつもひとりだ。


そんなあなたも、残念ながらひとりではない。電車の中にも「ひとり」が、もしかしたら隣の部屋にも泣いている「ひとり」が、この国には1億人以上の「ひとり」が生きている。今までも何億人もの「ひとり」が生きてきたし、これからも何億人もの「ひとり」が生まれる。

あなたがぎゅうぎゅう押さないよう気をつけたから、花束を渡せた人がいた。あなたがぱんぱんのゴミ箱に飲みかけのコーヒーを押し込んだから、蓋を開けた清掃員に飛沫が飛んだ。あなたが仕事を引き受けたから、先輩の娘はてんかんから命を救われた。

人が生きる限り、喜びも、悲しみも、すべて人によって引き起こされる。どれだけ逃れようと、人は社会の中でしか生きていけない。


社会。

私はずっと、「社会」を憎んでいた。この社会には仕組みを作る大きい人がいて、自分はその仕組みの中で生きるしかない。「社会に対して違和感」そう呟くとたくさんいいねがついた。

最近わかってきたのは、「社会」や「政治」は、「ひとり」の集まりでしかないということである。魔法ではない。私が何かをしたことは勿論、何かをしなかったことも誰かの「社会」を作っている。例えば、同僚が肩を触ってきたとき苦笑いで済ませてしまったことも。 悪いことをしようとして社会を悪くする人はいない。すべて、「そうするしかなかった」で始まっている。

だからやってみたいことがある。鍵括弧を使わないことだ。

距離を取って「社会」を語り自分の安寧を保とうとせず、社会を喋る。傷つくことがあっても、近づいていく。「社会」のため行動すると「正しさ」を理由に有耶無耶にしてしまうことにも、社会のためなら批判的になれる。「持続可能な社会」をスーツのバッジや研究のテーマにするだけでなく、持続可能な社会を見つめ、未来を生きるひとりを想う。そうしないと、ひとりでなく「社会」のための社会になってしまうから。

社会はあなた以外ではなく、あなた自身である。昨晩泣き腫らしたあなたも、傷つけられてばかりのあなたも。あなたは、あなたが思うより大きい。

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