#76 同期 2021.03.14.Sun.
休日。
ほぼ1日中同期の1人と4月にやる年次目標についての話し合いのことを考えてた。
どうやって当日を迎えるか、当日どんな感じで進めていくか、2人でああだこうだと。
当日どこで躓きそうか、なんでややこしくなるか、できる限り想像してどうするか考えた。
正直、考え出すとキリがない。
特に話し合いなんて、その日になって実際やってみないと分からないことの方が多い。
誰が何言うかある程度は想像できるけど、ぶっちゃけ分からん。
ただ、想像出来る範囲のことは想像して、どうするか準備しとくのって確実に無駄にはならないと思う。
最初に引っかかったのが行動レベルの基準の差。
誰かにとっての課題は、他の誰かにとっては既に通り過ぎた課題って場合もある。
誰かにとっては普通にできて当たり前ってことでも、他の誰かにとっては今までできなかった場面が多かったから出来たらすごい!ってなる。
その差をどうするか、どこに合わせるのかってすごい難しい。
意見が言えない人からしたら言える人はすごいように見えるけど、実際言ってる本人はただ言いたくて言ってるだけですごいことやってるって感覚がないし。
だから、課題にするほどのことでもないと思ってしまう。
他の誰かはできてて自分はできてないことを、自分の課題を考える上での基準に考えてしまってるんだろうなと思った。
結局みんな何かしら他者と比較して、安心と不安を抱えながら生きてる。
もう1つ引っかかったのが判断基準。
1年目の時、自分たち含め先輩方にも出来たか出来てないか判断してもらうために、5段階で評価できるような項目を考えた。
それが今回も必要なのかどうか。
判断基準があった方が自分たちも動きやすいし、それに沿って行動すれば最終的に求める成果が得られるのは分かる。
そもそも動かないと意味が無いし。
ただ、判断基準を明確にすればするほど、行動が簡単で単純なものになりがち。
それなのに普通すぎるなんて言われたら、もうどうしていいかしていいかわからん。
それに、判断基準を明確にしすぎると、とりあえず動くことだけが目的になってしまう。
すると考えることをやめる。
なんの為にやってたのかを忘れる。
以前、研修で横に座っていた先輩が、質問時間に誰が何回手を挙げて質問してたかノートに書き込んで数えていた。
衝撃。
確かに、回数が多いのはいいことだとは思う。
だからといって、回数やればいいってもんでもないでしょ。
そうなると、質問すること自体が目的になって内容に頭を使わず、誰にでもどんな内容にでも当てはまるような、考えなくてもできるような薄い質問しか出来なくなりそう。
結局、それでもいいと思ってしまって成長できない。
行動が目的化して、本来の目的を忘れて考えることが出来なくなる。
行動ばかりに気を取られて、その行動に対する自分の考えが分からなくなる。
何のためにやってるのか分からないままとりあえずやってる。
それで結局しんどくなる。
これは特に同期にすごい感じる。
ただ、これがいいって学んだから、やるって決めたからこれが正解なんだ、だからこれをやるべきなんだ!と。
それはそれで行動に移せてるならいいかもしれないけど、しんどくないのかな。
同期と話してて思ったけど、私は典型的な分析タイプだなと思った。
エニアグラムで言うと研究者。
あの人はこう思って言ったんじゃないか、これはこうだからああなったんじゃないか、みたいなことめっちゃ考えてるしめっちゃ言う。
それに対して、じゃあ次はこうしよう!!って明確にしてくれるのがもう1人の同期。
お互いに得意な部分を無意識に発揮して話を進めてる感じがした。
考え方とか捉え方とか、似ている部分はあるけど明らかに違う部分も多い。
だからこそ話が進まない時もあるけど、お互いどうにかして進もうとして考えてるから時間はかかっても結局は進む。
彼女が同期で本当によかったなと改めて思う。
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