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あの冬のいち

1月の中旬、午後1時、晴天の空、バス停。陽の光の温かさ、手の甲が乾燥しているのが気になって仕方がない。

どうしていつもあきらめようと思ったところで、立ち止まってしまうのかな。地団駄踏んだところで変わらないか悪くなるかのどちらかなのに。食堂のメニューで食べたかったメニューが売り切れた時はいつもすぐに違うメニューを決められるのに。「決めるの早すぎるよ~」って友人から言われるのに。どうして。

まもなく発車するとアナウンスが流れた。でも中々発車しなかった。運転手の人が鏡を見ている。男性が急いで走ってきた。無事に男性が乗れたことを確認したら斜めに傾いたバスが元に戻った。

今日はしばらく一緒に過ごそう、なんて言ってくれることをいつも期待している。「今日は、勉強道具持ってきたんだ。」って。だけど今日もリュックは軽そうだった。私はいつも余計なものが入っているように見えるほど、パンパンなリュックを私は背負う。

バス停で見送る私を見ている。私を見てどう思う。さみしいとか、後悔とか思っていたりするの。ねまきもってくればよかった、とか、家に帰るって言わなければよかった、とか、一緒にいたいとか。

結局私は乗らなかった。バス停で見送った。だって私には私の人生があるんだもの。私には私の明日があるんだもの。それと一緒で、彼は彼の明日があるから。けれど、たまに乗ってみたくなる。明日なんてどうでもいいから、一緒に過ごそうよって。それを彼は思ったりするのかな。わかんない。


2021年1月



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