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やりがいをくれた女の子の話

新卒で入社した会社は、ブラック企業だった。

民間のパソコンスクールでインストラクターの仕事をしていた。高校生のときから目指していた職業で、それを叶える為に専門学校にも進学した。

一年生の終わりから始まった就活では、募集要項の欄に「大卒のみ」と書かれているにも関わらず履歴書を送りつけた。
そして一次試験から四次試験まで一貫して、「私はインストラクターになりたくて高校でも専門でもめっちゃ勉強してきたし資格も取ってきたから、そのへんの大卒なんかより入社してから役に立てます」というとてつもなく生意気な姿勢を崩さなかった。
結局就活は最後の役員面接に辿り着くまで半年にも及んだが、最後までその会社一本に絞って他社は一切受けなかった。

そこまでして掴み取った内定だったが、入社してみれば実状はとんでもなかった。
始業時刻の2時間前には出勤しないと仕事が追いつかないし、休憩時間なんて無いも同然。毎日終電ギリギリで、家に帰り着く頃には日付をまわっていたし、当たり前のように休日出勤をしていた。

一緒に入社した同期たちは半分以上が1年未満で辞め、3年経つ頃には片手で数えられるほどしか居なくなってしまった。

周りの友達には「辞めた方がいいよ」と何度も言われた。でも授業をすることはとても楽しくて、一緒に働いていた同僚や上司のことも、何より習いに来てくれていた受講生さんのことも本当に好きだった私はなかなか辞めたいと言い出せず、結局10年近く働いていた。

お世辞にも良い職場環境とは言えない場所で、辞める選択肢もありながら私が長いあいだ働き続けることができたのは、入社2年目、21歳のときに出会ったひとりの女の子、あゆみちゃん(仮名)のおかげに他ならない。


当時働いていた教室に、あゆみちゃんはお母さんと一緒にやってきた。
お母さん曰く、あゆみちゃんは高校を中退したばかりの16歳、今は飲食店でバイトをしているけど、将来のことを考えるとパソコンぐらい使えた方が良いのでは、と心配して半ば無理やり連れてきた、とのこと。

パソコンを習うことは本人の意思ではなかったが、あゆみちゃんは月曜日から金曜日まで1日も休むことなく毎日きちんと通ってきてくれた。

お母さんと一緒に居たときはほとんど口を開かなかったが、ひとりで授業に来るようになると本当はよく笑いよく話す子だとわかった。人の目を見て話が聞けるし、16歳とは思えないほどしっかりと自分の意見を持っていた。

ある日、
「パソコンの勉強が終わったらどうするの?」
と聞くと、
「大学に行きたいから、予備校に通って大検を取ろうと思ってる」
と返ってきた。
「そのあとは?」
と聞いてみると、少し黙った後、
「先生はなんで先生になろうと思ったの?」
と、逆に質問された。

高校が商業系で、簿記やパソコンの商業科目に触れて勉強が楽しかったこと。
とても尊敬できる先生たちに出会えたこと。
パソコンの勉強が自分に向いていて得意だったから、それを仕事にしたいと思ったこと。
勉強したり資格を取るのが楽しいと私に思わせてくれた先生たちのようになりたかったこと。

を、照れ臭かったけど大真面目に話した。
あゆみちゃんは一度も目をそらすことなく、相槌を打ちながら真剣な顔で聞いてくれた。

「例えば先生みたいな、パソコンの先生になるのって資格とかいるの?」
と聞かれ、
「資格がなくても先生にはなれるけど、授業をしないといけないから、スタッフはみんなずっと勉強してるよ」
と答えた。

「先生になりたいの?」
と聞くと、
「いや、無理だよ!授業なんかできない!聞いてみただけ」
と笑っていた。

一年ぐらい通って、あゆみちゃんはすべての授業を終えて卒業していった。
寂しかったけど、受講生の入れ替わりは毎週のようにある。そのたびにいちいち寂しがっていてはキリがない。元気でね、頑張ってね、と話して別れた。

それから一年後、私は地元に近い教室へと異動になった。

私が異動した後、あゆみちゃんが大学に合格したことを報告に来てくれたようで、
「あゆみちゃんが、みなみ先生に大学受かったよって伝えてくださいって言ってたよ」
とスタッフに聞いて、頑張ったんだなあ、私も頑張らないとなあ、と嬉しくなった。


それから5年後。


ある日、普段ほとんど話すことのない本社人事部の偉い人から、何の前触れもなく内線電話が掛かってきた。
名前を聞いただけで背筋がピッとするような怖い存在。その人は元々、私が働いていた教室を管轄していた上司だったので、もちろん面識はある。人事異動以外で電話を掛けてくることはほとんどない。誰かが異動だ…とその場にいたスタッフ全員が生唾を飲んだが、なんと私が指名され電話口に呼び出された。

何かやらかした…?それとも異動か…?と恐る恐る受話器を耳に当てると、聞こえてきたのは予想に反して興奮したような大きめの声。

「みなみさあ、5年くらい前の受講生さんなんだけど、●●さんって覚えてる?」
と聞かれた。

あゆみちゃんだ。
同じ苗字の受講生さんは他にも心当たりがあったが、なんとなく直感であゆみちゃんだとすぐにわかった。

「はい、覚えてます」と答えたら、

「その●●さんが、来年度の新卒採用試験を受けにきて、今さっき面接してきたよ」
と言われた。

インストラクターになりたいなんて、冗談じゃなかったのか。
私が驚いていたら、上司は続けてこう言った。

ーーーーーー

みなみ、あのね。

●●さん、みなみ先生に本当にお世話になったんですって何回も言ってたよ。
パソコンを習いに行っていなかったらあのままフリーターを続けてたかもしれない、って。

「インストラクターの仕事についてみなみ先生に聞いたとき、 “やりがいはあるけどしんどいこともあるよ、楽しいことばっかりじゃないよ” って言われました、だから大変なのはわかってるつもりです、でもどうしてもインストラクターになりたいんです」って言ってたよ。

みなみにすごく感謝してたよ。
みなみも仕事しててしんどいことも辛いことも色々あると思うけど、みなみの真剣な姿勢が、こうやって●●さんの夢をつくって彼女の目標になったんだからね。

自信と誇りを持って仕事をしなさいね。

ーーーーーー


鳥肌が止まらなくなって、産まれて初めての感情で胸がいっぱいになった。嬉しかったけど、そんな簡単な言葉ではとても表せない。

「面接しながら嬉しくて泣きそうになってさ!早くみなみに教えてあげたくて、面接が終わってすぐ電話してるの!」という上司の明るい声で、鼻の奥が痛くなった。

あゆみちゃんに授業をしていたのは、今から10年以上前のことになる。あゆみちゃんが卒業してからは一度も会っていないし話してもいない。

それでも、今これだけ思い出を書くことが出来るほど、あゆみちゃんとの出会いは私にとって特別なものだった。
それは、私自身が入社してから上司に口酸っぱく言われていたもののピンときていなかった、
「受講生さんに対して責任を持つ」
という言葉の意味を、初めて体感し理解できた相手があゆみちゃんだったからだ。

あゆみちゃんは、将来の為にパソコンを勉強していた。高校を中退したことは後悔していないけど、親に対して後ろめたさはあるから、大学に行って安心させたい、自分がやりたいことをこれから探したい、人生の転機が何回かあるとしたら、たぶん一度目は今だから、と。

あゆみちゃんの人生における初めての転機を、近くで見守り寄り添っていた。これが「責任を持つ」ということなのだと気付いた。責任重大だ。

同時に、それまで感じたことのなかった大きさの「やりがい」が身体中を駆け巡った。
今までやってきたことは無駄じゃなかったんだと身をもって実感でき、頑張ってきたことへのご褒美をもらえたような気分になった。


あゆみちゃんはあの面接で採用が決まり、関東の教室に辞令が出たと人事の通達で知った。
エリアが違うと関わる機会も薄く、かといって個人的に連絡をするわけにもいかず、結局私も退職してしまったので彼女がどれぐらい働いていたのかはわからない。もしかしたら今もまだ働いているかもしれない。

退職する前に一度ぐらい話しておきたいとも思ったが、それも何か違うかなと思い直し連絡はしなかった。

それから私は二度転職をし、まったく経験のない一般事務の仕事を経て、再び学習支援に携わる業界へと戻ってきた。

パソコン教室ではないし、当時のように自分が教える立場でもない。それでもまたこの現場に戻ってきたのは、あゆみちゃんが教えてくれた “学ぶ意欲のある人を支える責任と、それによって得られるやりがい” を、自分が働くうえで重要視するようになったからだ。

彼女は元気にしているだろうか。縁があれば、また会えるだろうか。
いつか会うことができたら、社会人としてまだまだ未熟だった私に多くのことを気付かせてくれたことへのお礼を言いたい。
その日が来るまで、気長に、楽しみに待っていようと思う。どれだけ先になったって、決して忘れることはないのだから。

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