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ここ数日夜寝付けず、毎晩泣き腫らしては明るくなってきた頃に眠る。当然体の調子も良くなく、少し戻った味覚を頼りにわずかな食事をとってベッドに項垂れていた。

私は相変わらず先のことを考えていた。考えるなと言われても、私には身寄りなどなく生活保護の水準で暮らしていける自信もない(これにはとても複雑な理由があるが省略)。
ただでさえ病気のことで翻弄される日々に、節約の文字が離れない。それは日々肥大していき、私の頭にのしかかる。普段なら調子のいい晴れの日だって、古くなったお米を前に潔く捨てられない自分が悔しくて落ち込んだ。

働けない。家族がいないも同然。寄りかかる場所はない。危ないと思っては頓服で誤魔化して、栄養ドリンクを流し込む。
なんて最果てまで来てしまったんだろうか。SNSは、世の中はまるで別世界だ。私のせいではないけれど、私がなんとかするしかない。

私は頑張っている。youtube、友人からのデザインの仕事、メルカリ、ちょっと遠い安いスーパー、いつかまた本を出すための準備。
そこからの鬱。動けない、食べ物がない、Uberを頼む、自炊のための食材が腐っていく、家事が止まる。…

ついに溢れた。頓服を飲む。生死の縁を歩く。
いつも「よく頑張っていますよ」と言われる。それでもお金が足りない。
保健師さんからは手当や給付金の紹介はなかった。
どうしてここに来てしまったのだろう、悪い渦にのまれて、私は抜け出す術を知らなかったのだ、遠い霧の奥は明るいだろうか、暗いだろうか、考えてはいけないという。
必死にここまでやってきたが、それでも私の人生には我慢が必要らしい。

欲しいものをたくさん諦めること
数年に一度の求人に応募できないこと
定期的にyoutubeを更新できないこと
なかなかデザインをやる時間が取れないこと
観に行けなかった展示
通えなくなった銭湯
眠れずに朝を迎えること
何もできずに歳だけ取っていくこと
おじいちゃんとおばあちゃんに会えないこと
自分の作ったご飯の味がわからないこと


もうどこへも行けない。いつまで持つかわからない。お金だって借りられるかどうか。病状が悪くなる、本末転倒だ。

潮の流れか、海岸の隅に溜まった。私は隅に来てしまった。

おいしいご飯を食べるにはどうしたってお金が必要