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NOBというバンドの話

※はじめに
書き終えてみると、意図せずとてつもない長文になってしまいました。
暇で仕方ない方はどうぞ。


「NOB」というロックバンドがいたことを知っている人は、どのくらいいるのだろうか。

かれこれ20年、ずっとメロコアが好きでいる。

メロコアとは、メロディック・ハードコアという音楽のジャンルのひとつ。
ただただ音楽が好きなだけで全然詳しくないので上手く説明できないけど、メロディに重点を置いているものというか…なんというか。

メロディック・ハードコアの定義は広いと言えるが、通常リズムは早いテンポであり、メロディックでディストーションのかかったギターリフが用いられることが多く、ヴォーカルスタイルはシャウトやスクリームなどが多い。しかし、一言でメロディックハードコアといっても非常に多様であり、バンドによってスタイルは異なっている。バッド・レリジョンやディセンデンツなどのパイオニアの中には、パンクロックの範疇を超えて影響を与えているものもいる。メロディックパンクという用語は、メロディックハードコアとスケートパンクの両方のバンドをさすことが多い。

Wikipediaより抜粋

成人してからはライブハウスに入り浸ることが多く、たくさんのバンドと出会ってきたが、メロコアを好きになった全てのきっかけはNOBだった。

1999年に山梨で結成された3ピースバンド。

甲府を拠点に活動し、若手メロコアバンドの中でも人気があって注目度も高く、今後が期待されていたバンドだった。

高校に入学して出会った友人たちは、邦楽洋楽問わずパンクやロックを好きな人が多かった。
日頃からアンテナを張っていて、私もその影響を存分に受けた。

活動休止直後のHi-STANDARDや、デビューしたばかりの10-FEET、一世を風靡していた青春パンクバンドたち…ガガガSPやGOING STEADY、STANCE PUNKSなど、心に直接訴えかけてくるような刺激のある音楽との出会いは、もはや無限のようにあった。
当時はSNSなんてものは無く、パソコンの授業中にバンドのHPやindiesmusic.comのサイトをいつもコソコソ見ていた。

かっこいいなと思うバンドを見つけたら情報交換をする。誰かがCDを買ってきて共有する。良いなと思ったら自分でもCDを買ったし、それをMDに入れて毎日持ち歩いていた。楽しかった。

ある日、友人が「最近SHACHIが好きなんだよね」と話しているのを聞いた。SHACHIというバンドの曲が良いらしい。
数曲聴いてみてCDを買いたいと思った私は、地元の小さなCD売り場に足を運んだ。

残念ながら、そのお店ではSHACHIのアルバムは取り扱っていなかった。
でも店員さんが、SHACHIの曲が入っている『V/A JUNK』という1枚のアルバムを見つけてくれて、それを買って帰った。

その時には、この1枚が人生を変えることになるなんて想像すらしていない。

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このアルバムは、SHACHIのメンバーが12バンドを集めて作ったオムニバスアルバムだった。
各バンド2曲ずつ収録された全24曲。SHACHIの曲は格好良かったし、他にも良いなと思うバンドは幾つかあった。

でもその24曲の中で、私の耳と心をいつまでも掴んで離さない曲が2曲あった。

6曲目と21曲目。ブックレットを見ると、簡単なバンドの紹介とホームページのURLが載っていて、山梨のバンドだと知った。

こうして私はNOBと出会った。2001年、夏。

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調べてみると、少し前に最初のミニアルバム “I'll think a way” を出していることがわかった。
すぐに買って擦り切れるほど聴いた。

M-1にIntroという1分にも満たない曲が収録されている。
この曲が鳴り始めた瞬間、自分はとんでもないバンドと出会ってしまったのかもしれないと興奮したのを覚えている。

歌詞カードを飽きるほど読んで、耳馴染みの良い英詞をすべて歌えるようにまでなった。
NOBとの出会いは、NOBと旧知の仲であるHAWAIIAN6をはじめ多くのバンドを知るきっかけにもなり、楽しめる音楽の幅もどんどん広がっていった。

高校3年生になった頃、とあるチャットルームでひとりの男の子と知り合った。
当時ユーザー数が100万人を超えていたチャットサービス『MSNチャット』で、4〜50人がログインしているようなルームが幾つもあり、そこは常にほぼ満員状態だった。

彼の年齢は私の1つ上、地方の学生でバンドを組んでいるらしい。仮に名前をおっくんとしよう。

メールアドレスを交換し、メル友のような感じになった。おっくんは自身が音楽をやっているだけあって当時の音楽シーンに詳しく、私の知らないバンドの話や、地元のライブハウスの話をたくさんしてくれた。

好きなバンドを聞かれてNOBの名前を出すと、なんと対バンをしたことがあると言う。
そのときのライブはどうだったか、どんな曲をやったのか、雰囲気はどんな感じだったか、おっくんは楽しそうに話してくれた。

いろんな話を聞いているうちに、音楽はあくまで “普段聴いて楽しむだけのもの” だった自分の中に、初めて “ライブを見てみたい” という感情が芽生え始めた。

高校卒業を間近に控えた2004年の冬、おっくんから「NOBが4月にフルアルバム出すって!」と嬉しそうなメールが届いた。2年ぶりのアルバムだ。
続けて、「その直前に先行シングルが出るらしいよ!」とも教えてくれた。

3月に発売された限定先行シングル “Pallete” 。
新曲2曲と、以前のミニアルバムに収録されていた大好きな曲、 "SUNSET LOVE" の新録だった。
1曲目のThis is a song for youを初めて聴いて、あまりにも格好良くて、それが嬉しくて、すぐにおっくんに電話をかけてしまった。ふたりで「かっこいい!この曲めっちゃかっこいい!」とはしゃいだ。

後にこの曲は、NOBを代表する楽曲として長く語り継がれる名曲となる。

そしてその翌月、専門学校に入学してすぐの頃、満を辞して1stフルアルバム “Colors” が発売された。名前の通り、色とりどりの全10曲。

1曲目から10曲目までとにかく突っ走っている。
NOBのバンド・楽曲としての完成度なんて、曲を作ったこともなければ楽器すら弾けない私にはわからない。ものすごく上手いというわけではないのかもしれない。

でも確かに感じる疾走感や躍動感。絞り出すような、高音で少し掠れた、やさしくもあり力強くもあり、切なさを助長させるボーカル鎌田さんの大好きな声。心をえぐられるような、それでいて衝き動かされるような、なのにいつまでも寄り添ってくれるような感覚。内から溢れ出る感情を抑えられない、まさに初期衝動という言葉そのものだった。

そんなとんでもないアルバムを引っ提げて、NOBはツアーに出た。
あとで知ったことだが、そのツアーの中でNOBは広島に3回も来てくれていた。福山、広島、尾道。3回目の尾道B&BだけはNOBが来ることを事前に把握していた。

忘れもしない2004年5月25日。昼間、学校にいる時におっくんから「今日、NOB尾道でライブなんやろ?行くの?」とメールが来ていた。

今の自分なら悩んだりしない。でも当時の私は、友達の付き添いで高校の先輩のバンドを見にライブハウスへ行く程度。尾道B&Bへは何度か行ったことがあったけど、自分とは無縁の世界だと思っていたし何よりライブハウスは怖かった。

一緒に行ってくれる友達もおらず、ひとりで行く勇気もない。結局、「夕方まで学校あるし、終わってから間に合うかどうかわかんないし…」という、本当に、本当にくだらない理由で、大好きだったNOBに会える機会を自ら手放した。

また次に広島へ来てくれたときに会いに行こう、アルバムが出ればツアーで来るかもしれないし、そのときは絶対に観に行こう、そう思っていた。

それから1ヶ月後、とある日のパソコンの授業中のこと。

課題も終わり暇だった私は、いつものようにいろんなバンドのホームページを見漁っていた。
当時のホームページにはBBS、いわゆる掲示板と呼ばれるものがあり、授業中の暇つぶしにBBSをよく見ていた。

あるバンドのBBSを見ていると、最新の書き込みが重苦しい雰囲気を醸し出していた。
「いいバンドだったのに」「本当に残念」「これからだったのに」そんな言葉が並んでいた。

誰か解散でもしたのかな、と軽く考えながら少し前の日付まで遡ると、そこには目を疑う言葉があった。



『ボーカルが亡くなったってことは、NOBはこれからどうなるんだろう?』


目の前が真っ暗になった。心臓の音が身体の中で大きく響く。
意味がわからない。亡くなった?誰が?なんで?

そんなわけはない。NOBは絶賛ツアー中だ。
急いでホームページを開くと、そこには一週間前とは違う画面が表示されていた。

あのページを見たときのショックと衝撃は、あれから15年以上経った今でも忘れられない。
真っ黒の背景に、白い文字で、文章が3行。

ツアー中の事故で、鎌田さんが逝去したこと。
心配をかけたことへの謝罪。
残りのツアーは中止、チケットは払い戻し。

インターネットで検索してみたら、事故の記事がたくさん出てきた。
受け入れられるわけもなく、読む気にもなれず、先生に「トイレ行ってきます」とだけ告げて教室を出て、校舎の端にある喫煙所に座った。

おっくんに、「鎌田さん亡くなったって本当?」とメールを送った。本当なのはわかっていたけれど、誰かに嘘だと言ってほしかった。

返事はすぐに返ってきた。
「本当なんよ、お通夜も行ってきた」
「みなみちゃんにも教えてあげんといけんって思ったけど、なかなか言い出せんかった。ごめん」
と。

その瞬間、すべてが現実となった。受け入れられない。でも受け入れなければならない。泣いたって何も変わらないのに、涙が止まらなかった。

次に広島に来てくれたときは絶対観に行こう、と当たり前のように思っていた。次がある保証なんてどこにもなかったのに、また会えると信じて疑わなかった。「次」は二度と来なかった。

NOBは事実上の活動休止となり、それは今も続いている。しばらくの間は曲を聴くことができず、このままずっと聴けないのかもしれないとさえ思っていた。


事故から一年が経った。私の生活は何も変わらないけど、いつになってもNOBの曲を再生する気になれず、たまに思い出しては心にぽっかりと空いた穴を寂しく感じたりもした。

そんな2005年の夏、HAWAIIAN6が2ndフルアルバム『BEGINNINGS』を出した。
完全なる主観だが、前作のFANTASYやSOULSでHAWAIIAN6に触れている人ならば、特に衝撃を受けることはない。
激しく、切なく、暗く、やさしい、陰影際立つHAWAIIAN6の世界観がこのアルバムでも充分に表現されていた。

1曲目から順番に聴いていたが、一番最後の曲、M-11の “I BELIEVE” に若干の違和感を覚えた。
言い方は正しくないかもしれないが、HAWAIIAN6らしからぬ深い愛情を感じるというか、なんというか。
「泣ける」という言葉だけでは表しきれないような気持ちにさせられた。今風に言うと「エモい」と表すのが妥当か。

少し後で調べてわかったことだが、この曲は盟友であったNOBの鎌田さんへ追悼の意を込めてつくられた曲だった。

I will not say good-bye
(さよならは言わないよ)
so it’s not sad
(だって寂しくなるじゃない)
We’ll meet again somewhere
(きっとまたどこかで会えるよ)
Yes I believe I can
(そんな気がするんだ)

この歌い出しで始まる。落ち着いた声で、静かに、まるですぐそこにいる鎌田さんに語りかけるように。

HAWAIIAN6は、鎌田さんが亡くなった翌日、関東でツアーファイナルだった。そのライブで3人は喪章をつけて登場し、MCではNOBの一件に触れ、涙ながらに「生き続けろ」と強く語っていたことを、この日のライブを見に行っていた知人から聞いた。

“I BELIEVE” は、多くの人にとってそうであったように、私にとっても救いの1曲となった。

この曲との出会いによって、再びNOBの音楽を聴けるようになった。もうその姿を観ることはできないし帰ってはこないけれど、NOBが残した音楽は消えることも色褪せることもなく、ずっと私の人生に寄り添ってくれている。

数年後、当時全盛期だったSNS “mixi” の日記で、鎌田さんの命日にNOBのことを書いた。

mixiには、マイミクと呼ばれる相互フォローのようなものがあり、ライブハウスに行く機会が増えてからは音楽を通じて出会った仲間が全国に増え始めた。

私の書いた日記を読んで、マイミクのひとりがメッセージをくれた。いつも日記にコメントを残してくれる、一度関西のライブハウスで会ったことがある10歳ぐらい上の気の良いお兄さんだった。

その人もNOBを知っていて、何度かライブを見たことがあるらしい。私がNOBを好きだということを初めて知り、嬉しくなってメッセージを送ってみたと言っていた。

彼のmixi日記にはたくさん写真が載っており、その中の1枚にNOBのTシャツを着て写っているものがあった。
私はそのことに触れ、「Tシャツいいなあ、私ライブに一度も行けなかったからTシャツ持ってないんだよね」と羨んだ。

すると、「1枚余ってて着てないから、着てくれるならあげるよ」と言われた。なんて心の優しい人だろうか。
10も歳下の小娘からお金を取ることが憚られたのだろう、代金を払うと言ったが断られ、また広島にライブ見に行くからそのときにビールを奢ってくれと言ってくれた。

しばらくして荷物が届いたが、明らかにTシャツ1枚のサイズではない。中を見ると、送ってもらうことになっていた “Colors” ツアーTシャツの他にも、NOBのロゴだけが入ったシンプルなTシャツと、2003年に山梨で開催されたTIGHT RECORDS主催のフェス、NOBも出演していた “TIGHT祭” のTシャツが入っていた。しかも3枚とも新品で。

慌ててメールを送ったが、あとの2枚をわざわざ買ってくれたのか、元々持っていたものだったのかは誤魔化されて教えてもらえなかった。
やることが格好良すぎる。何度も何度もお礼を言って、以降そのTシャツはクタクタになるまで着たし、今でも勿論大切に保管してある。

その頃のライブやフェスの写真を見ると、よほど嬉しかったのか、NOBのTシャツを着ている写真がたくさん見つかった。

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NOBの一件があってから、何に対しても「また次でいいや」とは思わなくなったし、思えなくなった。
観たいと思ったライブには、どれだけ遠くてもお金と時間をかけてでも会いに行った。いくら好きでもバンドの解散や活動休止は避けられないし止められないが、「もっと会いに行けばよかった」「あのとき観に行っておけばよかった」と後悔したのはNOBが最後だった。

ライブに限らず友達でも、「会いに行くね」と言った人には会いに行くようにした。会えるうちに会う。言えるうちに言う。伝えられるうちに伝える。

当たり前の日常が当たり前ではないことなんて皆知っているはずなのに、周りの人達はいつも変わらずそこに居てくれるし、寝て起きればいつもと同じ朝が来るので忘れてしまう。
でもそれが人間なのだ。多分どうしようもない。


This is a song for you / NOB

いつでも、どこでも僕は君に微笑んでいます
そして君が辛い時はこの歌を口ずさんでください
いつでも、どこでも僕は君のそばにいます
だから僕のことを忘れないでください


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