おはようもしもしあいしてる

程よく酔っている。たまにはラフに文章を書く。自分のエッセイ集、発売日も決まって後はキンコーズに行ってしおりを綺麗に印刷して、本が届いたら物撮りをして、それだけだ。

毎度毎度、本のことをお知らせするたびに心がドキドキする。悪い意味で。誰も興味なかったらどうしようとか、こんなに明け透けに自分の考えを見せていいものなのだろうか、とか。でもねえ、その度に、誰かのためじゃなくて自分のために作っているんでしょうと言い聞かせる。

私のことをいまだに夢見がちなドラマチック症候群だとか、さみしいやつとか、メンヘラとか、気持ち悪いとか、そんなふうに思う人がいるのも知っているよ。私より頭のいい人もたくさんいるし、私よりデザインができる人だっている。でも別にいいの。私は誰のためでもなく自分のために、こうして文章を書いて、デザインを作っているから。
じゃあなんで本を売るの。って話だけどなんとなくです。在庫が余ったら余ったで、全部私のものになるから嬉しいなと思って。たまたま私みたいな人が本を買ってくれて、私みたいな気持ちになってくれたら嬉しいなって、それだけだよ。

ふう。本ね、なんの文章を載せようかなとあれこれ昔のブログを読み返していた時があったのだけど。私は思っていたより苦しそうに生きていた。両親との関係が歪んでいたこともそうだし、友達もつくらずひとりぼっちで浪人していたときもだし、ほんの少しだけ自傷行為をしてしまったときのことも書いてあった。その頃の私が、今の私を救いの目で見つめてくるのだ。だからこそ焦ってしまう。私はなんとしてでも幸せにならなければいけないと。

大豆田とわ子と三人の元夫というドラマを観た。過去の自分は、どこかの世界で今も生き続けていると言っていた。私は、なんというか、なんて残酷なんだろうと思ってしまった。私がこの先何をしていようと、あの頃苦しかった自分がどこかで生き続けているかと思うと、悲しみとか苦しみはどうしたって消せない気がした。うーん、私を救えるのは私だけだとこの間書いたけれど、救うというよりか、遠くなるということに近いのかな。どこかで苦しかった頃の私がいて、そのずっと先に幸せな私がいて、そういうことかなと思った。
よくよく考えてみると苦しかった頃の私を消すだなんてひどい話だ。過去の私を救うのは、消すことじゃない。確かに過去の自分はどこかで生き続けている。生き続けていないと、私は28歳なんかじゃないな。大豆田とわ子と三人の元夫面白かった。

私は酔っ払うと大抵のことがどうでもよくなって、ただただ幸せになる。だから今すごく幸せ。今日はオリーブオイルの中のにんにくを見つめたし、会いたいと思う人と会える予定もあるし、友達の本を読み返したし、iTunesがサジェストする曲がいい感じ。
それから、本を出しても誰にも褒められないかもしれないから先に褒めておくけど、私の文章、私は面白いと思うよ。本のデザインだってイケてるよ。どうもありがとうこれからもよろしくね。おはようもしもしあいしてる。

おいしいご飯を食べるにはどうしたってお金が必要