見出し画像

まゆめも


はじめましてnote。

おまゆです。

noteでまゆめも始めます



まゆめもってなんやねん




そもそも私が誰なのか、そして何者なのか
まるで分からない人が読んでいるかもしれないし、
もう10年以上ネットストーキングしてくれているコアな人たち(言い方)も見てくれているであろう。(信じてる←)

きっと私の身近な人も、ふむふむちょっと目を通してみるかという具合でここに辿りついたかもしれない。

だけど、あえてここでは私の経歴や肩書き、人様にお見せするためにまとめあげたプロフィールを披露することは特にしないでおきます。


結局何者なの?って思うのも自然なことだけど、
それに対して私は何者かになりたがってしまうし、
それはつまり[承認して欲しさ]という膜なんかが張ってしまうことになる。

だけどまゆめもという場は何者でもある必要がなく、何の変哲もないひとりの人の心の中だと思ってほしい。



そんなこの場について、少し紹介します。

■Memo(メモ)…忘れないように要点を書き留めること。また、書き留めたもの。覚え書き。




まだ13歳だか14歳だかという、
純粋で、脆くて、内からも外からも感じずにはいられない、
小さな世界線の中に生きていた昔の私は
(そんな年頃のことを「多感な時期」というのね、しっくりー!)

いじめとか、分かりやすい”なにか”が原因ではない
別のもの(これはまたの機会に)に、怖がり そして拒絶をし、
ぴたんと学校に行くという当たり前を生きられなくなった。


俗に言う不登校だった。


きっと両親にも心配をかけていたし
同級生の顔を想像すると
こう、罪悪感のような、後ろめたさのような、
いたたまれない気持ちになることもあった。










実はとーーーっても楽しかった。




それは、
ネットに出会って、
ネットに生きて、
ネットで出会った人の中に新しい居場所を見つけることができたから。




というのも、その時代は
前略プロフィールやモバスペ、魔法のiらんど
などなど
個人ホームページやコミュニティサイトの全盛期でね、

(キリ番という響きなつかし死ぬ・・・・)


HTMLなんかを一丁前に駆使したりして
自分の世界観(なんて大それたものでもない)を創っては
ネット上に公開してみたり、

「待ち受け画面用に好きなアイドルの画像に好きな歌詞を手書きしますよ♪」●フォントは①〜⑥から選んでね☆

とかいうリクエストを無料で承っては
夜な夜なPhotoshopで文字入れしてプレゼントしてみたり、
(1番人気はエンボス加工。職人かな?)

BBSやゲスブ、掲示板、そこからのSkypeと呼ばれる交流の場で
ものすごいスピードで人とのオンラインのコミュニケーションを繰り広げる日々だった。

あの時を生きた人は総じてブラインドタッチの速さ異常だと思う。
社会に出てから図らずも活かされてると思うんだけど、どうです? 




そんなことを学校に行かずに昼夜問わず続けてるもんだから
着々と、同じような境遇というか共鳴し合う仲間ができていった。


北は北海道、南は宮崎まで、
あらゆる環境やあらゆる年代の
そしてあらゆる背景を持った人に出会い、


学校よりもずっとずっと濃度の濃い
人との対話を通しては、
たくさんの異なる感情や感性に触れて、


あなた、

そして自分を

"在って良い"

と認めた時間だった。





その頃から時代は変わって
ブログが普及し、
その後SNSが当たり前な世の中になっていくのだけど

あの頃 多くの中高生がやっていたであろう
「リアルタイム」と呼ばれる、
今でいうツイッターのような"ひとりごと"を吐き出す
ツイッターよりも密室感(ひとり部屋感)のあるサイトがあってね。

そこに自分の内なる葛藤や思い、そして気付きを(たまに自撮り☆)

誰のためでもなく

現在までの15年に渡り
ずーーーーーーーーーーーーーっと
ぽつりぽつりと更新していたのです。

(とはいえ2019年にリアルタイムDecooがサービス終了し、Livedoorブログに移転したんだけど更新のしにくさから止まってしまっていた、根気よく覗き続けてくれた人ごめんなさい)



私にとって、誰のためでもないこの自分の心の中ともいえる「まゆめも」とやらは、


中学生のときのネット世界に生きた経験や、
18歳のときの自殺未遂を経て「現実を生きる」と覚悟した、生温かいほどにリアルな感情、

胃潰瘍が2つもできてる事にも気づけない
くらいに
身も心も削りながら、文字通り一生懸命に生きてきた"20代"を
忘れないよう 飾らずまとまりのない言葉で書き記した備忘録のようなものであり、



唯一立ち止まる事を許してくれた居場所でもあった。




自分で綴ってきた言葉を振り返ってみては
主観と客観を行き来しながら
自分の生きる道に向き合って
ゆっくりと大人になってきたように思う。



そんな自分にとっての居場所があったから
どんなに苦しくてもこれまでの全ての出来事を悲観しきらずにいられたし
むしろ自分なりに噛み砕いて 消化して 糧にしてこれた。





きっとそのおかげです。




知らずうちに思考の訓練をしていたようで、
今は予想外の何かが起きても
"その時にどう考えて、どうやって自分が納得していくか"
という道しるべみたいなものがちゃんと自分のなかに形成されていく。

それはこれまで積み上げてきた自分自身への信頼であり、
その自分が選択するこれからの道をちゃんと肯定してあげられるということ。


だから例えるならば心が凪のようであり、
どこにいても
だれといても
なにがあろうと

今わたしは自分の人生を生きているという実感が持てている。





ここでめっちゃうさんくさいこと言うけどね。







誰がなんと言おうと今が一番幸せで。











今までは鍵をつけて、心の中をそっと置いてきたけど、
自分のなかのフェーズが変わったことを実感した今

鍵を外し、少しばかりオープンにして、
ゆっくりとこれまでを振り返りながらまとめてみたり、
引き続きなんともない日常を綴っていこうと思います。



鍵を外しただけで、どきどき・・・・・!





そんな、
何者でもない
わたしを生きるために
生ききるために
吐き出すものたちを、少しのぞいてもらえたら。





ちなみにいうと、この通り、いちいち長いです。

あと、この記事はnote第一弾の記事なので
ちょっとかしこまったりなんかして
猫かぶっていたりしているのでね
きっとじきにどういう人かバレるであろう。へっ。(????)







私がネットの中の顔も知らない人たちを通して得た気付きに救われたように、もしもあなたが私を通して何かを感じてくれたなら、それはなにより嬉しいです。




2021.6.19

この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,308件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?