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とある雨季の夜に

留学2学期目が始まった近況を、noteに残そう!と力みながらちょくちょく書き進めては下書きを保存していたけど、カロリー高めだったのでまだ完成していない。授業の紹介などはまた今度。

盛りだくさんで前進的なオーラを纏わせた留学記録は一度横に置いといて、なんでもない1日を、今を記録しておこう。じっとりと茹だるような雨が降り続け、脳みそが鈍かった今日を、今考えてることをとりあえず殴り書きした。

2学期目- week2の水曜日: 22:50

時々、不愉快な疲れが溜まると、1日中へばってしまう。昨日まで好奇心旺盛に心の底から楽しんでやっていたことに対して、途端に無関心になったり、全てのことに面白さを見出せなくなってしまう。そして、どんなに好きな人たちでも誰とも話したくない、なんなら人間の姿すら見たくない、と極端に引きこもりに走る。

こういう時は何もしない方がその疲れを余計引きずるので、根性で溜まっている課題にひとまず向き合い始めて、心が動くまでひたすら無心で進めようと、意思は一応もって踏ん張ってみる。が、今回はそれでも全然何も頭に入ってこなかった。week2にして早速このへばりを出してしまったことに憂鬱で仕方ない。調子の波は激しいので下振れしても、絶対止まらないで2学期はやり続けるぞ!と強い意思を持っていたはずなのに、全くだめになってしまった自分に失望する。

留学生活は案外にも短く儚い。取りたい授業も全部無理言って参加させてもらえた分、自分のできるすべてを使って取り組みたいって思ってる。そもそも、自分のすべてを出し切って100%で向き合いたいって思える環境は本当に滅多に出会えない。巡り合う大体の環境において、この集団にいるより1人でやった方がマシって思って静かに姿を消してきた。NUSインダストリアルデザイン学科の今回履修したスタジオ授業では、鬼のような課題量を毎週懲りずに出してくれて、成果物を批評してくれる教授、黙々と進捗を出していく尊敬できるクラスメイト、デザインにまつわる洋書の膨大な書籍が揃っている。1回4時間のスタジオの授業は出てきたリファレンスや教授のジョークまで細かいものまで全部頭に叩き込むつもりで、どんなに寝不足でも目と耳をかっぴらいて前のめりで参加している。その時の熱量を、ひとり部屋に帰った後もずっと保ち続けて課題に向き合おうとしているけど、怠惰さと体調の限界が混じり合った塊で、ガクンと1日力が抜けてしまった。悔しい。

気持ちだけは堂々と仁王立ちって感じだけど、ちゃんと毎日プログレスできてるのかは微妙なところ。割と火事場の馬鹿力で人生をどうにかしてきているので、筋トレ的に毎日着実に一歩一歩!を2学期のテーマにしつつ、どうすればそれが実現できるのか考えよう。今のところのアンサーは、調子が乗ってる時に力尽きるまで走り続けるのをやめることで、ちゃんと生活をすることです。気持ちだけは戦闘民族だけど、それについていける筋力も知恵もまだまだ....なので明日朝起きれるくらいに体力を温存するということを覚えよう。

世界中の留学生の友達と時間を過ごすのも、新しい人と出会うのもとても好きだから、1人こもって真剣に課題に取り組むことと、皆とワイワイたわいもない時間を過ごしたり、話したりすることのバランスの舵取りを器用になりたい。昨日はだいぶ課題等の疲れが溜まっていた後に、眠い目擦って1時まで外で、古典SF小説の話をしていた。SFで描かれるディストピアが今現実社会にいつ起きてもおかしくない、もしくは起き始めているよねという会話だった。他国との関係性の緊張感が比較的薄く、それ故か国際社会に無関心な人が多い日本の中だけでは、この話は出ないだろうというような、リアリティと緊迫感、ある種の諦めと覚悟を持った同級生の留学生とひたすら語った。自国を失う可能性があると自らが考えている彼女たちにとって、英語を自由に扱えるようになるということ、海外での学位を取得することに対する真剣さが、自分の生半可なものとは一線を画していることを肌で感じ取った。国の状況に対しては、どこまで踏み込んでいいかもわからず自分の不勉強もあり、意見することはできなかった。各国で抱える問題が大きく違っても、性/ジェンダーについて語る時、やはりガールズたちの抱える怒りや悩みは同質だ。人は、自分が虐げられる側に立つことがないと、どうにか戦ったり声を上げたりしないのだろう。当事者じゃないとわからないことがありすぎる。だけどこうやって肩を並べて相手を目の前にして話すことは、冷たいスクリーンの先のメディアの言葉を介した誰かの想いに触れる時より、随分と生きている。無関心でいることなんてできなくなる。インターナショナルな場に居続けないと、また自分の生活しか気にしてられないと考えることを投げ捨ててしまう自分になってしまいそうで日本に帰るのがちょっぴり怖くすらなる。彼女たちにもし、本当に、住処を奪われ文化を奪われ、命すら奪われるかもしれない日が来てしまったとしたら、私は何ができるのだろうか?はたまた今、知り合うことがなかったというある種の偶然だけで、自分から遠いものとして感じ、大して何もできていない、この瞬間も略奪の蔓延する地獄のような世界で戦い続ける人々のことが脳裏に浮かぶ。一時的な同情と関心を向けて、その後は普通に日常生活を送り、たまに思い出し頭を抱えている程度の、何もしていない自分を、どうしていいかわからなくなる。

宇宙の中で、地球の中で、人間社会の中で、無意味にすら思えるほど小さい自分には、出来ることが限られている。せめて、目の前で涙を流す誰かがいたら歩み寄りたいし、自分が愛する、デザインという行為をもって、少しでも緩和したり調和したり、誰かの涙が減らせたらいいなと思う。知的なゲーム性の中に溺れて、エゴイスティックにものを作ることの愉しさも非常に分かる特権性の中に自分は居てしまっているが、誰かの為に愛と祈りを持って何かをつくり、それが少しでも希望になるのなら、それほど幸せで不朽な営みはないと思う。なので、今は軽やかなステップで楽しみながらも着実に力をつけて、ここぞという時にちゃんと形にできる、窮地に立たされた時、絶望の中に光を拓けるような大人になりたい。今までの自分の絶望を、幾度となく救ってくれた不特定多数の存在に恩返しできる日まで。

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