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巣ごもり文学

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巣ごもり文学がはじまるのだ

仕事も飲み会も全てが自宅のPCモニター越しという毎日がはじまって2ヶ月が経過。突如はじまった「世界の終わりのはじまり」のような現実に最初のうちは圧倒されていたが、それも次第に日常化してしまった。映画の中でテレビのレポーターが、怪獣の襲来を報じているシーンを観るように、信じられないはずのニュースをぼんやり眺めている。 朝起きて、誰とも会わず仕事を終え、少し長めの風呂に入って、ビールを飲んでねる。規則正しいから、朝はどんどん早くなり、1日は日増しに長くなる。圧倒的な非日常の下、

ビールに合うコンテンツ考 〜あるYouTubeerの視点〜

酒の肴は、何も食べ物に限らない。音楽や会話はもちろん、動画コンテンツも酒を美味しくする。最近、テレビの大画面にYouTubeを映すことを覚えてからすっかりYouTubeer化(YouTubeを観ながらビールをガブ飲みする困った人)している者として、ビールに合うコンテンツについて一考察を加えたい。 まずジャンルは何でもよいが、映画は合わない。お金を払って劇場で2時間集中して観る観客に合わせて作られているので、麦芽の旨味に気分がホップしている状態の人間とはテンポが合わない。感動

【コトバの広場】ふぞろいの英語たち

小学生だったか、中学生だったか、国語の教科書だか英語の教科書だかに「コトバの広場」なるミニコーナーがあった。いや「コトバの泉」だった気もする。まあどっちでもいい。割とどうでもいいこと(少なくともテストには絶対に出ないこと)が書いてあり、退屈な授業の羽休め的なコーナーだった。毎日どうでもいいことを書いてると、ふと思い出した。 コトバまわりの割とどうでもいいことといえば、緻密に織り成された日本語に対しての英語のほつれ問題である。さすが世界一普及している言語だけあり、もちろん概ね

忘れられない話のはなし。 ~沢木耕太郎墜落と高須光聖の気球事件~

一度聞いたら忘れられない話がある。いわゆる「話に引き込まれる」という状態は、濃密なイメージを脳に刻む。そしていつでも、昨日の出来事のようにありありと思い出せる。これはもう、体験といってもよいものだ。「作家」という職業の人たちは、この「概念的体験」というものを生み出す能力が高いように思われる。 そんな話のひとつが、「深夜特急」で日本中の若者の旅情に火をつけた沢木耕太郎さんの話だ。少し昔、シルバーウィークというものができた年、その初日の旅行イベントに沢木さんがゲスト登壇するとい

What on earth!ほつれまくった朝ドラ「まれ」の塩騒動を振り返る

前々回の英語のほつれに関する論考は、「Upside Down」にはひっくり返らなかった私が「What on earth!(一体全体)」にはひっくり返ったというところがメインポイントであったような気がする。今回はその流れを受けて、私がひっくり返ったWhat on earth!な朝ドラについて考えたい。 みなさんは2015年に放送された「まれ」を観ただろうか?これは全編がWhat on earth!に包まれた大変貴重な作品である。あまりのことに目を覆いながらも、指の隙間からなぜ

【朝ドラ考】ホームvsビジターの勝率差から考える「エール」の効果

エールが面白い。テンポの良い脚本に、二階堂ふみのヒミズ以来の叱咤激励ガールぶりや、クドカンがよく使う「物語装置としての第三空間」の役割を担う喫茶「バンブー」の存在。その女主人仲里依紗の怪演とそれをもっちゃりと支える野間口徹の夫婦コンビに、音楽ディレクターを演じる古田新太はあまちゃん「太巻」のセルフカバーだ。 さて物語の主人公である窪田正孝(古賀裕一役)のモデルは東京オリンピックのマーチを作った作曲家の古関裕而という人らしい。ほんまに天才かいな、ということで調べてみると「栄冠