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知らない鬼にだって会っておきたい

 ここ数日雨もようで、つまり梅雨だということで、なんだかついこの間まで春はあんまり好きじゃないなんてぶつぶつ言っていたのに、もうすぐ夏至だなとか、茅の輪くぐりしなくちゃなとか、考えている。つまり季節が変化しているのを感じているわけです。

 季節みたいなものは、毎日をひしひしと生きているうちにいつの間にか移っているようなもので、当たり前だけれど「ここからここまで」なんて線がひいてあるようなことはない。まさに「いつの間にか」という感じなんだけれど、それとおんなじで、たいていの物事も気がついたら変化している。人生というものはその連続である。
 2022年という年を迎え、私自身を取り巻く環境というのも昨年と比べるとずいぶん大きく変化を重ねてきた。年明けなんてもうほんとうにめまぐるしく、その勢いにずいぶん戸惑ったものだった。いまはちょっとひと息ついていて、だからあのときのドライブ感からもまた、ひとつの変化を迎えている段階であると言える。全体的になかなかのスピードでもって駆け抜けてきたとおもう。

 こんなことを考えたのは、ぜんぜん変わらない(ように見える)、ある事象があるからだ。
 それは私の家族のこと、姉とそして母について、である。
 ごく一般的な視点でいえば、うちの姉は社会生活上で問題を抱えているタイプだとおもう。例えば仕事に就いたらすごくがんばってしまって、どこまでもがんばってしまって、ある日突然ぷっつりと限界を迎え電池がきれる。彼女は人生で何度か、そういうことを繰り返して、そのせいで社会に今ひとつなじめず、人生を悲観してばかりいる。
 詳細を書けばすごく長くなるから省くけれど(一度書いた)、その主な原因は子ども時代と、それに続く母娘関係にあるとおもわれる。
 長いあいだ近くでそのパターンを眺めていておもうのだけれど、こういうのってやっぱり、本人(たち)が心して取り組まないことには、なかなか状況が変わらないんですよね。当事者じゃないから言うのは簡単だけれど、まあなかなか根が深くむずかしいことでもある。でも人間なんてみんなちょっとずつどうかしているんだし、私だって色んなことをやりくりしてふんばって生きてきてるんだし、何もうちの姉や母に限ったことではない。
 人間というのはある場合にはとても変化を恐れたり、あるいは変わりたい、変えたいなどと口にはしながらも、知らない世界にえいと飛び込むほうよりも、少しくらい居心地わるくても既知の環境に甘んじてしまうものなのかもしれない。

 姉の子ども時代について、私が物心ついたあとのことはだいたい知っているのと、姉や母の言い分を聞いて過去に問題があったのは理解できる。私に理解できないのは、変えられない過去のことをいまだに引きずってばかりいて、変えられる未来に目を向けないことだ。そんなのはっきりいって時間の無駄である。
 でももう一度言う(書く)けれど、ある種の人々は、それを避けることがある。
 Better the devil you know than the one you don’t.知らぬ鬼より知ってる鬼、そういうことだろうか(イギリスのことわざだっけ)。

 そうはいっても、これは姉や母の問題であって、周り(私)がやいやい口を出しても、やっぱりふたりが心して臨まない(望まない)限り変化は訪れないし、求められてもいない手を差し伸べても功を奏さない場合がほとんどであるとおもう。私にできることと言えば、そっと見守るのと、要請があったときに助力するくらいがせいぜいである。

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 私にだって、変わらなければいいのにな、とおもうことや、いいかげん変わったらいいのにな、とおもうようなあれこれは、たくさんある。年明けからのスピード感のある変化は、すてきなことであふれていた。その勢いが少し緩んで落ち着いたいまも、とてもすてきなわくわく感は続いているとはいっても、「あのときとおんなじ」ではない。それは少しさみしいことでもあり、ひとつひとつ段階を経て前に進んでいることをおもえば喜ばしいことでもある。ずっと「あのとき」に立ち止まっていたくはないし(そもそも不可能だし)、一歩でも前に進めば景色が変わるのは当たり前のことだし。そこらへんは柔軟にしておいて、変化を受け入れ新しいわくわくを感じ続けられる自分でいたほうがずっといい。

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 姉と母については、ふたりは住まいを一緒にしていることもあって、分離(親離れ、子離れ)ができていないというのが大きなひとつのテーマである。つい最近、あるきっかけからいよいよ離れて暮らすか、という事態が持ちあがったのだけれど、結局は一緒に暮らすことに落ち着いたらしかった。
 単純にいえばそれは、分離に失敗したとネガティブに感じられる点があるんだけれど、引越しをするらしいのでいちおうの変化がある。こういうのは、すぐにいいとかわるいなどの判断ができないので何とも言われないことなのだけれど、少しの変化からでも彼女たちがそれぞれの人生を豊かにしていける好機になればいいな、などとささやかに祈っている次第である。

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 今日は、朝は雨が降っていなかった。まもなく降って、雨あしは強くなり、少し風が吹いて、そのあとは雨も風もやんだ。山手にかかっていた霧は晴れて、空は曇天のままだけれど山の木々の緑が濃くてきれいな姿を見せた。そしてまたすぐ、霧に包まれた。
 一日の何時間かのうちにだって、これだけ変わるのだ。変わらないでほしい、変わりたくない、というむなしい願いや無駄なエネルギーはなるべく使わず、別の生産的なことに使いたい、そんなことをおもっている。

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