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型にはまらない苦しさと、はめられる苦しさと


mbtiなど自己分析系のものがやたらと流行っている。かくいう私もはまっている1人だ。
TikTokでもInstagramでも「mbtiあるある」の動画や記事を見かける。しかしおそらく本来はそんなにきっちりと型にはめてしまうようなコンテンツでもないし、私が考えていることも"正しい"思想とは言えないと思う。そもそもそこに見出されているのは、正しさではなくてきっと楽しさと安心だ。

1.型にはまらない苦しさ

誰しも自分の欠点や気になるところがあると思う。それについて、これって自分だけなのかな、こんなことしてるの自分だけかも、と不安に思うこともしばしばある。
ネガティブな意味での、"自分だけ"は相当な不安要素だ。その欠点が、自分にとって大きければ大きいほど辛い。そんな時に、同じような人を見つけると安心する。

よく漠然とした不安感に駆られることがある。
現在の自分に対しても、そんな自分の将来に対しても。
そんな時、私はすぐに性格診断なるものを調べてしまう。
私の回答から手っ取り早く特徴を見つけ出して、長所短所、向いてる仕事向いていない仕事を表示してくれる。あ、私はこういうタイプなんだ。アイデンティティが見つかったような気がするのだ。型にはめることで、力も抜け、一時的に安心する。心理機能にハマっているのも、私を悩ませる内面の漠然とした不安が全て心理機能に帰結してくれるような気がしているからだと思う。不安を心理機能という原理にあてはめて、不安である理由を裏付けて、安心しているのだ。
一昔前の時代の人はどうしていたのだろう。
アイデンティティに悩んでも、性格診断をしてくれるサイトを調べることが出来ない。知恵袋で同じような欠点を持つ人を探すこともできない。不安で死にそう。
ただ、一昔前なら、多様性よりも協調性や人と同じであることを求められることが多かったからアイデンティティに悩むようなことは今より少なかったのかもしれない。

2.型にはまる苦しみ

今の私には、こちらの方が大きい。
私は私だけの何かが欲しいと思う。そうでなければ、私が生きている意味が無い。

私がいなくなっても何も変わらないし、ましてや自分だけが可能なものなどないに決まっている。そんなことは百も承知なのだが、やはりどうしても、生きているなら、せめて周りの人に対してくらいは「私」が私である意味を持たせたいと思ってしまう。
私だけが自分の周りの人にしてあげられること。
私だけにわかること。
私だけの感覚。
それがあったらいいのに。いい意味で人と違っていたい。

そして、手っ取り早く"アイデンティティみたいなもの"が分かるものに引っかかる。
例えばmbtiなら16分割だ。
ものすごーく単純に考えると100人いたら6人も私と同じような人がいる計算になる。
分かっている。そんなもの考え方の癖であって
誰一人として全く同じ人はいないと頭では理解していても、mbtiがどんどん広まってそれぞれのタイプの解像度が上がっていくにつれて
自分をどんどん型に押し込めて動けなくさせてしまっていると感じる。
思い込みが強くなって、自分は変われないのかもという不安も膨らみ続ける。

3.まとめ

私は今、所謂"多感な時期"にいると思う。塞ぎ込んでしまうのも、変な考えや被害妄想に陥ってしまうのも全部時期のせいかもしれない。
ただ、なんでもいいから型にはまらない苦しさとはめられる苦しさを行き来するのをやめて、
自己が明確に出来たらいいと思う。
あわよくば、自分を好きになれたらいいと思う。

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