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結局は走馬灯について

やばい。

私は、週一回、土曜日に記事をあげるミッションを自分に課している。
今は土曜日の午前11時。
あげるものがない。この後はヨガに行かなければならない。
ポケ森で虫を捕まえまくったり、会社の人に教えてもらったスイカゲームでスイカ作りに勤しんだりしていたせいだ。
困った。

締め切りに追われてもクオリティを下げない力が私には足りていない。
意思が弱いのかもしれない。
いや、実は水曜日くらいからネタを準備していた。
今週はこれで乗り切れると思っていた。
でも書き始めてみたら意外と文章が浮かばない。
考える作業と書く作業は別物としてやれ、と言っている人に怒られるかもしれないが、私は文章を書きながら考えるタイプなのだ。
書きながら考えるというか、書き始めないと頭が回り始めないというか、、
自分は書いているとなにも考えなくてもぽんぽこ文字を打てると信じているのだ。
これって仕事だったらやばいんだろうな。

そういうわけで、準備していたネタはそのうち書こうと思う。
じっくり考えようではないか。
でも、寝かせるとその時感じたことは忘れていってしまって、なにも思いつかなくなることもよくある。
その時、これはおもしろい!と思ったことでも、だんだんなにが面白いと思ったのかさえ忘れていってしまう。
今下書きに入っている300字程度のキジは、これ以上膨らまず、オーブンで焼かれる前に捨てられてしまうかもしれない。

私の脳のキャパは普通の人より小さいのかもしれない。
就活で小さい頃のことを聞かれたときにも思ったことだ。
昔の自分が感じたことを覚えていない。
その時はものすごく感情が揺れ動く。ものすごく感動しやすいし、ものすごく悲しみやすい。
でも、少し経つとすぐに忘れてしまう。
体験した瞬間は、これは絶対に走馬灯案件だと思うことが沢山あるのに、実際に走馬灯のタイミングになったら多分なにも浮かばないと思う。

走馬灯って、事故とかだと一瞬の出来事のイメージだが、だんだんと亡くなる場合は長くやってもいいのだろうか。

走馬灯・第一章、小中高時代。あの頃はダンスをしたり、部活で運動をしたり、元気なこどもだったなぁ。小学5年生くらいの運動会で、徒競走の時、隣の男の子がコケたのが視界に入ってきたなぁ。

走馬灯・第二章、大学生時代。いやはや、友達がいなかったなぁ。法律を勉強したけど、特に役立たなかったなぁ。

死ぬ間際のわたし

みたいな。
これではただの内容のなさすぎる人生の振り返りだ。

いろんな人の走馬灯を切り取って映画にしたらどんなに面白いのだろうか。
そこであらゆることが繋がって、新たな事実が判明して、ノーベル賞を受賞したりするのだろうか。
私の走馬灯は、新事実の発見には特に役立てなそうだ。
それでも充実した走馬灯にするために、日記をつけていこうと思うわけだ。

そんなわけで11時40分になって、ヨガに行かなければならないので、このへんで終わりにしよう。

はー、今週も乗り切った。のかは分からない。