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私立進学のつもりが、担任に「公立で揉まれなさい」と言われた中3の秋

ワタシ、中学3年生、受験生です。(何十年前だw)
学校の成績は3教科なら中の上、5教科になると中の中でした。数学が壊滅的に悪く、理科と社会はやる気なし。英語はそこそこできて、国語は大得意でした。

国語が大得意になったきっかけは、小6の時に転入してきた台湾人のIちゃんと仲良くなったからです。小中と同じクラスになったことがないのに、とても仲良くなりました。この時から外国人気質だったんでしょうか。

Iちゃんはトリリンガルで、北京語と、英語、そして日本語を使いこなします。彼女が家族と話す時は、基本北京語と英語のミックスでした。

そんなIちゃんから「何でKちゃんは日本人なのに私より国語の点数が悪いの?」と、どストレートに言われ「何も言えねぇ」状態に。こりゃいかんと猛勉強したお陰で、国語だけなら進学校に行けるほど大得意になりました。

そして受験。志望高校を決める時期・・・
そもそも勉強嫌い。これ以上沢山の科目を勉強したくないから、高校は断然私立に絞り、母と某私立高校の見学に行きました。そう、秋の三者面談までは。

その三者面談で担任から言われたのは「Kはマイペースだから、公立高校に行って揉まれなさい」。

その一言で、私は公立高校に行く事にしました。時は中3の秋。得意も不得意もない社会と理科の勉強が加わりました。そして「いい学校があるの。学区外だけど」と紹介されたのが、後に母校となる高校です。

「うちの中学校の卒業生はいない、受験する人もほぼゼロ」と言う補足情報付き。

コレを書いていて、母に「本当に大丈夫?」と言われた記憶が蘇ってきました。ただ担任からの「公立高校で揉まれなさい」のインパクトが強すぎて、その後の記憶がほぼないんです。

今の自分なら「私の人生に責任取れるのか?」「どんな意図でそう思うのか?」「私は私立以外には行く気がない」と、意見を通していた思います。社会に揉まれ、強くなりましたんで。

ただ、当時のK少女は、とにかく「人間関係を一旦リセットしたい」一心。ここで「私のリセット癖(※私の取説参照)」が爆誕したのです。

念の為、私立の女子校を「すべり止め」で受けたのですが、すんげーミラクルが起こり、特待生として合格しました。その話はまた不思議なご縁の方で☆

加えて志望校にも合格したので、その公立高校に通うことになりました

自分で考え選ぶ行為を高校受験で消失し、人生歯車が狂っていったのか。それとも必然だったのか。まず自分の意思はありません。

ただ実際は高校で不思議なご縁が待っていますし、高3になって初めて「学校が楽しい!」という実感を得られたので、それはそれでよかったんじゃないかなと。
今になっては思います。

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