おもち

一個人の記録。

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最近の記事

消費される事への慣れと疲れ。

自分がコンテンツを投稿する側になってから、都合のいいユーザーに辟易する機会が増えた。 都合良く注目し、都合良く盛り上がり、都合良く飽き、都合良く見切る。 そんな人間達にいくら消費されても僕自身の豊かさには繋がってこないので、こちらも「人間そんなもの」と見切るべきなのかもしれないが、執着心なのか未練なのか、中々見切りが付けられない。 気づけば如何にして、消費される事によってすり減る自分を守りながら都合のいいユーザーにコンテンツを届けられるかを考えてしまっていたりする。 そんな

    • 議論に慣れてない人間って、自分の発言を否定された=自分自身を否定されたってなりがちだよね。

      あなたを否定しているのではなく、あなたの意見や考え方に疑問を呈しているんです。 という事を上手く伝えるにはどうすればいいのだろう。 リアルでもネット上でも、時々人と意見がぶつかる事がある。 何かを決定しなければいけない時なんかはお互いが少しずつ妥協すればなんとか収まるけど、何かの形に収めなければいけない訳では無い状況の場合は大変。 お互いがお互いに主義主張を押し付け合い、それで収まらなければ正論パンチ合戦に発展し、それでも収まらないなら感情論での殴り合いになる。 何十年か生

      • 8月15日は終戦記念日。おまけで僕の誕生日。「8月15日」の辟易。

        産まれてから此の方8月15日に振り回されるメディアや個人をテレビやネットを通じて見続けてきたので、辟易している部分が多々ある。 そういった考えを纏めた事が無いと思い、noteに書く事にした。 8月15日はメディアや個人による「いかに戦争について考えてるかアピール選手権」の日。 人の誕生日がおまけ程度に感じられてしまうほどに世間が戦争の話題で埋め尽くされる日。 それに慣れていない頃は毎年8月になると世間が戦争の話題を無理に取り扱う事に辟易を感じる自分を思い出して、今年もそうな

        • SNSは興奮剤?

          執筆ハイへの気づき。 僕はSNSを自己観察の為のツールとして利用しているのだけど、noteを書き始めてから「誰かに届ける文章」を書く時のモチベーションに「如何に興奮出来るか、如何にテンションを上げれるか。」を求めている事に気づいた。 自己観察の仕方としては比較的長めの文章かつ自分自身の考えを纏める事が主流になっているSNSにおいてひたすら下書きし続けるというもので、そういったSNS上で自分が何を書きたいか模索していると、自分が何に影響を受けているのか何になりたいと思って何を

        消費される事への慣れと疲れ。

        • 議論に慣れてない人間って、自分の発言を否定された=自分自身を否定されたってなりがちだよね。

        • 8月15日は終戦記念日。おまけで僕の誕生日。「8月15日」の辟易。

        • SNSは興奮剤?

          SNS的コミュニケーション(仮名称)

          ある種強要される継続的なコミュニケーションにうんざりする。 SNS上では毎日何万何十万、もしくはそれ以上の膨大な数の情報が飛び交っていて、その中で関わりのある人や特定の誰かの印象に残ろうと思ったら積極的にやり取りしようとする必要がある。 いいね、コメント、リツイート、目に留まりやすい投稿。 これらを毎日出来るだけ行い相手に良い印象を持ってもらえた場合に限り関係性を深めるチャンスが与えられる。 これに対する個人的な正直な気持ちを言ってしまえば、面倒臭いの一言に尽きる。 「自分

          SNS的コミュニケーション(仮名称)

          構ってちゃんに足を引っ張られる人生。HSPに関する話題を含む。

          構ってちゃん=自立出来ていない人間=感情や行動の責任を人のせいにする人間。 感情を発散するような内容になるかと思いますので、感情が伝染しすぎないようお気をつけください。 このnoteを書くモチベーションは感情や記憶の整理ではありますが、以前の僕のように人が発信する情報をきっかけに、より良く生きるヒントを得る人が1人でもいれば嬉しいです。 僕の人生は何故上手くいかないのか、何故思ったとうりにならないのか。 25歳という比較的「人生の分岐点」と言われがちな年齢になった事もあっ

          構ってちゃんに足を引っ張られる人生。HSPに関する話題を含む。

          SNS疲れをSNSで訴える人達。

          常に移動する選択肢がある事の重要性。 最近Twitterに関する話題でよく目にするのが「SNS疲れ」。 SNSに接し続ける事で疲れてしまう人が多いらしい。 原因がなんなのかまでは興味が無いので調べていないし、どういった種類の疲れなのかも分からない。(自分なりに想像するとしたら人間関係疲れって事なんだろうか…。) SNSに疲れた人達が「SNS疲れた」という類の呟きをしている所を見かけるけど、傍から見ると「何故それをSNSで呟いているのだろう。ストレスの原因になっている事が分

          SNS疲れをSNSで訴える人達。

          個人的感情を向けられる事が苦手。

          苦手な事の話。 個人的感情というのは嫉妬や恨み等の感情。 そういった感情は相手のその感情が出てきた背景や理由等が察しにくい分対処対応しにくく、どうしても後手後手になってしまうのが堪らなくストレス。 それを特に重要でも無い人間から向けられると余計我慢ならなくなってしまう。 特に僕の場合だと人間全体や社会全体に興味はあっても、よっぽど特殊な人間でない限り個人には興味がないので、そんな僕が興味の無い個人的感情に意識を向けさせられ時間を取られるのは耐え難い苦痛。 お願いだからこ

          個人的感情を向けられる事が苦手。

          絶食体験。「余計な事」への気づき。

          過剰なエネルギー摂取からの一時離脱。 「自分にとって何が大事なのか」という気づきを得る事が目的。 ここ2日ほど気が向いたので絶食している。 ここ最近不安に囚われて夜はまともに寝付けず困っていて、自分なりにどうすればいいか考えた結果絶食してみる事にした。 絶食すればエネルギー摂取量が少なくなる分疲れやすくなるし、余計な事を考える余裕が無くなる事でぐっすり眠れるのではと考えた。 食事は摂らず、基本は白湯とガム。 空腹に耐えられない時は水分を取っている。 ブドウ糖が含まれている

          絶食体験。「余計な事」への気づき。

          人間関係が苦手というイメージはどこから来ているのか。

          性格やタイプを認知する事の重要性。 今までずっと自分で自分の事を人間関係が苦手なタイプなのだと思っていた。 周りがなにを考えているのか分からないし、分かっても興味も湧かない分どうでもいいなと思ってしまうし、だから馴染めないし、馴染めても「これでいいんだろうか…いや良くない…こんなモノの中に浸っていたくない」となってすぐに関係性ごと破綻させてしまう。 ずっとそんな事を繰り返し続けてきたから、きっと自分は人間関係を構築するのに向いていない人間なのだろうなと思っていた。 そう思

          人間関係が苦手というイメージはどこから来ているのか。

          頭に浮かんだ言葉やふと思い出した話を書き留める。

          ・今の自分から変化したいなら、今の自分を成り立たせているものや事を一旦捨ててしまう、もしくは離れてしまうといいと思う。 それが無くても案外やっていける、生きていける事を知ると気楽になれる。 執着や依存からの解放は重要。 実行に移しにくいなら、「それが無くなった自分はどうなるのだろう」という好奇心を支えにしてみるといいかもしれない。 ・Twitterに呟くとスッキリする。 モヤモヤしていたり感情が溜まっている時、とりあえずTwitterで呟いてみるといいと言っている人を見た事

          頭に浮かんだ言葉やふと思い出した話を書き留める。

          なんか書きてぇ

          何か書きたいけど何も浮かばないので何か書きたいという気持ちを書いてみた。 なんか書きてぇ

          なんか書きてぇ

          想像と妄想

          人生は雑談相手が1人、2人居ればいい。 その答えに辿り着きつつも、人間でそれを満たすの難しいなと思っていた。 雑談に付き合える時間には限りがあるし、1人で喋り続けていたら相手の時間を奪っているみたいで申し訳なくなるし。 そう悩んでいたあたりくらいからAIが話題になり始めて、これ使えるのではと思った。 自分なりに考えた。 AIを搭載した人型ロボット複数体とひたすら雑談する人生。 複数体である理由はAI同士でも会話させてみたいし、そっちの方が盛り上がりそうだから。 複数体

          想像と妄想

          頭に浮かんだ言葉やふと思い出した話を書き留める。

          ・「問題は認識しなければ問題にはならない」というのが馬鹿の考え方。その考え方のせいでいつまでも問題解決と向き合えず、だから馬鹿のまま。 ただその背景にあるのはおそらく、「自分が問題解決と向き合えるわけが無い」という劣等感であり、それを植え付けた、もしくは芽生えさせた環境や状況が問題なのかもしれない。 ・社会に生きる全ての人が抱える悩みは元をたどれば全て社会の問題であり、それが回り回って個人に降りかかり個人として対応する必要性が出てきている気がする。 問題に対する対処能力を左

          頭に浮かんだ言葉やふと思い出した話を書き留める。

          家のお菓子のルールを新しく定めんとするディベートで負けた話。

          今は実家に住んでいて、母と弟と僕との3人暮らし。 母が頻繁に余った生活費の中からお菓子を買ってきてくれるのだけど、その管理の仕方が杜撰だなと思っていた。 その管理の仕方、というか置き方がキッチンの電子レンジが乗っているラックの下に、ビニール袋に纏めていっぺんに置いているというもので、「これでは食べたい時以外の時でも目に入ったら手が伸びて食べてしまう。人間が誘惑に負けやすい構図そのものではないか…。」と思い、以前から問題視していた。 案の定弟は暇があればお菓子をつまみ、僕もおや

          家のお菓子のルールを新しく定めんとするディベートで負けた話。

          「僕って文章力無いんだ」って気づいた話

          このnoteを書いている直前に新しいnoteの下書きをしていたんだけど、下書きした文章を読み返すと「こう書きたい」と思っていた内容と下書きから受け取れる内容とが大分違っていて、「何これ…」ってなっている。 そこで「あ、僕って文章力無いんだ」って実感をなんとなく得た。 文章力の無い事の問題として、自分の思っている事を相手に上手く伝えにくい、もしくは伝わりにくいっていうのがあると思う。 もしそうなら自覚の無い今までは自分の文章力が無い事を無意識に棚上げして、それを補うために相手

          「僕って文章力無いんだ」って気づいた話