#20200328

今日も雨。
不要不急に当たらない休日出勤はしなきゃいけないピーク期間。

自分の気持ちをすこしでも高めるために
自分で自分の機嫌を取るために
とっても可愛いワンピースを久しぶりに着た

ひらっひらのフリルレースの真っ黒なワンピース
靴下は真っ赤で、靴は厚底のローファー。
ウエストマークのベルトはさりげない豹柄。
いつも自分が好む丈よりすこし短くて、歩くたびに揺れる裾と赤い靴下が見える。

仕事だけのために着るとびきり可愛い服が
わたしの気持ちを強くする

うきうきで職場に行くと
男性社員が一言。

「どこか行ってきたの?(にやにや)」

「家から直接きましたよ?」とやり過ごしたけど
沸点が低いわたしは心の中でブチ切れてしまった

馬鹿らしい。
言われると思ってある程度自衛していたが、こんなに馬鹿らしいとは。
全部が全部、「誰かのための服」であると思うなよ???

これは、わたしのための服だ。
わたしの気持ちを上げる服で、わたしを強くする服だ。
誰のためでもなく、わたしはわたしのためだけにお洒落をしている。

もちろん、「誰かのための服」を否定はしない
この人に会うからこの服着よう、と思ったり
今日は可愛く見てもらいたいからお洒落しようと思うとき、わたしにもあるし。

でも、全部が全部そうじゃない
自分のためだけにファッションがあってもいい

今日、女性スタッフからは言われたのはほぼこの2つ。
(女性と書いているのはただの事実として、だ)

「今日の服可愛いですね」
「めちゃ可愛い服着てるね!」

服を褒める言葉と、この服を着ているわたしを褒める言葉。
こんな言葉ばっかりだったら、素直に褒め言葉として受け止めるのに。
なんで
可愛い服を着ている=どこかに行ってきた帰りだ
という他人の方程式を押しつけられなければならないのか

わたしがこの服を今日着たいと思ったから、着た
それだけなのにね。
これからも、わたしはわたしのために服を着るし、わたしのために可愛くなる

きっと、1年前ならこんなことを思わなかった
フェミニストという言葉を知ってからだ

知らない方が幸せだった?
知識を得る前の方が、目の前で起こる不幸に気づかなくて良かった?
時々思うけど、そうじゃないと確信を持っている

気になることは増えたし、怒ることも増えた
社会の不条理にどうしようもない気持ちを抱えることもある
自分1人じゃなにもできないと落ち込むこともある
でも、わたしは気づけて良かった
不幸を突きつけられているだけかもしれないけど、それでも気付いた自分を褒める

わたしの後の世代が生きやすいようにとか、そんな大それたことじゃない
わたしはわたしのために、目の前の不幸と闘う
まだ直接声をあげることはできないけど
感じた自分を認めて、ここに書き殴る

だって、わたしはわたしのために生きているからね


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