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凪の鱗

 朝目がさめると、人間に戻れたような気がして安心する。
 裸身に擦れるシーツに籠った平熱以上の温度に辟易としつつ寝返りを打てば、隣には戦争を終えて横たえられた銃身のように眠る男の穏やかでない寝顔があり、北斗七星のようなほくろのついた首があり、胸板があって、守れないものが洪水のように押し寄せてくる性を用意した神々の意地のわるさを呪いたくなる。
 衣擦れの音をたてないように、そっとそっとベッドを抜けだしたつもりが、男の眠りは浅かったようで唸り声をあげる。男の眼とわたしの眼が、愛するよりもおぞましく、汚すという語に任せるには足らない熱量で、ばちりと合い、男の手がわたしの手に伸ばされる。

「待って」
「待たない。これから授業」
「ごめんって。もう嫌がることはしないから」
「どうだか」
 そうあしらって手を振り払えば、わたしの手首には赤い痕が輪のかたちに焼きついている。このひとはなんにでも持っている握力を全力で振りかざす。エンゲージリングが誓いなら力任せのこの痣は、なんなのだろう。掛け布団に埋もれていたショーツとブラジャーを探りだして身につける。こんな花柄のレースが人間の裸の、大事な部分を守らなければならないなんて荷が重すぎやしないか。けれど、布切れに感情移入をしたところでどうにもならない。すでに完成されている理を覆すことほど億劫なことはないのだから。
 ほんとうは一時間はかけて施したい化粧を五分で終わらせて――ファンデーションは使わずにフェイスパウダーで済ませて、アイシャドウはブラウン一色でグラデーション、アイラインは目尻を数ミリ伸ばすだけ、マスカラとシェーディングとハイライトは諦める、リップの類も塗らない、どうせマスクをつけるのだから変わらない――、二日連続で着ることになった白のAラインワンピースを包み隠すようにグレージュの薄いロングカーディガンを着込んで男の家を出ると早朝から稼働しているらしい工場群の煙突がもくもくと濁った灰色の煙を吐きだしており、世界が終わりゆくことに抗おうとしているかのようだった。山帰りの霊柩車が三台並んで信号を待っている。町の景色を霞ませる煙のうちには、もしかしたら、死体を燃やす業火によるものも含まれているのかもしれない。
 線路沿いの川ではきょうも人がよく飛んでいる。翼のある生きもののように飛びたつというよりも、打ち棄てられるように川へと落下していく。一、二、三、四――人が飛ぶたびに飛沫があがり――五、六――時には運悪く川底に躰を打ちつけて血の色がぶわぶわと噴きだして川下へと流れていく――七、八、九――そうして海を汚す。いつも二限目の授業に行くときに警察が死体を回収しているのを見かけるから、きっと十時ごろになれば川は何事もなかったかのように綺麗になっている。
 川を見下ろす人波のなかに多香ちゃんを探して、見つからなかったことにほっとする。
 財布にもパスケースにもしまわず鞄にそのまま入れているICOCAを取りだして改札口にかざす。ここではない町の名前と大学のある町の名前が刻まれた通学定期は意味を成さず、あと一か月で有効期限が切れる。ホームにちょうど滑りこんできた普通電車に乗りこむと、鈍足ながら、工場の立ち並ぶ景色は後方へ過ぎ去って、霊柩車の行き来を山行き山帰りと呼ぶ所以の火葬場がある山と都市部をつなぐトンネルを通り抜ければ、男の住む町よりも幾分か息のしやすい観光地が広がっている。大学の最寄り駅は例の川の上流がわにあたるけれど、人が飛んでいるところは見たことがない。ここらは景観条例が厳しくて人が飛ぶことを許されていないのだと、はじめてあの町に足を踏み入れた日にあの男に教えられた。川沿いでは学生らしきおんなのこやおとこのこがおなじ方向にむかって歩いている。そうして大学に着いてしまえば世界終末宣言なんてなかったかのように、おんなのこたちの談笑する声や、おとこのこたちの異性を品定めする下品な視線があって、わたしが見ているニュースや川の光景はぜんぶ嘘なのではないかと眩暈がするようなきもちになる。とはいえみんなマスクはしているから、宣言のことを完全に無視しているわけではないのだろうけれど。
 ある冬の日にふっと発生した感染症は人を殺しつづけて、しかし人々が流行を抑えこむことをできずにいるうちに早二年、はじめにそれを唱えたのが誰だったのかは忘れてしまったけれど、世界中の政府が世界終末宣言を発令した。感染症に打ち勝てなかった人類は近いうちに滅びるのだという。だから、もうなにもしないのだという。
 多香ちゃんは元恋人の結婚式に参列すると言って新幹線に乗ってどこかへ行ってしまった。もしかしたらそのひとを略奪してよろしくやっているかもしれないし、愛していたきもちにけじめをつけてもう人生を終わらせているかもしれない。どちらにしてもこの世界が終末を迎えるまえにやっておくにはふさわしいことのような気がした。
 オンライン講義室の入り口でアルコール消毒液を全身に噴霧されてから席につき、据え置かれているノートパソコンをひらいてじぶんが受ける講義のURLをクリックする。しばらくすると長い癖毛をひとつくくりにしている男性教員の顔が映し出されて、記号論の講義がはじまる。この教授は出席さえすればランクSをつけてくれるからちょろいといったことを安曇が言っていたけれど、画面の端に表示されている出席者名簿のなかに安曇の名前はない。ときどき、語学の講義を受けている学生が単語を発音しているのがイヤホンをしていても聞こえてくる。
 ふと、斜め前に座っているスーツ姿の女子学生のパソコンの画面が視界に入り、それが講義の映像ではなくアダルトビデオの映像だと気がついてしまう。女優の顔はよく見えない。胸がすごく大きいことだけはわかる。ふふん、と笑うような、息を吸いすぎたような音が耳に入ってきて目線を講義の映像に戻す。
『誰がとは言いませんが、授業中にAVを見たいひとはこっそり見てくださいね』
 さして怒っていないらしい笑顔を振りまきながら教授が注意する。すると女子学生がアダルトビデオを見ていたタブを消して、入れ替わりにわたしが受講しているのとおなじ記号論の教授の顔が映しだされた。で、話を戻すんだけれども、と教授は講義のつづきに取りかかり、画面を自身の顔からルネ・マグリットの「これはリンゴではない」という絵に切り替えた。
 おれだって、いつかは飛ぶがわだぜ?
 イヤホンで教授の声を流しこんでいるはずなのに、その声はどこかにすり抜けて、わたしのあたまのなかでは休日の真昼間に男と交わした会話が繰り返されている。
 この町にいるとさ、生きてる感触がしないんだ。
 守りたいものがなにもないんだよ。
 手首についていた痣の輪は一時的なもので、いまはもうすっかりと消えている。


 電話をかけると三回めのコールの途中で、もしもし、と通信機器を通したときの機械じみた声で安曇が返事をした。授業に出ていなかったくせに電話をとるのは早い。どこにいるのか尋ねてみたら大学には来ているというので食堂で待ちあわせをすることにした。
 数々の校舎に囲まれている広場は炎天下だというのに人出が多く、東屋に取りつけられた大型モニターではお昼のニュースバラエティが――終末までにやっておきたいことランキング、第四位は絶景観光――放映されているけれど、ただ垂れ流されているだけで注視している者はおらず、皆おしゃべりに興じている。おかしい、だなんておもってみたものの、大型モニターで番組を真剣に視聴しているひとなんて前々から見たことがない。あれは本来広場でイベントを催す際に使われるらしいのだけれど、わたしが入学したときにはすでにただの大きなテレビと化していた。
『感染症感染防止対策に努めていますか?』
 お昼の放送がなんとなく聞こえる。
 食堂の入り口に長袖の黒いシャツを着た人物が見えて安曇だとすぐに把握する。安曇は日焼けをすると肌が赤く腫れて、おまけに熱のような症状も出てしんどくなるからといって夏場でも長袖を身につける。下も長ズボンで、サンダルはぜったいに履かない。すこしの日焼けでもほんとうに駄目らしい。
「カツ丼三割引きらしいよ」
 わたしの姿をみとめるなり安曇は淡々と告げた。
「まじか」
 たしかに食堂の入り口に置かれた看板にそう書かれている。虹の配色のグラデーションがかかっている背景に別の写真からいかにも切り抜きましたといわんばかりのカツ丼の写真が貼りつけられていて、通常価格三百五十円(税込)に取り消し線が入れられ、その下にでかでかと二百四十八円(税込)と書かれている。
「取り調べも三割引きになんのかな」
「なにそれ」
「カツ丼、食うか? ってやつ」
「カツ丼、食うの?」
「食べようかな。あんたはどうすんの?」
「ううん、中で決めようかな」
「そ。じゃあ行きますか」
 安曇が重い扉を開けて目配せをしてきて、わたしが先に入る。そして続いて入った安曇が扉を閉めると天井に設置された噴霧器が作動してわたしたちにアルコールの霧を浴びせる。教育機関で感染者を出すと大罪扱いされて、メディアに吊るしあげられて、下手をすると廃校になってしまう。そうやって潰れた大学がいくつもある。けれど、それほど悲しいことともおもえないのは、世界の終末と将来にむけて行われる教育が矛盾の関係にあって、片方が淘汰されればもう片方が正解になるからなのだろう。
 灰色がかった水色の薄汚く見えるトレーを持って、料理の受け取り口の上に掲示されているメニューを仰ぐ。安曇はカツ丼と決めていたから丼物の受け取り口の前まですぐに歩いていった。
 きつねうどん、醤油ラーメン、ミートソースパスタ、親子丼、カツ丼、ロコモコ丼、唐マヨ丼、オムライス、ジャンカツ定食、鮭定食、しょうが焼き定食……。
 ぐら、と急に力が抜ける感覚がして瞼が重たくなり、眼球の奥から眠気の波に迫られる。
 まずい。早すぎる。
 強く強く、ぎゅっと瞼をつぶってあたまを振る。すると眠気はおもいのほかやすやすと去っていった。
 トレーに杏仁豆腐だけを載せて会計を済ませたら、え、それだけ、と安曇が怪訝そうな顔をした。安曇のほうは宣言していたとおりカツ丼で、ほかにもほうれん草の胡麻和えの小鉢とコーヒーゼリーも購入している。三割引きで浮いたお金をほかの品に回したのだろうけれど、通常価格以上の金額を支払っているのはいかがなものか、なんて貧乏くさいことを考えた。
 安曇と並んで席につき、壁と向かいあって手を合わせる。壁には入学おめでとうだとか、学生生活楽しんでねだとか、食堂や購買で働いているひとたちが春先に書いたメッセージカードが貼られっぱなしになっている。
「学校には来てるんだね?」
 電話が繋がったときから疑問におもっていたことを口にだしてみる。
「あんたが電話してきたからね」
「なんだそれ」
 電話するまえから来ていたじゃないかとおもったものの、こちらが言い返すまえに安曇が続きを話しはじめる。
「学校なんてひとと会う口実じゃん。世界終わるのに勉強するなんてあたまわるいよ。違う?」
「違わない」
「じゃあいいじゃん、それで」
「まあ、そうね」
 なんだか言い負かされたような気がする。ほんとうのところは、どうなんだ。けれど、三割引きのカツ丼では自供にはいたらないらしい。そもそもカツ丼はわたしの奢りではなく安曇がじぶんで買ったものだからわたしにすべてを話す必要はない。
 代わりに先ほどの授業で見かけたアダルトビデオの女子学生のことを話したら、安曇は、ああ、それって、と口をもぐもぐさせながら大きくうなずいた。
「ハセナスカじゃない?」
「ハセ、ナスカ?」
「どんな字書くか忘れたけど」
 ハセナスカ。はせなすか。杏仁豆腐の甘ったるい香りの残った口で呟いてみる。聞いたことのない名前で、はじめて口にする響きだ。スーツを着ていたということは就活をしているのだろうか。だとすれば同じ学年かもしれない。
「ま、いい女だよね」
「え、やったの? 最低」
「は? やってないよ、失礼な。そういうのはもう卒業してんだって。じゃなくて、なんの授業だっけな、なんかの授業でAVの音声垂れ流しててめっちゃ叱られてたんだよね。あと、ずっと工事してる校舎あるじゃん? あそこに男連れこんでしっぽり、みたいな噂が流れてる」
 まあ嘘くさいけど、火のないところになんとやらだからなあ。安曇はぼんやりとした口調でそう言うとカツ丼をかきこんだ。ずっと工事をしている校舎には安全第一だか危険だかの小さな黄色い旗を暖簾のように繋げたものがかかっていて、ただ揺れている。あの校舎はわたしが入学したころから工事が行われていて、けれど、業者が出入りをしているところは見たことがないし工事の音も聞いたことがない。世界は止まりつつある。
 安曇が食べ終わるのを待って、もうない杏仁豆腐のほんのわずかな汁をスプーンで掬って口にはこんだ。


 入ったときとおなじようにアルコールを噴霧されてから安曇と食堂を出る。身を守るためのあの霧をなるべく吸いこまないようにつけているのに、除菌のあとはアルコールのにおいのせいであたまのなかの一点が千枚通しで刺されるみたいにかんと痛くなり、その痛みは血流にのってじわじわと全身に分散していく。この日々がはじまってからいつでも酔っぱらっているような心地だった。
「こっちは陽が暮れるまで図書館にいるけど、あんたは?」
 安曇は柔らかく湿らされた顔や手の皮膚をハンカチで押さえている。陽射しだけでなくアルコールにも弱いから気をつけないと肌が爛れてしまう。アクセサリーや輪ゴムなんかでも肌が赤く腫れてしまうという。
 ほんと、躰って不自由だよ。
 わたしがアメニティのボディソープを躰に撫でつけているのを眺めながら、安曇はお湯を張っていない浴槽のへりに肘をついてそう独りごちたことをおもいだしていた。ほんとうに陽射しを避けてきた真っ白な躰だった。アレルギーや持病がないわたしはちっともぴんときていなくて、悲劇を演じすぎだろうと嘲笑したいきもちにかられていたけれど、いまならわかる。躰は檻なのだ。わたしをどこまでも連れていってくれるようなふりをして、実際は躰の融通のきく範囲までしか行くことができない。
 ぐ、とまた眠気が押し寄せてくる。睡魔に身を内がわから濡らされていっているような気がするのに、喉はどんどん乾いていく。
「……帰ろう、かな」
「あんた授業ないんだっけ?」
「あったけど、いい」
「あ、そう。賢いじゃん。世界終わるまえにすることじゃないし」
「でしょ? じゃあまた」
「うん、また電話してよ」
 安曇が日陰を丹念に探して一ミリも陽射しのもとに出ないように歩いていく後ろ姿に笑顔をつくって手を振る。そのあいだにも視界は陽炎のように透明に揺らいで、すこしでも油断したら意識がぷつりと途切れるのではないかと不安になった。
 いいじゃないか、それで。
 吐き気がする。口のなかに残っている杏仁豆腐の甘ったるさに胃液の酸っぱさがのぼってきて混ざりあう。すぐにでも座りこみそうになるのをこらえてトイレに行き、便器にむかって喘ぎ、喉に指を差しこんで吐いて、さして内容のない吐瀉物を流して、手洗い場で口をゆすぎ、幾度もアルコールを噴きかけられて、大学を後にする。夏はなにもかもの彩度をあげて視界をぎらつかせる。だから眩しくて、憧れたくなる。
 電車を降りて、ひとびとが川へぼとぼとと落ちていくのを横目に歩いていく。警察が交通整備の要領で、はーい押さないでくださーい、一気にいくと危ないですよー、とひとの群れにむかって声をかけているのがうっすらと聞こえる。まるでお祭りだった。どうせ死んでしまうのに、危ないもなにもないだろうに。それでひとを守っているつもりなの、といじわるに問いつめるじぶんを想像して、けれど、やらない。
 ふふん、と鼻をならして笑ってみる。路地を縫って目的地に近づいていくにつれて顔がにやけていくのがわかった。眠気も吐き気も躰のなかでまだ澱んでいるというのに気分がいい。工場群が懸命に吐きだす煙のせいで薄汚い灰色であるはずの町のコントラストが上がっていく。表現力を光と影に頼った使い捨てカメラの写真みたいに、いいものに見えてくる。土地というよりただの隙間に建てられたといった具合のプレハブ小屋の扉をあけると、男はぎょっとした顔でわたしを見た。
「え。だいが――」
 男の胸倉を掴んでくちづける。極限の空腹に耐えかねて痛んで緩んだ林檎に噛みつくように、腐食のなかにまだ蜜が残っていると信じて吸いつくように、むしゃぶりつく。そのうちに戸惑っていた男の手が洋服ごしに胸に触れて、膨らみに手のひらを添わせ、揉みしだく。男にとって胸は揉むためにあるものなのだろうけれど、わたしのはあまり大きくないから揉まれると皮膚が引っ張られて痛い。くちびるを離して男を突き飛ばして馬乗りになる。
「打って」
「え、ちょ」
「いいから早く!」
「わかった、わかったから落ち着いて」
 凄むわたしの肩を押さえて、ずるずる、と下敷きになっていた脚を引き抜いて男は立ちあがる。ええと、を繰り返しながら迷子にでもなっているかのように狭い家のなかをうろついている弱った姿をぎっと睨む。また吐きそうだ。でも、楽になれる方法をわたしは知っている。
 男の手のなかに注射器があるのをみとめ、四つん這いでベッドまでにじりよる。力を振り絞ってベッドに腰掛けてカーディガンを脱ぎ、腕を差しだす。左腕の内がわは痣が絶えず、赤黒い穴があいているようにみえる。そこに男が注射針を突き立てる。
 躰に液体が流れこんでくるとき、静かだ、といつもおもう。
 注射針が抜かれたときのぽっかりとした痛みはすぐに止んだ。男が注射針をもとあった場所に戻しにいっているあいだに、脱出するようにAラインワンピースを脱ぎ捨てて下着を床に放り投げる。凪いだ鱗のようだった皮膚が粟立ってかっと熱くなって、生きているだけの身のままになる。なにをしているのだろうと、おもわないでもない。安曇ごめんとも、つきあっているわけでもないのにすこしだけ謝りたくなる。
 男はベッドにやってくるなり裸になってわたしを抱きすくめる。肌に触れられるだけで眼裏が光で満たされていく。指が出し入れされるたびにぎゃあぎゃあ叫んで、視覚も聴覚もいっぱいいっぱいになって、意識が快感に引きずりこまれていくほどになにもかもがどうでもよくなる。この世界に生きる価値はなくても、いま、この瞬間がある。
「もういったの?」
 投げかけられた問いかけにうんともふんともつかないような曖昧な音で返事をする。
「早。ほら、ちゃんと脚ひらけよ」
 言われたとおりに両手で両足を掴んで股を晒して男を迎え入れる。尻のあたりのシーツに水分が浸みこんでいくのを感じた。躰が躰の内がわから溺れていく。なにがなんだかわからなくなって涙があふれてくる。
「ったく、顔ぐしゃぐしゃじゃん」
 行為のための動きをやめて男にきつく抱きしめられる。狭い、とおもう。慰めようとしてあたまを撫でる手つきさえもきもちよくてどうかしそうだった。この躰には爆弾が埋めこまれていて、なにかのタイミングで爆発して肉片と化する。そんなイメージが脳裏をよぎる。
「水美」
 男に呼ばれる。
 いまのわたしの帰る場所は多香ちゃんと暮らした家でも学校でも安曇のもとでもなく、ここだった。


 瞼がぱっとひらいて、目がさめたのだ、と気がついた。常夜灯の、なにも明らかにしない夕陽に似た色が天井に小さく灯っている。寝返りを打とうとすると隣に温かい塊があって、狭くて身動きがとれない。ここはどこ、という問いかけが詩になるよりもうんと早く、ここは男の家だとわかり、そうと決まればここでなにがあったのかすぐに理解できた。わたしは、わたしだ。そのことがどうにも悲しくて、だからといって罪の意識のようなものがまぎれるわけもなく、むしろ膨らんでいって、もっともっと悲しくなった。解決方法はない。足のつかない深いプールに放りだされたみたいに、滔々とやってくる不安にただ流されるしかない。
 しけて肌にまとわりついてくる布団から出ようとすると手首を掴まれて、視線をやると目のあたりまで布団をかぶっている男がこちらに顔をむけている。暗闇に目が慣れて辺りの様子が見えるようになっていた。
「待って」
 男の躰が震えている、ということを掴まれている手首から感じとる。いつもそうだ。わたしが快楽の記憶に惹きつけられてここに帰ってきて、暴力のように交わって、終わってしまえば怖くなって。
 ごめん。おれ、また――。
 男が次に言うであろう台詞を想像の声で聞きながら、その躰をまたぐようにベッドに手をついてくちづけをする。くちびるを食むように動かすと、ん、ん、と男が苦しそうに息継ぎをする。布団がはだけて皮膚がクーラーの冷風に晒されて、汗が乾かされるのが心地良くて、わたしはいま服を着ていないのだと気がつく。
 きょうが星のない夜だといい、と考えていた。
 祈れるものなら、終末のこない世界をとっくのむかしに祈っている。
 ……夢なのか想像なのか判別のつかない眠りの光景に、夢も想像も似たようなものだとどこかで納得しながら立っていた。講義室だ、大学の、一般教養の講義をやる広い講義室、そこで視界の左がわからひとが現れて、それは安曇で、キスを交わした。安曇のにおいがした。入浴ちゅうに使っているソープ類のにおいなのか、洗濯に使っている洗剤や柔軟剤のにおいなのか、安曇はいつも清潔なにおいがする。至福が胸を満たしていく。このまま誰もこなければ、いいや、誰かきたとしても、安曇とわたしは変わらない。押し倒す、なんてことばでは暴力がすぎるくらいに優しい手つきでベッドに寝かされて、日焼けを嫌う真っ白な躰に抱きしめられて、してもいい……と訊いてくるなんてありえない、とおもったところで眠りが途切れて目がひらき、常夜灯の光が無意味なくらいに外光にぼやかされる朝が訪れていた。わたしが身じろぎをしただけで起きだしてしまう神経質な男は珍しく眠ったままで、ベッドから出て床に落ちているくしゃくしゃの下着とワンピースを拾いあげて身につける。もう何日もおなじ服を着ている。多香ちゃんといっしょに住んでいた家に帰らないかぎり――正確にはあそこもわたしの家ではないのだけれど、でも感染症が収束しないと元の家でのお父さんとの生活を再開できない――わたしの服が変わることはないのに、ここのところそうおもいつくまえに男の家に行って夜を迎え、朝になれば大学に行くという生活が続いている。
 灰色に霞む町の、駅への道中でスマートフォンを取りだして、通話履歴から安曇の番号にかける。四回めのコールで、なに、と眠たそうな、酸素が足りていないわりに吐く息の量の多い声で返事をした。
「夢に出てきたよ」
『ん?』
「安曇。キスした」
 ぶふふ、と電話のむこうで安曇が汚い音を出しておもいきり笑った。想像どおりの反応だ。こんな話をできるのは、話をして面白がってくれるのは安曇だけだった。
『なにそれ、淫夢じゃん。で、どうだったわけ?』
「よかったよ」
『そりゃどうも』
「うん、それだけ」
『そう』
「じゃあ――」
『ああ、あのさ』
「なに?」
 遮ることばに問いかけると安曇はしばらく黙って、なにかを言い淀む。進行方向に川と橋と、ひとが飛んでいる風景がある。川の清掃時間が近いせいかひとも警察官もまばらでお祭り騒ぎにはなっていない。川のほうは死体の山と血の流れでとても汚いけれど。
『死にたいかもしれない』
「死にたいかもって、安曇が?」
『うん』
「そっか。気のせいだといいね」
『ほんとそれね』
 ふと腕を掻くとふくらみがあって、いつの間にか蚊に刺されている。頭皮から顔にかけて汗の雫が伝っているのが感覚でわかる。拭いたいけれどフェイスパウダーがよれるのが嫌でどうにもできない。人中のあたりに溜まっている汗をマスクに吸わせる。
 太陽が、直視して確認しなくても強い光を放っているのをひとは知っている。
「夏は嫌だね」
『ね』
「じゃあ、わたし大学行くね」
『わかった。行けたら行く』
「うん、じゃあね」
『じゃあ』
 お互いに別れのことばを告げたあとも、安曇とわたしは通話を終えなかった。改札を通っても、電車に乗っても、電話をかけた状態のままスマートフォンをかばんに入れておく。友情だとか絆だとかという目にみえない時間の蓄積よりも安曇との繋がりの感触があるような気がした。
 大学の最寄りの駅から歩いていき、横断歩道越しに、黒いパーカーを着込み黒い手袋をはめた安曇が黒い日傘を差して校門の前に立っているのが見えてスマートフォンを耳に近づける。車がバイクがトラックが、ときどき自転車が、青信号の車道を走り抜けていく。そのとき、安曇と一音違うわたしの名前を涙で濡らした声が呼んで、鼓膜を震わせた。


 黒ずくめの安曇と向かいあって座り、紙をラミネートして左上をリングで留めているだけの簡易でべとべととしたメニューの文字をひとつずつ読んでいく。麻婆豆腐、青椒肉絲、回鍋肉、坦々麺……ちら、と目をあげて安曇の表情をうかがうと、視線はメニューに落とされているもののそれだけで、なにも見ようとしていないらしかった。構わずメニューを読みつづける。餃子、水餃子、焼売、小籠包……わたしだって、文字の読みかたを反芻しているだけでほんとうはなにも見えていやしない。死にたいかもしれない、なんて終末にむかっていくこの世界じゅうのひとびとが抱いている感情であって、安曇だけの感情ではない。それぞれの国の、それぞれのことばで考えて、愛を告げるためにあるのとおなじ数だけの死をおもうためのことばがあるのだった。
 頷いてやるのが、正解だ。
 すいません、と声を張りあげるとコスプレじみたチャイナ服を着た女性店員がこちらにやってきて、はい、おうかがいします、と海のむこうの異国からやってきたとおもわれる訛りのあるイントネーションで話す。
「麻婆豆腐ひとつ」
「麻婆豆腐、おひとつ」
「レバニラ炒めひとつ」
「レバ・ニラ炒め、おひとつ」
「水餃子ひとつ」
「水・餃子、おひとつ」
「焼売ひとつ」
「焼売、おひとつ」
「小籠包ひとつ」
「小・籠包、おひとつ」
「キムチ炒飯ひとつ」
「キムチ炒飯、おひとつ」
「以上で」
「ご注文繰り返します、麻婆豆腐レバニラ炒め水餃子焼売小籠包キムチ炒飯ひとつずつ、少々お待ちください」
 店員がテーブルを離れて姿を消すと、たったいまわたしが注文したものを店の用語に直したらしい、呪文のようなものがするすると述べられる声が聞こえた。はああ、と安曇が口火を切るための溜め息をつく。
「そんなに頼んで全部食べきれるわけ?」
「大丈夫、吐きながらでも食べるし」
「汚い。あんた、わりと美人のくせにときどき残念だよね」
「それはどうも」
「お待たせしました、炒飯に付属のスープです」
 先ほどとおなじ店員が白いスープカップとスプーンをテーブルに置いてすぐに立ち去っていく。熱にふやかされた卵の屑がスープの表面に浮かんでいた。
「安曇も食べて」
「いいよ」
「駄目、許さない」
 許さないってあんたさあ、と安曇はぶつくさ言いつつわたしの前に置かれたカップとスプーンを引き寄せ、ひどくゆっくりとした動作でスープに口をつけた。こうやって決意が綻びていくということを、安曇はまるではじめから知っているみたいだった。このひとのことだ、きっと出まかせやふとしたおもいつきであんなことを言ってみたわけではない。だから何度もこうやってじぶんでじぶんを掬いあげて、きょうまで生き永らえてきたのだろう。
「もう、あんただけになったよ」
「なにが?」
「寝た女」
 キムチ炒飯お待たせしました、と店員が料理をテーブルの真ん中に置き、こちらに引き寄せようとすると安曇が奪うように手を伸ばして赤いれんげを持った。スープが呼び水になって食欲がわいたらしい。綺麗な半球のかたちをしたキムチ炒飯にれんげが差しこまれるとぶわと湯気がたった。ふたたびやってきた店員が、麻婆豆腐レバ・ニラ炒めお待たせしました、と料理をふた皿持ってきて、わたしはレバニラ炒めをもらうことにした。
「みんな感染したり飛んだりして死んだ」
「みんな、って。憶えてるの?」
 安曇が頷き、キムチ炒飯を口にはこんだ。半球がどんどん崩れていく。
「ふだんはおもいださないけど、名前も顔も話題になったらおもいだすよ」
「なんか意外」
「ひと晩でも関係をもつってそういうことだよ。相手のこと、すこしは知ることになるから」
「そういうもの?」
「あんただってそうだったよ」
 レバニラちょうだい、と安曇がれんげを箸に持ち替えてこちらの皿に手を伸ばす。水餃子と焼売と小籠包も運ばれてきてテーブルの上はすっかりパーティーになっていた。安曇の言うとおり頼みすぎたかもしれないけれど、ふたりなら食べきれるともおもった。
「あんたは寝たあとに家族のはなしをした。母親は離婚と再婚と出産を繰り返していて、父親は医者で感染症が収束しないかぎりいっしょに暮らせない。いまは父親違いのお姉さんの家に居候してるって言ってた」
「それ、続きができたよ。多香ちゃんが元彼の結婚式に行ったまま帰ってこなくなっちゃった」
「ふうん。それであんた、ラリってるんだ? どうせしょうもない男の家にでも入り浸ってるんでしょ?」
 飲みこもうとしていた韮が喉にひっかかって咳きこむ。ちょ、動揺しすぎ、と苦笑しながら安曇が水の入ったコップを差しだしてくれてひと息に飲み干した。勝手に滲みでてきた涙が冷たく視界をぼやかし、その隅に不愉快そうにこちらを観察している店員の姿があった。喉はまだ異物の余韻にひくついている。たとえ世界が終わるとしても感染症に罹りたいひとは誰ひとりとしていなかった。
「わかんないとでもおもってたわけ?」
「うん」
「馬鹿。さいきんずっと目の感じが変だったよ、あんなのわかりたくなくてもわかるよ」
「ごめん。やめられなくて」
「いいよ、どうせとめなかったし。小籠包一個もらうね」
「うん」
 キムチ炒飯をたいらげた安曇はれんげで掬った小籠包の端をかじり、あふれ出たスープを飲む。中華を食べると変な元気が出る、と誰かが言っていた。おかあさん? おとうさん? それとも安曇? いや――。
 うえーん。
 と、嘘みたいな声が出てからじぶんが泣いていることに気がついた。
「ちょ、なに? おクスリの時間?」
 茶化すように言いながらも安曇は慌てている。ついこのあいだのように感じるほんのすこしむかしのこと、中華料理のチェーン店に連れていってもらって料理をたらふく食べたあと、デザートの杏仁豆腐をひとくちとごま団子一個を分けあった。そのときに言っていたのだ。
 中華を食べると変な元気が出るっておかあさんが言ってたんだよね。
 だからみいちゃんにはわたしから言ってあげる。
 多香ちゃんはそう言って笑い、熱い熱いと翻弄されながらごま団子にかぶりついていた。
「死にたいかもしれない」
「もう、こっちは治まったってのにあんたが死にたくなってどうすんの」
 はああああ、と安曇はわかりやすく苛立った溜め息を吐いてわたしの前から空になった皿を退け、冷めて纏っていた水分の光を失いつつある水餃子の皿と入れ替える。
「じゃあこれ食い終わったら俺と死ねよ、水美」


 電車は空席が多いようにみえて窓がわの席がすべて埋まっているから満席で、安曇とわたしはドア付近に立ったままでいることにした。恋人のように手を繋いで、震えていた。わたしと安曇のどちらが震えているのかはわからなかったけれど、どちらかの身震いにつられて心臓の音を速くした。ど、ど、と鼓膜を直に打ち鳴らしているかのような音だった。
 中華料理屋で大量の料理をかきこんで大学に戻り、講堂のトイレで手早くセックスを済ませ、わたしが安曇に、あるいは安曇がわたしに恋をしたなら終末がやってくるその日まで生きることを考えたかもしれないけれど、あいにく生きるための手っ取り早い感情を手に入れることはできなかった。講堂で焚かれているらしいお香がいつまでも煙たくてくしゃみがしたかった。
「訊いてもいい?」
 安曇が口をひらく。
「なに?」
「お姉さんがいなくなって家に帰りたくなくなったのはわかるけど、なんでわざわざこっちの方面を選んだの? なんか宛てがあったわけ?」
 お金さえ払えば宿泊施設がいくらでもある都会があるほうではなく、田舎にむかっていく路線に乗るのは、たしかに賢くないかもしれない。都会の人間がおもっているほど田舎は休息のための、便利な土地ではない。そういえば安曇が、JRがぎりぎり通っているような山のなかの集落からやってきたのだということをおもいだす。はじめて肌をあわせて、程よい疲れを携えて並んで眠ろうとしていたあのとき、わたしが両親や多香ちゃんのことを話したように、安曇も母親を置いてきた土地のことを話したのだった――山中で、空模様しか動いてないような場所だった。都会と比べたら幸せなんて言えたもんじゃないかもしれないけど、それなりに平穏に過ごしてたよ。けど父さんが外で女つくって帰ってこなくなって、母さんも金がないからって集落の男どもと寝るしかなくなって、まあ、そうなると子どもは自力でなんとかせざるをえなくなるわけ――わたしは安曇がことばを区切るごとにうんとかそうなんだとか当たり障りのない相槌を打った。幼いころに離婚によっていなくなった母はともかく、父とも離ればなれになってしまったじぶんのことを世界でいちばん可哀想だと自惚れていたことに気がついて、恥ずかしくなった。全人類に等しく幸福があるなら、不幸だってみんな平等なのだ。
「乗り間違えたくなったんだよ」
 嘘ではない。はじめは寄り道くらいのきもちだった。ちょっとよそに遊びにいく程度の。でも、なんとなく降り立った町でひとがたくさん飛んでいる光景を眺めていたら、あの男と出会っていたのだ。はじめから淋しい目をしていた。生きるにも守るものがないという男となんとなく時間をともにしているうちに、いつしか惹かれていたのだとおもう。気分がよくなればなるほど力任せになるところは決してすきになれなかったし、恋に至るには喜びが少なすぎて成立しなかったけれど。寄り道は常習化して、やがて帰り道になっていた。
「ふうん。で?」
 電車がトンネルに差しかかり、走行音がけたたましくなる。
「トンネルのむこうは、どうだった!」
 騒音に負けじと安曇が声を張りあげる。
「隣の区だった!」
「夢ないよなほんと!」
 わざとらしいくらいに腹から笑い声をあげているうちに電車はトンネルを抜けて、今度は安曇とわたしの声が悪目立ちして車内の空気をぴりつかせた。
 駅を出た時点で橋のほうで飛び立とうとしている人間たちがひしめきあっているのがみえた。押すと危険ですよ! ゆっくり進んでください! と警備員が声を枯らしながら叫んでいる。この群衆にまぎれこめば、警備員に交通整理をされながらその場所まで辿りつける。ぐ、と安曇が手に力をこめたのでわたしも握り返す。強く、強く。これから安曇とわたしはこれまで見てきた風景の一部になる。
 ふと、死にゆく群れの先頭に立っているのがあの男だと気がついた。痩せている、とおもった。そして橋のたもとには警備員に取り押さえられたリクルートスーツ姿の女がいて、なにやら泣きわめいている。
「え。あれ、ハセナスカじゃん」
 ハセナスカ。はせなすか。どんな字をあてはめるのかさっぱりわからない響き。安曇が知った名前を口にしたせいで興味がわいてしまい、ただの音だった彼女の叫びからことばを聞きとろうと耳をそばたてる。
 ……やん、いかないで……いいちゃん、駄目、お兄ちゃん!
 ――ごめんな、なすか。
 嘘だ、とじぶんの耳を疑った。大声をあげているハセナスカのことばはともかく、口すらひらいていなさそうな男のことばがわかるわけがない。だいたい、守るものがないと言っていたじゃないか。そんなひとに妹なんているわけがない。これは幻聴だ。薬が切れてきているのだ。はやくつぎを打たないといけない。そうだ、躰のこの震えだって安曇のものではなくわたしのものなのだ。
 そうおもいたかった。
 どうしてこんなときにかぎって、わたしのあたまはまともなのだろう。
 ふわり、と倒れこむように飛び立った男の躰は決して弧を描かなかった。わっと悲鳴があがる。ハセナスカの声だ。まっすぐに川底へとむかっていった躰はほかの死体の上に落ちて、もう動かない。川で死んだというのに、水にも辿りつけないで。清掃入ります、少々お待ちください、と警備員が声をあげると網や担架を持った警官たちが川に下りていき、死体を引き上げていく。誰が誰だか確認することなく、ただ片づけていく。ハセナスカは座りこんで泣きじゃくっている。
 腕を引っ張られて、よろめきながら歩きだす。安曇が滞留している人波を掻き分けて前進していた。
「ちょ、いま清掃ちゅうだよ?」
「関係ない。あのままだと後追いするじゃん、連れて帰らないと」
 安曇はきっぱりと言った。わたしたちは翼も鱗も持っていない、地上で生きることしかできない群衆を縫って突き進んでいく。
 そのとき、この世界が終わるとしても夏はいつもどおり暑いのだということに気がついた。

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*初出 作品集『シメージ:ある夏の印象』(note有料マガジン)

今回の期間限定公開にあたり、加筆修正を行いました。
ひとは飛べやしない。けれど、ときどき飛んでしまえることがあって、引きとめることはかなわない。狂いきることのできない水美に、決意を揺らがせてしまう安曇に、失くすことを知ったナスカに降り注ぐいつもどおりの暑い夏。世界がまだ終わらないのなら、せめてその陽射しがやわらかいものになる日が訪れますように。

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