自分の嫌いなところ

自分の嫌だなと思っていたことが
何かチャームポイントだったり好きに
変わるのって素敵だと思うんです。

手にあるほくろ、嫌いだったんです。
でも最近好きな方も手にほくろあったんです。
反対の手の同じような場所に。

自分の書く文字、
なんだか丸くて嫌いだったんです。
綺麗なスタイリッシュな文字に
憧れて練習したこともありました。
でも最近好きな方、
ものすごく丸文字で書く文字ひとつひとつが
可愛らしいんです。



私は夏休みの時期生まれなので
夏休みが終わるとまとめて誕生日祝われました。
これもちょっと嫌だったんです。
まとめられてる感があって。
でも好きなアーティストの方の中にも
夏休みの時期生まれの方がいます。
きっと同じようにまとめて祝われてたのかなーと
思うとちょっとだけ誕生日が好きになれました。



私は死ぬほど運動神経が悪いです。
学生時代、先生が組んだグループで
だいたい私の巻き返しができるように
学年でもかなり運動が出来る人と組まされます。
かなり運動出来る人に
ため息つかれてしまいにはその人、
勝てないってイライラして先生に怒られてました。
気の毒で仕方ありません、、、、
ほんとごめんなさい、、、、
まぁこんな経験があったかは知りませんが、
推しの中に運動神経が悪い方がいます。
でもとんでもなく踊れます。
もしかしたら私もダンスにチャレンジしてみたら
あんなふうに踊れるかもしれません、、、、

好きな物、人のおかげで
自分のことが少しでも肯定出来たら、
それは100点満点、
自分を客観的に見れて素敵な事だと思うんです。

昔から自分は自分を客観的に見すぎて、
嫌いでした。
なんというか、
俯瞰でもうひとりの自分が
自分をみているって感じ。


中学3年生の時の体育祭。
運動がとんでもなくできなかった
私は体育祭なんてもはや公開処刑。
1人だけ残って走っていると
体育祭中の視線を浴びます。
恥ずかしくて死にたくなります。

ちょっとズレますが、
持久走大会なんて24時間テレビみたいになります。
感動のゴールを勝手に作られます。
もう死にたくなります。
その場から居なくならせてください、、、、、
悔しいとかありません。
自分以上に運動神経悪い人見たことないので笑
もう惨めで情けなくて自然に涙が出てきます。



話を体育祭に戻して。
3年生だけができる種目があります。
障害物競走でのウォータースライダー。
「運動出来ない奴が楽しんでいていいのか?」

『卑屈が屈折に変わる瞬間をご覧下さい』

「あ!そっか!やらなきゃいいんだ!」

(わかる方にはわかるやつです)

結局やりませんでした。
「本当にやらなくていいの?」
何百回と聞かれました。
「いいんです。着替えるのめんどいんで。」
着替えるのがめんどくさいという理由で
断りましたが本当は、
もうひとりの自分が
「お前みたいな奴が何楽しんじゃってるの?笑笑」と
笑っていたんです。


ちなみに今でもそうですよ?
「やってみたい!」とか「これ面白そう!」とか
思ってももうひとりの自分が
「えぇー?それどう?笑
あんたがやってもねぇ……?笑」って
笑いかけるんです笑笑
だから1歩踏み込めない。

マジックやパントマイムに
ハマりたての時期にこれが起きたことがあります。あ、やるほうじゃなくて見る方ね?
今でももちろんものすごく好きなんですけど。
なぜかもうひとりの自分が「マジックなんて笑」
「パントマイムなんて笑」って笑うんです笑笑
夜中にコソコソ色んなもの見て調べてました。
おかげでそれなりの知識はあります。
「それなり」ですけど。
他の人よりちょこっと詳しいくらいですけどね。

おかげで自分は好きなのか
嫌いなのか見失いました。
これも今でもあります。
どれが自分の本心で本心じゃないのか。
分からなくなります。克服はできてません。

ただこれのおかげで何となくの知識があるもんで、
たまに役立つ時もあるんです。
やっぱり学ぶって楽しいし面白いですよね。
5月頭に少し冒険に出ます。
と言ってもまぁ要するに旅行ですが。
生で始めてあれを見て来る予定です。
わくわくする〜!





俯瞰で見てくれてるもうひとりの自分。
何を考えてるのか分からない自分。
自分の本心なのか分からなくなってくる自分。
でもたまに一緒に賛同してくれる時もあるんです。
そういう時はやってみちゃうんです。
そう、このnoteも。

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