NOPE 意外性のなさという意外性について

ややネタバレがあります。

この映画にある種の仕掛けを期待すると肩透かしを食らうかもしれない。

私がジョーダンピールの映画に期待するものは「表面的には~だけど実は・・・」というものだ。
『ゲットアウト』においては「黒人男性を歓迎しているように見えるが実は・・・」という構造、『アス』は「私たち(US)は実は・・・」という構造を持っている。
映画が社会問題の寓話になっていること、それが映画を「見ていく」ことによって明らかにされること、そして観客にそれが明かされることにカタルシスを感じる人は多いだろう。

しかし、『NOPE』においてはテーマは予告編の時点でほぼすでに明らかにされている。


『NOPE』の予告編ではUFO、馬、そして撮影といったモチーフが現れるがそこからそこまで要素が増えるわけではない。
そしてUFOを撮る映画である、というのがこの映画の本質であり、それは予告編で見たまんまなのである。「UFOが実は・・・」という仕掛けはあるにしても、それがUFOであることには変わらないのだ。
普通UFOが出る映画があると聞けば、宇宙人が出てくるのか、目的は何か、どうやって倒すのか、そしてそれを作る監督がジョーダンピールであればそれをどのようにテーマと絡めるのかということに関心が行くだろう。
この映画の意外性とはまさしく、予告編にあるように、UFOを撮ることについての映画だということであり、しかしそれが何重にも重なった寓話になっていることにある。

この映画の肝心のテーマについては上記で匂わせたが、調べればいくらでも出てくると思われるので細かい部分は割愛したい。
この映画はもちろんショービジネス、ハリウッドの闇の部分に光を当てて撮った作品であり、その点に誠実さは感じる。しかし、人種差別を寓話化した『ゲットアウト』『アス』と比較するとややテーマがミクロ化しているようにも感じる。
あまりにも映画的なテーマは映画ファン以外に対して不親切ではないか、とも思われるのだがそこはスペクタクル性によってカバーしている。

テーマはミクロ化したが、映画のスペクタクルとしての快楽は格段に向上した『NOPE』はまさに今劇場で見る映画だろう。

ジョーダンピールの『NOPE』は映画史をSHOOTした西部劇である。


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