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今まで隠していた思春期

今まであまり話してこなかった
黒歴史の思春期もぶっちゃけることにした!

私は中学生の頃まで、
外ズラの良い文武両道の優等生だったと思う。
やんちゃな子に好かれるタイプではあったけど
どこか冷めていて、
関わると人間関係が面倒だと感じ、
距離を置いて目立たないようにした。

通っていた中学校自体は
校内から沢山タバコの吸殻が出てくるような
不良学校だったけど、
私の学年だけが真面目な子が揃った環境だった。

でも『家から自転車で通える公立高校』
という理由だけで選んだ高校に進学してから、
真面目な学生生活を辞めてしまった。

高校には、今まで身近に居なかったような
可愛くて楽しそうに生きるギャルがいた。
凄くキラキラしていたから
私もそうなりたいと思ったけど、
ギャルの必須アイテムである
コスメも携帯も可愛い容姿も持っていなかった。

お小遣いが無いからコスメなんて買えないし、
厳しい母にメイクがしたいと言っても
理解してもらえない。
ピアスも茶髪も、もちろん絶対ダメ。

携帯に関しては、
小学生の頃から友達の携帯が羨ましくて
何度もねだったが
「自分で働いて、自分で契約しなさい。」
の一点張り。
mixiやデコログ等当時の流行についていけなかった。

中学までは可愛い方だと思っていた容姿も、
可愛いギャルを目の当たりにして
大したことなかったと自信を失った。

勉強や部活の時間は全て
垢抜ける為に必要なお金を稼ぐためのバイトや、
私にとって可愛いの見本だったKpopアイドルや
オルチャンメイク(韓国風メイク)の情報収集に費した。
バイトで稼いだお金は全てコスメや美容、携帯代、Kpopアイドルに消えた。

それだけやっても学生生活は
馴染めなくてあまり楽しくなかった。
垢抜ける方法を研究すること、
Kpopアイドルのファンが趣味だった。

高校生になってから、
ぱったり告白されることも無くなった。笑
自分に自信を失ったし、Kpopにハマって、男性の理想だけ高くなって(高身長で優しいイケメン!)自分から恋愛することも無かったから彼氏はいなかった。

勉強も真剣に将来を考えることもしなかった。

厳しい母や家庭環境に対して不満を
抱えていたこともあり、家で癇癪を起こして
母やモノに当たることも多かった。
母が話し合いの機会を作ってくれても、
「私のことを何も理解してくれない」と
怒りに任せて取っ組み合いの喧嘩をした。
実家の壁にはその時に開けた大きな穴があった。

家を締め出されて、玄関外や公園で寝る日も
たくさんあった。
父とは連絡が取れたし、両親の離婚の時に
「離婚しても父親であることは変わらない。
今後結婚も、子どもも考えていない。」と、言われたのを思い出して頼ったことがある。
でも、父の家に入れて貰えることはなく
ネカフェやボーリング場で寝泊まりした。
私に興味が無いから助けてくれる存在では無い、
所詮女優先だと小さい時に諦めていたが
やっぱりダメだと再認識するだけだった。

(最近父に妊娠の報告の電話をした時聞いた話だが、この頃には父は結婚して子どもがいたみたい。
だから家に入れて貰えなかったんだと繋がった。
もうすぐ5歳になる妹がいると言われても、
なんの感情も湧かなかった。
「50歳にもなって大変だね。頑張って。」
と電話を切った。
母には内緒にしてと言われたが、今更母も呆れて興味もないと思う。笑)

母が私の空調設備も無く食料も無い部屋のドアに電ドリでビスを打って閉じ込められた日は、
脱出しないと死ぬと思ったので、
鍵とドライバーを持って3階のベランダから壁を伝って降りて玄関の鍵を開け
ドライバーでビスを外した。
喧嘩でドアは壊れてしまったから
母の部屋のドアと付け替えた。

喧嘩が激しすぎて近所の人に
警察を呼ばれることもあった。

母に精神病院や施設に
連れて行かれそうになることもあった。

自分自身でも、このままではいけないと
分かっていたが、どうして気持ちを
整理出来ずに反抗してしまうのか分からなかった。

数少ない友達の中には似た境遇の子等おらず、
頼れる親戚も兄弟も居なくて相談は出来なかった。

卒業後は、語学留学とエステティシャン
いずれはサロンを経営することが夢で
エステの専門学校に進学するつもりだった。

でもまともな高校生活を送ってこなかったので
母は「お前のような生ぬるい考えでは成功しない。
進学しても無駄だ。」と奨学金の書類に
期日ギリギリになってサインをしなかった。
進学は急遽諦めるしかなかった。
進学するつもりだった為、
就活もしていなかった。

高校卒業後、「母としての業務は終了した。
家を出ていけ。」と追い出された。

元々、義務教育終了時点で出ていけと
言われていたが、高校まで家に置いてくれたから、
友達も皆進学するし、なんだかんだ専門学校も
行かせてもらえるだろうとなめていた。

卒業後のあてが全く無く、とりあえず
アパレル店員の派遣に登録して百貨店に務めた。
百貨店ブランドということもあり、
言葉使いや礼儀作法、女性社会の上下関係が厳しかった。
1日中高いヒールを履いてクタクタになったのに
結局派遣アパレル店員で貰える給料では
とてもひとり暮らし資金は作れなかった。

とりあえず住む場所が必要だったので、
山梨県の富士山近くのリゾートホテルで
住み込みでアルバイトすることにした。
荷物は片道切符とキャリーケース1つだけ。
実家を出る時に、残した荷物は
全て捨てられる条件だった。

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