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ふたり暮らし2年目

 ひとり暮らし、実家暮らし、くらしのかたちは人それぞれいろいろあるけれど、じつはわたし、女ふたりでルームシェアしてるんですよ。それを言うとほとんどのみんなは「へえー! どう、たのしい?」と興味を持ってくれるので、いつもうれしい気持ちで話す。今日はわたしの気に入っているくらしの話をさせてくださいね。

 ひとりで住んでいた家が寒くて引越し先を探していたわたしと、新社会人になるので家を探していた高校の友達が、ルームシェアをはじめることになったのは、最初は完全に勢いだった。「え、いっしょに住む? 楽しそうだし家賃は浮くしめちゃくちゃ良くない? よしきまり!」てな感じで。まわりの友達もちょっと引くくらいの軽さだった。
 友達とルームシェア、最近は増えたと思うけれど、でもまだやっぱりめずらしいことなのかもしれない。もうすぐルームシェアをはじめるんよと親や友達に言うと、かならずちょっと心配された。やっていけるの? 人と一緒にくらすことってかんたんじゃないんだよ。ストレスになるかもしれないよ。
 22歳のわたしたちへの親切心のアドバイスを、むーん、という思いで聞いていた。言ってることはわかるけど、でももう決めちゃったし、わたしたちはやりたいし。そりゃ不安が過ぎることもあったけれど、たぶん同居人もそうだった。地元のマクドナルドに集合して、まあ大丈夫だよね、やってみなきゃわかんないよねえ、って言い聞かせるみたいにしながら、引っ越し準備をすすめていたように思う。

 結論から申し上げますと、ルームシェア、めちゃくちゃに良い。家賃も家事もはんぶんだし、おいしいお菓子は分けっこだし、そしてなによりさみしくない。
 食費は別でごはんも別、洗濯も自分で、そうじは気づいたらこまめにやる。このあたりは「ひとり暮らしがふたつある」って感じだ。ごみ出しとキッチンのそうじは交代制で、あとは適当。てきとうがいちばんよ。

 ひとと暮らすのは良いものだ。ベッドにうずくまる朝、同居人が朝ごはんの仕度をしている物音がキッチンから静かに聞こえてくる。コーヒーの香りがふわんと漂ってきて癒される。眠い目をこすりながら部屋を出て、からからの声でおはようって言い合って、準備する。
 1年半住んだ2DKには、やさしい風景の記憶がたくさん宿ってる。仕事でいやなことがあったり恋愛で良いことがあったりしたら、家に帰ってすぐ、ちょっときいてよってツイッターでつぶやくみたいにおもむろに話し出したりする。金曜ロードショーをいっしょに観たり、たまに良いお茶ともらったお菓子を出していっしょに食べたり、友達を呼んで宅飲みしたり(わたしはこれで友達が増えた)。
 わたしも同居人も「つくる」ことが好きだから、休みの日の焼き菓子や梅シロップ、パン、おいしくできたおかずなんかは半分こして分け合う。バナナケーキを交互に焼いて2週間ぐらい食べ続けたことがあったな。同居人のつくるお菓子はほんとうにおいしい。

 意外と、一週間くらいまともにしゃべらないこともざらにある。喧嘩したとかじゃなくて、疲れてたり忙しかったりして、ふつうに。おはようやいってらっしゃいは言うけれど、帰宅してすぐ部屋にこもりきりになることもある(実際いまもそう)。実家でもそういうことない? そんな感じで自然に。
 いっしょに住んでいるからって、全部ぜんぶは話さない。余計なことは聞かないし。
 そんなだから続いているんだと思う。仕事や体調や気持ち、調子の悪いときはやっぱりあるし、そんなときまで家で人に気を遣う余裕がないから、その温度感が同じなのはほんとうに助かっている。どんなに好きでも、ひとりになりたいときってあるもんね。

 同性同士だからうまくいっているのかもしれないし、同居人があの子だからうまくいっているのかもしれない。けれどひととひとがいっしょに住むのに、大事なことは多分そんなに変わらない。別々の環境で育ったふたりが住まいを同じにして、生きていくということ。思いやりとか、機嫌をわるくしないとか、そういうことは当たりまえ。お互いが心地よい空間で、自分らしく過ごせる場所を守ること。わたしは今のくらしが大好きだ。

 いつかルームシェアは終わるし、終わりは意外とすぐ近くにありそうな気もする。この先どうなるかなんてふたりともわからんし。けれど何年経ってもこの団地で暮らした生活のこと、きらきらしたあたたかい記憶のまま、ふとした瞬間に、たまに思い出すんだろうな。そんな実感のなかにいる。


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