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湯屋番の秘密

銭湯の番頭をやっていると、あれやこれやを燃やしてくれと頼まれることがある。20年番台で小銭の受け渡しを繰り返してきた中で、地元の連中の要望をいくつか聞いてやった。うちの銭湯を贔屓にしてくれているお客の頼みとあらば多少しょうがない。可愛らしい物から忌まわしい物まで、燃えたら全部灰になる。

大量のお湯を沸かす原料は、地元林業業者から安く買い付けた薪だ。木材の質が低いため、燃えにくい。そこで常連の新聞屋に相談して、古紙を譲ってもらうことにしたらこれが大成功。燃える燃える。黒いインクが煙に代わって煙突から吐き出されるようになった。有機物ならなんでも飲み込ませて燃やしてしまえる。

初めて異物をボイラーに放り込んだのは、俺がまだ小学生の頃。番頭だった父親の目を盗んでテストの答案を投げ込んだ。勉強せずに臨んだ算数のテストはひどい点数で、それを隠ぺいするためだった。味を占めた俺は友人にこの秘密を得意げに話した。それから友人のテストも一緒に燃やすように提案した。社会・算数・理科のテストを二人分燃やしたところで、母親に見つかった。煙突から出る煙の臭いが変わったらしい。それからしこたま怒られてボイラー室の出禁を食らった。火を見てホッとする時間まで奪われたわけだ。

答案用紙を燃やすようなバカが進学できるはずもなく、俺は18歳で父親の番頭を継ぐことになった。番台に上ると脱衣所のロッカーまでが一望できた。

常連さんや観光客に育てられ一通りの仕事が回せるようになった頃、お客に一枚の紙を手渡された。「頼む」とだけ言われ寄越された紙を見ると、半分埋まった離婚届だった。奥さんの名字住所が記載されていた。真っ赤な判も押されている。都合の悪い物は燃やしてしまえば良い。客の引いたころ、ボイラー室に入ってそっと燃やしておいた。パチパチと火の粉を散らした離婚届は空に昇って行った。

その次の依頼は、常連の棟梁さんからだった。アルバムを処理して欲しいんだと。暖簾を外す頃合いにジャンプぐらいある厚さのアルバムを5冊燃やしてほしいと頼まれた。写真に含まれるリンは良く燃えるから温度もハイになるし、二つ返事でOKした。アルバムをめくると棟梁と幸の薄そうな女性が微笑を浮かべている。その女性は棟梁の奥さんと似ても似つかない容姿をしていた。ボイラーに放り込むと炎が立ち上ってあっという間に消えた。

次の依頼は珍しく女性からだった。おばちゃんだらけの高齢化した脱衣所で誰よりも品のある喋り方をする、地元の病院の院長夫人。彼女が燃やしてほしいと差し出したのは数字で埋め尽くされた分厚いノートだった。裏帳簿といわれるものだろう。10年前の記録まである。立派な御殿に住まわれてもなお、古臭いうちの銭湯を利用してくれていたのはこの時の為だろうか。邪推に取り巻かれながらも承諾した。あっちゅう間に灰になった。

一番記憶に残った依頼は、常連のおばちゃんの息子からだった。足繁く通ってくれていたおばちゃんがぱたりと来なくなって数週間。一人暮らしを辞めて施設に入ったのか、あるいは入院したのかと思っていた。その実、亡くなっていたらしい。電話にも出なくなったおばちゃんの安否を確認しに他県から息子が帰って見つけるまでに2週間が経過していた。餌を貰えなくなった飼い猫は、主人の身体を貪っていた。息子が持ってきたのはその子だったもの。生き物を焼くのは初めてだった。水分が多いそれは燃えるまでに時間が掛かって最後に骨だけが残った。

何を焼いても火はつき、湯は沸く。誰も何にも考えないまま浸かる。今日もいい湯でしたか?

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