金属アレルギー革命
今朝、右耳から金属アレルギー革命が宣言された。
右耳は顔を真っ赤にして、声高らかにそう言った。
革命前夜は酷いものだった。
革命とは、される側にとってはそうなのかもしれない。
太陽のある頃から違和感には気付いていた。
触ると鈍く傷んだ。
朝一から学校に行かなければならなかったが、昨日はピアスをつけるのはやめておくことにした。顔まわりが寂しくならないように、いつもより多めにおくれ毛をくるくると巻き、カラーレンズの入った眼鏡をかけて家を出た。
家に着いた頃には疲れ切っていたので、珍しく音楽もかけずに布団に入り、十分もかからず寝息を立てていたと思う。しかし、そこからの夜は長かった。右側に身体を倒すたびに、右耳がずきずき痛い。スニーカーの中にビー玉が入っているような痛みだった。残念ながら、身体の向きを右や左やと動かしながら寝るのが癖になっている私は、耳の下に手を当ててみたりだとか、ふかふかのクッションに寝返りを打ってみたりもしたが、結局、朝起きた時には右耳だけではなく、からだじゅうが疲労の痛みを帯びていた。
そして革命の日の朝、右耳のみみたぶはパンパンに腫れていた。
触るとばちん、と痛む。
何がここまで反発精神を膨れ上がらせてしまったのだろう。
やっぱり、あのチープなピアスのせいだろうか。
心当たりはあるのだ。
自由ヶ丘にある商店街のブティックで買った、薄桃色の細かい花のピアス。
ピアスを開けた頃、母親に「あんたはママの金属アレルギーがきっと移ってるから、安いピアスをつけるのはやめなさい。」と言われたことはしっかり覚えていた。そのあと、ピアスを開けてすぐに18Kのうすいアメジストのピアスまでプレゼントしてくれた。
それでも私がいうことを聞かないのはいつものことだ。
そして、まんまと金属アレルギーになった私をみて、母親は満足げだった。
チープなピアスには愛嬌がある。
もろくて、かるくて、いろどりが豊かなピアスたちが、つらつら並んでいるのを見るとつい一つや二つ買ってしまう。ダメだと分かっていても、どうしてもその愛嬌にやられてしまう。
この革命の主犯は、そんな愛嬌たっぷりのチープなピアスに違いない。
そうと分かれば、一晩で変わってしまった私の身体をもっても許せてしまうかもしれない。今や真鍮やニッケルで出来たピアスは、二度と付けられなくなってしまうかもしれないのにだ。愛嬌とはとてもパワーのある特性なのだろう。
1日も経つと、パンパンになっていた右耳の耳たぶは、いつも通りの厚さに戻っていた。引っ張っても、押してみても、もうすっかり痛くなかった。
またチープなピアスたちを手に取れるのかもと思うと、わっと嬉しくなった。
それなら、これからは母親にバレないように、そっと家を出なければならない。きっと次は怒られるに違いない。
昔、どうしても公園にワンピースを着て行きたくて、汚れるから着替えなさいと怒られまいとこっそり家を出たことを思い出した。
確かそのあと、自転車のタイヤにワンピースの裾が巻き込んでビリビリに破れ、泣きながら家に帰って私を、母親は飽きれながらも頭を撫でてくれたのだった。
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