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格好つけないでいる場所

今日は学生時代の友人たちが会いに来てくれた。リモートでプラス数名と通話。私の子どもと、もう一人小さな子どもがいてなんだかもう阿鼻叫喚みたいな感じでとても疲れたが、ほんとうの人生に帰っていくような心地がした。

思えば11月に出産してすぐ帰省、年明けにここに戻ってきたけれど生後3か月なので長時間のお出かけはできず、そのまま自粛期間に突入。今日までに会った家族以外の近しい人は、帰省中に友だちと、3月ごろに先輩と。どちらも1時間ぐらいのおしゃべりだった。つまり普通に友人と遊んだのは半年以上ぶり。その間、私と人とのつながりはSNS上だけだった。

今創作用にしているツイッターはもともとリアルのつながりを一切排除した、個人サイトの延長のようなアカウントだった(個人サイト時代もリアルの人には誰にも教えなかった)。いわば本当の自分でいれる場所、リアルからの退避場所だった。

今日友人と会って、このリアルとネット上の関係が一周回って自分の中で逆転していることに気がついた。

たとえ違う価値観でもすっと受け入れられる、受け入れてもらえる、そんな当たり前のことの気持ちよさ、安心感。ネット上の文法や構文から離れた言葉遣いのもつ、胡散臭くない、ストレートなやさしさ。

個人サイト時代からもう10年以上の時が経ち、ネットとリアルは複雑に絡んでどちらかが本当の自分だなんて割り切れることはできない。けれど、だから、リアルこそがリアルなのだと思った。これがほんとうの人生なのだと。

そしてこのnoteには個人サイトの趣きを残しておこうとあらためて思った。どれだけくだらなくてもいい、ポートフォリオにならなくていい、自分のための日記。SNS機能を備えたブログ的なものというnoteのつくりに反している気がするけれどまあいいや。気が向いたときにエッセイも載せようと思う。

友人たちが帰ったあと、ツイッターのリアルアカウントをひらくと、また別の学生時代の友人のつぶやきが目に入った。それは心からの素直なつぶやきといった風で、とても心に響いた。小説を書いている身として。泣きそうになり、あのころのあの街の夕陽の色とか家々のかたちとか、なんでもない風景を思い出した。

そうして書きたいアイデアがひとつ浮かんだ。絶対に形にしようと思った。

読んでいただきありがとうございました。サポートしてくださると本づくりが一歩進みます。