見出し画像

日常をつなぐ通路としての列車

 朝から通勤の(路面)電車でゆらゆら本を読みながら、あ、明日の列車をとっておかなくちゃ、とおもった。仕事が終ってから、列車に乗る予定になっているのだ。
 それは人に会うためで、ふだんは同じまちに住んでいる人なのだけど、明日は別のまちで待ち合せて会うことになっている。
 ときどきこういうことがあって、それは私をすごくわくわくさせる。日常といえば日常、イベントといえばイベント、そういう機会をもてることがうれしいらしい。

 だいたい私にとっては、列車に乗るという行為そのものが、ここ最近(というのはこの1年ちょっとをふりかえって)まで日常的ではなかったことから、特別感がある。そこに加えて、旅行などといった目的地があるのと少し違う、会いに行くための列車移動というのに胸が高まるおもいがする。

 そんなことを考えていると、列車に乗っているあいだの時間は、通路のようにおもえてきた。どんどん近づく目的の地点とそこにいるあの人は、日常の連続ではあるけれども、そのひと続きの日常の底にある、私の生の大事なところを支えるエレメントなんだ。

 今朝はそんなことを考えて、ハートがじいいーんとした。(パッキングしなくっちゃ)

*

今日の「ぼんやり」:もりそばを口に運ぶときにフーフーしてしまいました。疲れてるのかな。

この記事が参加している募集

サポートを頂戴しましたら、チョコレートか機材か旅の資金にさせていただきます。