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妹と私の話

2020年11月23日、妹の結婚式だった。


妹は4歳下。
子どもの頃はそっくりで、普通に仲の良い姉妹だったと思う。習い事にもふたりで通っていたし、休日の遊び相手はいつも妹だった。

でも15年前、原因すら覚えていないような本当に些細な喧嘩がきっかけで、私と妹は一切口をきかなくなった。
同じ家に住んでいるのに話をせず、目も合わせない、お互いに居ないものとして扱い、存在を完全に無視。私は妹のことが嫌いで、妹からも嫌われていた、そんな状態が15年も続いた。

幼い頃から母と折り合いの悪かった私は、家でも外でも父にべったりだった。家の中では常に母の顔色を伺っていたし、話しかける機会を極力減らした。朝は機嫌が良くても学校から帰ると無視されたりするので、本読みの宿題が出ても母に「聞いて」と言えなかったし、お弁当を作ってもらえない日々が続いたりもした。
子どもだった私の言動は母の癪に障ることが多かったのだろうと今なら思えるが、当時は理由もわからず、母に冷たくされるたび自分は愛されていない、必要とされていないとずっと感じていた。

その一方で妹は母からそんな扱いを受けたことなど一度もなく、腑に落ちない私は妹のことも母のこともどんどん嫌いになっていった。そして中学生のとき父が亡くなってからは家の中で孤立してしまい、それは大人になってからもしばらく続いた。

母と妹は昔から仲が良くて、リビングでふたりが楽しそうに話している空間にはいつも入れなかった。早く家を出たいとそればかりを考えていた私は、新卒で入社してから8年働いた会社を退職するタイミングで家を出ることを決め、退職することも、一人暮らしをすることも、地元から出ることもすべて事後報告で母に話し、逃げるように家族から離れた。

あまり良好ではなかった母との関係は、家を出て距離をとったことで随分良くなったと感じていた。でも妹との関係が変わることはなく、戸籍上は血の繋がりがあるだけの、まるで他人のような関係のままだった。
話をしなくなった当初は嫌いだったが、あまりにも自分に関係のない存在になってしまったことで嫌いという感情すらとっくに消え、好きでも嫌いでもない、シンプルに無関心だった。

でも心のどこかで、このままではいけないとずっと思い続けている自分もいた。
修復できるものならしたい。それは自分の為でも妹の為でもなく、お父さんが亡くなってからひとりで働きながら私たちを育ててくれた、他でもない母の為に。
でも私には行動する勇気も何かを変える勇気もなく、今までこのままだったんだから今更もういいだろうと諦めてしまっていた。

そんな中決まった妹の結婚。
私と妹の関係性を考慮してか、両家顔合わせに呼ばれることもなく、顔合わせも入籍もすべて済んだ後、母から簡単なLINEで知らされた。
相手の人の名前も年齢も顔も知らない。嫁ぎ先の苗字も知らない。でもそれを知ろうとして母に聞くこともしなかった。私は妹にとって家族ではないと初めてはっきり思い知らされたような気分になって、傷付いてしまう自分の身勝手さにも嫌気がさした。修復しようともしてこなかったのは、自分自身だったのに。

そして迎えた当日。
式の最中、正直どんな顔をしていればいいのかわからなかった。でも、白無垢を着て、初めて見る男性の隣でニコニコしている妹の顔を15年ぶりにしっかり見たら、私は15年間この人の姉として一体何をしていたんだろうと情けない気持ちが溢れてきた。

何が出来たんだろう。
たぶん、出来ることはいくらでもあった。
でも何もしなかったし、出来なかった。

神前式のあと披露宴会場に入ったら、私の席札の横に「お姉ちゃんへ」と書かれた封筒が置いてあった。周りの席を見ても、私のところにしかない。それだけで涙が出そうになったけど、なんとなくその場で開けることができず、手紙はバッグに入れてお酒を飲んで誤魔化した。


披露宴は終始和やかな雰囲気で滞りなく終わったが、その場ですら私は妹におめでとうと声をかけることができなかった。
初めて会う旦那さんと、明るくて気さくな相手方の御両親に挨拶だけして家に帰って、手紙を開いた。

そこには、初めて見る妹の字で、式に来てくれたことへのお礼と、話をしなくなってから私に対して思っていたことが綴られていた。

長女として、もっとお母さんを助けてほしいと思っていたこと。
でも社会人になったばかりの私は毎日遅くまで働いて本当に大変だったんだと、後で母に聞いて知ったこと。
当時学生だった妹には仕事の大変さがわからなくて、私の嫌なところばかりを見てしまっていたこと。
妹のほうがお母さんと話すことも多くて、そのせいで家では肩身の狭い思いもたくさんしたよね、ごめんね、と。

何時間たっても涙が止まらなくて、妹と顔を合わせなくなってからの15年間が涙になって流れ出てくるような気がした。同じことは私にも出来たはずなのに、私には出来なくて、妹にこんなことを言わせて、謝らせてしまった。

「お互い大人になってそれぞれの生活があるのだから、無理して仲良くする必要もないと思ってます。でも私たちがこうなってしまったことの責任を感じてずっと悩んできたお母さんのことを思うと、今のままでは申し訳ない。」と書いてあって、それはまさに私がこの15年間、母に対してずっと抱いてきた罪悪感そのものでもあった。

子どもだと思っていた妹が私なんかよりずっとずっと大人になっていて、いつまでも変わることができないままでいたのは私だけだったのかもしれない。
母から、妹と旅行に行った話や楽しかった話を聞くたび、私にはできない母との付き合い方ができる妹のことが、ちゃんと親孝行できている妹のことが、本当は羨ましくて嫉妬していた。

今からでも、妹にとって恥ずかしくないお姉ちゃんになれるだろうか。
私たちの為に生きてきた母に親孝行をしてあげられるのは娘である私たちしかいないんだと、今さらながら当たり前のことに妹が気付かせてくれた。大人になった今だからこそ思えるが、伝わりづらかったけどきっと母は私のことも妹のことも、同じように大切に思い、愛してくれていたんだろう。

そう思ったら、人生の半分近くの年月を関わることなく過ごした妹に対しても、幸せになったんだな、良かったな、と嬉しく思えた。

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