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どうでもいいけど、ムカつく

「お父さん、再婚したって」

中途半端に酔っ払って帰宅した弟がぼそっと言った。
全く想定していない出来事が起きると、フリーズしてしまう。
何も言い返せず、結果的に無視してしまった。

「あのさ、お父さん再婚したらしいよ」

2回目だから流石に脳みそが動く。
動くけれども、返事に困る。
誰と再婚したのか、いつ再婚したのか。母親にはどう伝えようか。
どうでもいいと思っていたはずなのに、いろんなことを考えてしまう。
色々考えた末の返事が、「お母さんには言わなくていいから」という全く弟の情報管理を信じていないが故の言葉だった。

父親がそこまで好きではない、というか嫌い。
大学まで私立に通わせてもらってとか、諸々の恩があるけど、それを差し引いても嫌い。だから相当嫌いなんだろうと思う。

父親の嫌いな側面が自分の人格形成に大きく関わっていると、自分を俯瞰できる年になってようやく実感するようになった。
自信を持ちにくい側面があるけど、そういえば父親が褒めてくれることなんてほとんどなかったし、あんまり関心を持ってくれていた認識もないなとか。
HSPっぽい側面があるけれど、22:00くらい超えるとなにか音を立てるだけで怒られてたなとか。床に置いてた本捨てられたりしたなとか。
大きい音が苦手だけど、扉閉める音がびっくりするくらい大きかったなとか。

それぞれに因果関係があるかはわからないけれども、嫌いだからこそとりあえず結びつけておきたくなる。そのほうが自分の感情の処理がしやすいし、自己理解が進んでいる気がするから。本当のところはどうかわからないけれども、一旦はそういうことにしておきたい。

端折るけど離婚したときは、まあそうだよねと思ったし開放的だ〜〜とも思った。
清々した、という言葉がまっすぐ当てはまるような感情。
スワイプして脳内から消した。(懐かしい)

そんな父親の再婚なので、正直特に感想もないだろうなと思っていた。
というか、心底どうでもいい。今後どうなろうが、別にどうでもいい。もう他人だから。
でも、再婚の知らせにめちゃくちゃ腹がたった。
この腹が立つ、という感情が理解できなすぎて、でも自分の中で渦めいていて消化するためにnoteを書き始めた。

どうでもいいと思っているけれども、そのどうでもいいという感情は限りなく恨みに近いのだろうと思う。
惰性の無関心ではなく、積極的な無関心。
関心を持たないという暴力で、記憶の中で父親を殴り続けようとしていたんだなと色々考えた結果結論付けた。青年期にされたことを、今になってもやり返そうとしている。子供のままだなと思う。

積極的な無関心、言い換えるとネガティブな感情で興味を持ち続けているんだろうと思う。離婚して姿を見ることがなくなってからもずっと。

話は変わるけれども、恋人とTokyo世界の話をしていて、これマザコンなんじゃないかみたいな話をしてた。Tokyo世界は母を敵だというけれども、歌詞を見るとそうでもないというか依存にも見えるというような話。

自分もそうなんだろうなと思う。ファザコンじゃないと思っているけれども、これもファザコンなのかもしれないという結論に至った。好きというベクトルじゃなくて嫌いというベクトルで、支配されていないのに未だに支配されに行っている、自分から。

短期的な瞬間の積み上げではそこまで意識することはないけれども、長期的な積み上がりではこれからの人生にも影響しそうだなと思う。

そういえば、父親もパスタが死ぬほど好きだったっけ。

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