あれから10年。


2011年3月11日。
経験したことの無い恐怖感を覚えた。
当時中学1年生。
図工室にいた私はクラスメイトと急いで校庭に避難したけれど、「これは尋常ではない」と確信したことを鮮明に覚えている。

周りには泣きじゃくる女の子。
悪魔のように追い打ちをかける余震に、ひたすら耐えていた。
無事帰宅し、テレビに映った光景は、日本で起こっている事として信じることが出来なかった。
何が起こったのか、これは本当に現実に起こっていることなのか、当時の私にはよく理解できなかった。
それは今でもあまり変わらない気がする。

それからしばらく計画停電が続いた。
でも私は特に不自由なく生活することが出来ていた。
当時の私が不満に思っていたことと言えば、家に電子ピアノしかなかったため、音が鳴らず、日中にあまりピアノが弾けなかったくらい。
本当に申し訳ないくらいに贅沢な悩みだった。

当時3.11の映像や証言を見ては本当に心が傷んだけれど、やはり自分事としては考えておらず、同情はしても、同じ苦しみは感じることは出来なかった。
そして私は被災者とはかけ離れた平穏な日常を過ごしていた。


そして今、あれから10年が経った。
10年を振り返った今、
あの時と何が変わっているだろうか。
私は何が出来ただろうか。
この10年間、被災者や被災地に向けて、
私は何をして来れただろうか。

思い返してみても、
音楽を通したチャリティコンサートや僅かな募金くらいで、
大した力にはなれていない。
自信を持って言える貢献は、おそらく何も出来ていない。
そんな現実をあれから10年経った今気づき、
より無力さと、
情けなさを自覚した。

過去を見たら何も出てこなかった。
けど、これからの10年を同じように過ごして良いのだろうか。
無力さを強く自覚している今、
何かしなければならない、
何もしていない自分に焦りを感じている今、
必死に自分が出来ることを考えている。

今日、これからの10年は、
胸張って人や社会に貢献出来る存在に
絶対になる。
あの日を経験した者として、
それは自分の使命に感じている。
そこに自分の存在意義があるような気がしている。


被災された方々が、3.11前以上にプラスに感じられる生活を送れますように。
復興のその先へ。

2021.3.11

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