おにぎり先生
救済です。忘れられない先生というと、良いエピソードばかり挙げられるnote界隈の優等生の皆さん、こんにちは。
毎週月曜日不登校、保健室登校を繰り返していた僕にとっては、教師には基本的に敵意しか抱かなかった。中でも小学校高学年の担任には苦しめられた。
クラス替えが発表された5年生の始業式、担任発表も同時に行われた。仲の良い子と離れ離れになった僕は、担任が誰だろうと、どうでも良かった。張り出されたクラス表の壇上には 岡野 の文字。同じクラスの女子が歓喜する声が聞こえた。岡野先生は、黒髪天然パーマに体育教師さながらのガタイ、日焼けした顔にしわを寄せて笑う30代の男性だった。つまるところ、人気者の教師だった。給食の時間には、配膳係が余らしてしまったゴハンでおにぎりを握り、総合の学習時間では遊びの時間を設けてくれた。あだ名は、おにぎり先生。休み時間も生徒との交流にいそしんでいたし、学校区内に住んでいたため身近な存在だった。
この担任がブチギレた瞬間があった。クラスの問題児H君がイジメを告発した時だった。終礼の時間に、担任の顔に笑顔はなく、神妙な面持ちで淡々と「このクラスにイジメられて辛い思いをしている仲間がいる。」と告げた。クラスに駆け抜ける緊張感、これがたまらないんだ。大の大人がキレているのって見ててすごく気持ち良い。こちらも真剣な顔つきで話を聞いてみる。担任はここで、H君を無視したり、バイキン扱いした生徒を炙り出そうとした。勿論僕もH君をバカにしていた一人である。
賛否両論あるが、イジメられている人間には、それなりの理由があると確信している。実際にH君にも問題があった。イオンの布団にライターで火をつけたり、同級生の頭に鉛筆を刺したこともあった。H君を無視するのは、それなりの理由があったのだ。関わりたくないのと、気持ちが悪いのと。風呂に毎日入れていないH君は確かに臭かった。
この事情も全部分かった上で、担任はイジメを止めようと必死だった。H君の告発によって、僕とクラスメイトの2人がやり玉に挙げられた。
放課後、3階の階段の踊り場に集められ、H君に言った悪口やバイキン扱いした一部始終を吐かされた。担任はそれを聞いて、他の先生や生徒が廊下を通るのを気にかけず大声で泣いていた。30代の大きな大人が、職場で、号哭していた。酒飲みの赤い顔をもっと赤くして、目も充血して、本当に涙を流しながら泣いていた。大人の男の人が泣くのを初めて見た。惨めったらしく階段の手すりに全体重をかけて、震えながら泣いていた。無様だ。
僕もクラスメイトもその場で泣きながら謝って、H君をイジメません!と宣誓した。担任の目の前で、H君と握手をさせられた。やっぱりH君の手は臭かったし、家に帰ってから30分ぐらいかけて石鹸で入念に手を洗った。
それから担任は人が変わったように、僕らイジメ加害者に厳しくなった。服装検査や持ち物検査では、身ぐるみはがされてあらゆる規制品を没収された。勉強に関係のないモノは全部没収される厳しい校則だった。ちゃおの付録のシャーペン・バッグのキーホルダーも未だに返されていない。果ては、休み時間にこっそり噛んでいたガムを担任の掌の上に吐かされた。
卒業式の日に全部返すと言われたが、12年たった今でも返却されていない。僕のシャーペンとキティちゃんのキーホルダー、噛みかけのまだ味の残るガムを返してくれ。
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