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1820年代生まれ 建築家 4名

1.伊藤平左衛門(1829年 - 1913年)名古屋宮町

尾張国の工匠の棟梁の名跡・伊藤平左衛門の9世
明治の東京・横浜で洋風建築、清国で中国建築、京都や奈良で日本古代建築を研究
愛知県庁舎など明治初期の東海地方に洋風建築を導入
東本願寺御影堂など多くの近代社寺建築も手掛けた

1845年 京都東本願寺大門建築に従事
1849年 名を平作に改める
     京都に移住
     鷹司家の作業御用を務める
     京都や奈良で日本古来の建築様式を研究
1863年 政変後京都に諸藩邸の建設が相次いだ
     尾張藩邸を建築の工事監督を務めた
1864年 第一次長州征討では尾張藩棟梁頭として兵舎の造営するなどの任にあたった
1870年 長男吉太郎誕生
1872年 東京・横浜へ行って西洋建築技法を学び、帰郷後、各官衙学校などの建築に応用
1875年 愛知県棟梁となる
1877年 家督を相続
1879年 九世平左衛門襲名、東本願寺大師堂再建、上海別院創立の棟梁に任命
1881年 高野山金剛峯寺大塔建設正棟梁に任命
1888年 真宗大谷派函館別院など六か所の建築の依頼
1890年 北海道にわたり建築指導を行う
1890年 第三回内国勧業博覧会に出品
1894年 京都美術工芸展覧会審査員に任命
1895年 第4回内国勧業博覧会に鐘楼堂雛形を出品
1896年 京都52回全国品評会名誉審査員に任命
     帝室技芸員に任命
1900年 日本美術協会第3部委員任命
     パリ万博に貴族邸宅設計図を出品
1901年 福島県会津若松市一府七県聯合共進会審査員に任命
1913年 名古屋市中区松重町の自宅で死亡

2.神田福吉(1824年 - 没年不詳)

1868年 会計官御作事役調役下役を拝命
1869年 土木少令史
1871年 宮内省内匠司十五等出仕
1872年 開拓使として十四等出仕
1873年 十二等出仕、札幌本庁工事に従事
1882年 皇居造営事務局雇・建築掛督役方
1886年 1月被免

3.立石清重(1829年 - 1894)長野県松本市

1876年 青龍山全久院に開智学校校舎を建築
     藤村式建築などを参考に開成学校や東京医学校を模した擬洋風建築
1961年 国の重要文化財に指定
2019年 国宝に指定
1894年 66歳で死去

4.立川知方(1825年 - 1894年)東京

1865年 横須賀製鉄所建設に従事
1871年 東京府営繕掛
1872年 大蔵省土木小属
1874年 工部省製作寮に入る
1877年 寮制廃止後営繕局技師となる
1879年 開工舎を設立、匠家規矩術
1880年 宮殿御造営御用
1882年 皇居御造営事務局御用掛専務
     旧宮内省庁舎の工事を担当
1883年 建築学校設置開申を提出
     日本建築学校開工含となる
     ロンドン万国衛生及教育博覧会に大和樣匠家矩術図書を出品
1884年 皇居御造営残務取扱専務
1893年 内匠寮技師として高輪御殿工事を担当
1879年 煉凡造の宮内省庁舎の施工指導を担当
1892年 竣工の高輪御所の工事も担当。
1882年 竣工した上野博物館の現場主任を勤めた
1894年3月逝去

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