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世界に誇る日本のシンボル『富士山』

こんにちは。日和のTです。

今回は標高3776m信仰の対象と芸術の源泉富士山を紹介します!

信仰の対象


富士山が噴火する様子に人々は神が起こっている様子を重ねました。そして、富士山は神が住む山として畏れ、崇められていきました。

元々は、遠くから拝む遥拝の対象でした。富士山の麓には、噴火を鎮めるために、遥拝所として浅間神社が建設されます。

しかし、噴火活動が鎮静化した平安時代後期以降、山岳信仰と仏教の一種である密教が合わさった、修行道の道場となります。こうして、富士山は登拝の対象となっていきます。

室町時代後半には、富士山への登拝は修経者だけでなく、一般庶民にも広まり、大衆化されます。

江戸時代、「富士講」という富士山信仰のまとめが関東を中心に流行し、多くの人が富士山に登頂するようになります。
ちなみに、当時は女性の登頂が禁止されていましたが、明治時代に解禁されました。

芸術の源泉

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(富嶽三十六景より凱風快晴)

富士山が登場する芸術作品はいつの時代にもあり、そこからも日本人の富士山への思いが伝わってきます。

・日本最古の物語、竹取物語(作者不詳)→平安時代
帝がかぐや姫からもらった不老不死の薬を焼いたのが日本一高い山・富士山です。
不老不死の薬を燃やした山=不死山→富士山、というように竹取物語が富士山の名前の由来となったのではないかという説もあります。

・和歌、田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ(作者:山部赤人)
この歌は日本最古の勅撰和歌集「新古今和歌集」に収録されていて、「百人一首」にも選ばれています
鎌倉時代
※日本最古の歌集「万葉集」上では田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りけるという形で記載されています→奈良時代

・印象派の画家への影響もあった、富嶽三十六景(作者:葛飾北斎)→江戸時代
富嶽とは富士山の別称。四十六作品あり、初めての版三十六作品は「表富士」、後から追加された十版は「裏富士」と呼ばれています。


他にも、「東海道五十三次」のような絵画、「源氏物語」や「伊勢物語」といった古典作品、松尾芭蕉や与謝蕪村による俳句、夏目漱石や太宰治の書いた近代文学作品など、多くの芸術作品に富士山が描かれています。


世界自然遺産と富士山


富士山は、2013年に信仰の対象、芸術の源泉として世界文化遺産に登録されました。
では、なぜ自然遺産ではなく文化遺産だったのでしょうか?

・すでに富士山と同じような形のいくつか山が世界遺産として登録されている


・富士山よりも火山活動が盛んな山が世界遺産として登録されている


・自然のままの姿があまり残っていない


・ごみ問題、し尿問題(トイレ整備が不十分)


以上の理由から、富士山は自然遺産とは認められませんでした。
現在、ごみ問題やし尿問題に関しては、国や自治体、ボランティアの努力によって解決の方向に向かっています。




富士山に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という言葉がありますが、一生に一度、古来から日本人に特別に思われていた富士山に登ってみてください。

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