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近代建築日記:『海岸ビルヂング』を訪れたときの感想

近代建築が好きだ。私の興味の主な対象は、明治から昭和初期(戦前)に建てられた日本の西洋建築なのだが、いろいろ足を運ぶうちに、日本建築全般を好きになりつつある。趣味として、本当に少しずつ自分の中で深まってはいるもののまだまだ学は浅く、人前でその良さを語るにはもっと知識が必要だからと、今までこうした文章を書いたことはない。

しかし、話してみようと思ったのには理由がある。私の大好きなハロープロジェクトのアイドルは、自身の好きなものを発信することを恐れない。彼女達は、新型コロナウイルスの影響でイベントの機会を失われ、こちらが心配になるほどマメに、SNSを更新し続けている。学校の勉強や芸能活動で忙しいにも関わらず、自分の「好き」に邁進し、たとえそれがどんなレベルであっても、それらを惜しみなくオタクに発信してくれる。そうした姿に、とても勇気をもらった。私も、彼女たちのように好きなものについて伝えられるようになりたい。

発信することで深まることもある。これからここが、そういう場になることを願って、まずは神戸の『海岸ビルヂング』(1911年、河合浩蔵)について、書いてみる。

見に行ったときの思い出

建築そのものの魅力について語る前に、実際に見に行ったときの思い出を少しだけ語らせて欲しい。もう一年以上前、元号が平成から令和に変わった日だ。

この日は人生で二度目の一人旅の1日目で、春の神戸に来ていた。日中は坂だらけの異人館周辺や趣き深い三宮の街を散々歩き回り、残った時間で中央区の建築を見て回った。大分、体力勝負な旅程だったと思う。

1日かけてたっぷり神戸市観光をしようと意気込んでいたせいか、予定を詰め込みすぎていて、港近くに着く頃には既に太陽も落ちかけていた。降ったり止んだりの雨に体はすっかり冷え込んで、割と疲労が限界だった。次いつ来られるかわからないのだから、自分で決めたところは全部回らなくては、ここで諦めたら負けだぞ…というスポ根精神と、はやく温かい場所と美味しいごはんで満たされたーいという生理的欲求のせめぎ合いの中で、へろへろになりながらなんとか辿り着いた覚えがある。

こうした、慣れない街を一人で歩き回っていて感じた、孤独や不安、疲労を、その貫禄の佇まいだけで、ぜ~んぶ吹っ飛ばしてくれたのが、この『海岸ビルヂング』だった。

例えるならば、最新の推しを見たときに感じる懐疑と幸福。顔面の強さに打ち拉がれた直後、その計算され尽くした美しい造形を半信半疑でまじまじと眺める。こんなものが、この世にあって良いのか。

気づけばあっという間に幸福感に包まれていて、ふくらはぎに溜まっていた一日ぶんの疲れも感じなくなっていた。太陽が海に浸かりはじめた頃から、すべてが夕闇に包まれるまで、私はそこを動かなかった。ライトアップのオレンジ色と、長い年月に晒されてきた煉瓦造りの白と赤が、今でもまだ目に焼き付いている。


正面からみた『海岸ビルヂング』

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しばらく立ち尽くしたあと、構図を試行錯誤しながら何枚も写真を撮った。あっちこっちポジションを移動しながら、一枚取っては眺め、また撮っては眺め、の繰り返し。これは余談なのだが、なにか珍しいものを見に行ったとき、どうしてもじっくり肉眼で向き合いたいというこだわりがある。当然、記念に残したいから写真は撮るけれど、カメラ越しで対象を見つめている時間が肉眼で見ている時間より長くならないように、気をつけながら撮る。せっかく実物を見るのだから、この目で見なくてはならない。肉眼で触れ合わなければ、来た意味がないと思ってしまう。

最も印象的で、写真の枚数も多かったのが、正面玄関だ。普通のオフィスビルとして利用され、様々なテナントが入っているのにも関わらず、今すぐこの入り口から、明治・大正時代にタイムスリップできそうな気がする。もちろん、日本に近代建築は多く残されているし、現在も利用されている建物はたくさんある。神戸中央区は、まさにそうした建物の宝庫だ。しかし、当時の空気感をここまで生きた形で保っている建物はなかなかないと思う。個人の感覚と言ってしまえばそれまでで、上手く伝わるかわからないが、独特な意匠で現代に馴染みすぎず、それでいて歴史的な遺産として作為に保存された感じもない、まさに「永遠にそこにいてくれる」感がこの建築の魅力のひとつだろう。近代建築を見る上で、大切にしたいアンテナが、また一つ増えた気がする。

看板について

看板の字体を見て欲しい。海の字の縦線がちょんちょんとなっているところや、漢字より大きなカタカナ、三角の濁点、平べったくて小さな「株式會社」の文字の開き、それに対応するような「海岸ビルヂング」の字の詰まり方。語彙がなくて恐縮だが、めちゃくちゃに可愛い。そんなにサイズが大きくない看板ではあるが、目を引く力がある。建物の魅力がすべて凝縮されたようなこの看板があってこそ、『海岸ビルヂング』は成り立っていると言っても過言ではない。

ちなみにこの建物が『海岸ビルヂング』になったのは1949年のことで、元は「日濠館」(旧羊毛貿易のパイオニア・兼松商店のオフィス)と呼ばれていたそうだ。建物施工時とは離れた終戦後に掲げられたものだとはいえ、この看板が建物の雰囲気を支えているのは紛れもない事実である。現代の町並みへ近代の香りを漂わせる役割を、充分に担っていると思う。

「こじんまり」した佇まい

看板を仰ぎながら、できる限り後ろに下がって全体を捉えると、思ったよりこの建物が小さいことに気づくだろう。この建築を設計したのは河合浩蔵さんという人で、この人の作品は他にもいくつかあるのだが、その多くは公的施設等大きなものが多い。例えば少し似たテイストの『海岸ビル(旧三井物産神戸支店)』や『神戸市水の科学館(旧奥平野浄水場旧急速ろ過場上屋)』も、スケールが大きい(もし時間があったら、画像検索してみてください)。しかし、この『海岸ビルヂング』は横幅が狭く後ろに長い構造を差し引いても、とにかく小さい。この、「こじんまり感」がたまらないのだ。巨大な歴史的建造物特有の威厳ではなく、街中にひっそりと残された、存在感のちょうど良さが、たまらなく良い。

私が当初、近代建築のイメージとして持っていたのが、日本橋三越本店や日本銀行本店、三井本館、日本橋野村ビルディング等中央通り沿いの大きく立派な建物の並びだ。だからこそ、小ささに見慣れず、惹かれたという部分もあったかもしれない。しかし、このあと近代建築特有の「こじんまり感」は確かに存在することを知った。去年の夏に行った愛知県の明治村では、この「こじんまり感」が味わえる建物が、お腹いっぱい堪能できる。なんだろう、近代の人間って今より身長が低いから、それに合わせて日常に近い建物ほど「こじんまり」造られているのかな?なんて仮説を立ててみたが、どうだろうか。

河合浩蔵さんの作品で、同じような佇まいをした作品はないかと探すと、大阪北浜にある『新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)』が見つかった。煉瓦ではなく、石貼りとタイルの造りがとてもおしゃれな建物だ。銀行建築定番の重厚な造りでありつつも、細かすぎない意匠とタイルのスモーキーな茶色が、ヌケ感を与えている。現在、「五感」というお菓子屋さんとして大切に利用されているようだ。次回大阪に旅する際は絶対に訪れたい。



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